「理由を聞かせてください」
いつも通り表情一つ変えずに田代秘書課長が私を見る。

こんな風に見つめられると、やはり怯んでしまう。
それでも、私だってここで引くわけにはいかない。
人生がかかっているんだから。

今朝早く奏多を送り出してから、私はいつもの時間に出勤した。
今日シンガポールに着いていくつか会議をした後、明日には契約となるはずのプロジェクト。
私にもまだサポート業務が残っていて、それを現地のスタッフへ引き継いだ。
これで私がいなくても無事契約まで持っていけるはず。

引継ぎが終わるとデスクの片づけをして、辞表を持って課長のもとを訪ねた。


「理由もなく辞めたいでは話になりません」
今にも話を切り上げて席を立とうとする課長。

「彼のもとを去ろうと思うんです」
「その理由は?」
「ですから・・・」
理由なんて課長だってわかっているくせに。

「奏多には?」
「いいえ」
言えば止められるってわかっているから、伝えていない。

「はあぁー」
深いため息とともに、この時初めて課長が表情を曇らせた。