病棟の外れのデイルームで、あかりは茫然としていた。西山が芳江との最期の別れにと死後のケアに誘ってくれたが、頑なに首を横に振った。

「あかりちゃん」

いつの間にか、竹下が隣まで来ていたらしい。あかりは声をかけられてから数秒後にそちらに顔を向けてみる。

当たり前なことに、瞳には竹下が映っただけだった。

「あの日の話よ。……悟から、あかりちゃんが指輪を持っているって聞いたわ」

あかりは再び顔を前に戻した。目の前の窓から見える風景に色が見えない。

「……私、は、一人になって、いきます……。どんどん、大切な人、いなく、なる……」

竹下の話と噛み合っていないのは分かっていた。それでも頭の中がぐちゃぐちゃで、口から出たのはそんな情けない弱音だった。

一筋涙が頬を伝うと、あとは止められなかった。

次から次へと、感情と一緒にこみ上げてくる。母を失い、祖母も失う。悟の名前を聞いて、悟ともお別れしろと芳江に言われたことを思い出した。

そう言えば何故芳江は、悟のことを知っていたのだろうか。

「私はね、あかりちゃん。あの日きちんと、悟とお別れしたわ」

そう言いながら、竹下はあかりの隣の椅子を引き、腰を下ろした。

「実を言うとね、今までは肌身離さず悟とお揃いのペアリング、持っていたの。なぁんか悟に対して後ろめたさがあったのよね……私だけ幸せになっちゃって……最期まで恋人だったのにって……年甲斐もなく困ったものよね」

竹下は恥ずかしそうに笑った。

「でも、悟にね。言われたの。『過去の恋人に貰った指輪を付けているなんて変な話、今の旦那にも失礼』って。まったくもってその通りよねぇ」

あかりは溢れる涙を拭いもせず、竹下の話を聞いた。

「悟にそう言ってもらえて、やっと心の荷が降りたように感じたわ。だからね、次は貴方の番だと思うの」

竹下はあかりの胸元を見つめた。そこには、あの日からも今なお外すことなどできなかった、あかりのお守り。


『天使に返しなさい』


そう言って、母から託された大切なもの。

「ちゃんと彼を、空に還してあげて。彼がいつも見つめている空に」



あかりはゆっくりと、椅子から立ち上がった。そして、涙を拭った。

「行ってきます……」

「行ってらっしゃい」

竹下が送りだした。