フォトジェニックの人魚

 
 正しさは糞食らえだし光り輝く前進は頽れて仕舞えばいい。

 何かに傷ついた人間はその場で燻っていればいいし、誰かにとってのどうでもいいの境地で笑うことも出来ずに佇んで死ねばいい。不誠実な自分が鏡の中で笑っている、そんな自分がありのままで、それでもそんな自分が真っ向から嫌いになれない。本当は全て、わからないのではなく、わかっていたのかもしれなかった。
 死ぬ間際に撮影した写真に他者からは見えたのが、ずっとそういうギリギリの淵で自分を保っていたからだとすれば説明がつく。

 いつも心が折れそうだった。何かに追われている、自分がやり切れなくて仕方がなかった。俺は、もうずっと、そんな自分自身を手放してしまいたかった。今もそうだ。何にも追われていないのに縋ってる。しがみついた現実に振り払われて、茫然自失になっている。

 自分と向き合うこと。逃亡、或いは、前進?












「直江さんの物語も、写真も、私は嫌いじゃないよ」

「物語に関しては知らないだろ、写真もだけど」
「わかるよ。私がわかってること、直江さんももうわかってるくせに」

 顔を上げる。電車を降り、ぶらついたコンビニでサラリーマンが女子高生を撮影し、そして、辿り着いた海で人生を吐露する。この流れ、このあらすじは、あの引き出しに閉じ込めて硬く紐を結んだ自伝の、あの流れと同じだった。知っていた。これは偶像で、虚像だ。本当は何も捉えていないのかもしれない。俺は一人でカメラを回していたのかもしれない。会社の最寄駅を過ぎて下車し、コンビニでおにぎりを買い占め、コンビニの前でお茶と炭酸を飲み、そして今、一人で彼女と会話をしながら海に向かっている。すべて一人だった。すべて、一人だった?

 そう、目の前の虚像に手を伸ばすと、その手首はしっかりと掴めた。


「やっぱなんもわかってないね、直江さんは」