紅月は心配そうにしながらも、やはり本調子ではないのか矢鏡に頼むことに決めたようだった。肇のために作った沢山の料理達は数個のタッパーにパンパンに詰められ肇に渡された。重さもあるだろうが、肇は軽々とそれを持ち「わーい!嬉しいなー」と礼も行って受け取り、紅月の家を後にした。

 矢鏡の前を肇が歩く。
 夜の住宅街に肇の足音と声だけが響く。


 「いやー、紅月さんの料理は最高っすね。こんな料理を毎日食べさせてくれる可愛くて優しい奥さんがいる神様なんていないんじゃないんですか。しかも、神様ってことはかなりの年数生きてるっすよね?なら、かなり年下?羨ましいですわー。まぁ、俺は年上の女がタイプですけど……」


 返事をしない矢鏡の代わりに肇が永遠としゃべり続ける。人とすれ違ってもそれを止めようとはしないので、先程の男性は肇を不審人物を見るようにジロジロと見ていたが、彼は全く気にしていないようだった。矢鏡が止めない限り、彼の口は止まらないだろう。
 それに、肇がわざわざ矢鏡と2人になりたかった理由もあるのだろう。
 それを肇から切り出さないのらば、と矢鏡から問いかける事にした。


 「そんなくだらないことを話したくて俺を呼び出したわけじゃないだろ?」
 「あー。さすがにバレちゃってたか。わかっててついてきてくれたなんて、優しい神様ですねー」
 「いいから用件を言え」
 「あー、じゃあ、遠慮なく言わせて貰いますねー」


 そう言って、くるりと振り向いた肇の表情は、今日1日の中で見た事もない、真っ黒な笑みであった。街灯の光を浴びて鋭く光る瞳は剣を向けられたように恐怖を感じてしまう。変わらないのはにやりとした口元であったが、そこには怪しさもある。
 この男は舞台俳優と言っていた。紅月が本などの物語を実際にその登場人物になったように演じる人の事をいうのだと教えてくれた。テレビでやている「ドラマ」を舞台と言う場所で演じるのだと言う。
 舞台役者というのは自分の気持ちを押し殺して仮面をつけて別物になりきれる。

 では、どっちの顔が肇なのか。
 出会って1日の矢鏡にわかるはずもない。