と、言う学校で長い歳月を過ごしたわたしは、家族以外、あまり男の人を見る機会を持たなかった。通学は、皆、自家用車で送迎されていて登下校時は、黒塗りのセダンが長い行列を作る。位なので、他校の男子生徒と、胸キュンなラブストーリーが生まれる筈もない。と、言うより、他の人はわからないが、テストに追われ、寝る時間を確保するのが精一杯な12年間だった、、、可哀想な、わたしたち。

 高等部迄は、愚痴しかないので、この辺でやっぱり強制終了しょう、、、

 そう、わたしは、親に勝ち、受験に勝ち!夢の大学生活を、憧れの京都で送る権利を手に入れたのだ!ただ、どうしても、一人暮らしは、許して貰えず、幸か不幸か、6歳年長の兄、顕一郎が京都の大学を卒え、その儘大学病院で医師をしているので、兄の処に居候する事になった。居候、と言っても、兄が勤め始める際、近くに偶々分譲マンションが建ち、親が買ったのだ。3LDKで、兄の勤務先に徒歩10分。大学にも同じ位。
 兄は仕事柄、まだ、ペーペーだし、寝に帰って来る位(本人申告)らしいので、わたしのお城にしてやろうと思っている。

 わたしは、文学部で、日本文学を専攻するつもりでいる。何故、今時、就職に苦労しそうな処を敢えて選ぶか、と、高等部の友人たちにかなりディスられたけれど、敢えて、だからだと言うことにしたい、、、
 友人達は皆、大抵が親の跡を継がざるを得ず、必死に勉強ばかりして来、その結果当然の様に、弁護士や医師、或いは研究者、国際弁護士になるとか、MBA取るとか、大蔵官僚になるとか、警察官僚になるとか、、、高い志を持って進むべき道を歩み始めた。が、わたしは、あまり、否、殆どそんなものは無くて、ただ、ただ、4年間憧れの京都で、のほほんと人生の洗濯をしたいと思ってしまったのだ。殆ど、お年寄りっぽい、、、否、今時のお年寄りの方がやる気があるかも、、、
故に、夢は、のほほん京都ライフ、ただそれだけなのだ。
 実は、わたしは、件の学校で、実に12年間首席を通した。ので、先生もクラスメイトも、何故、と、半ば怒りを以ってわたしの進路を全力で全否定した。確かにね、同志社でも立命館でも良かったかもしれないよね、と、言ったら親まで呼ばれて、二次募集を示される位否定された。が、驚くなかれ!なんか、楽しそうな人多そうじゃない。と、選んだ京学大を否定するなかれ!
 医学部行くと、又大変そうだし、法学部行ったら司法試験受かる迄勉強しなきゃいけないし。もう、勉強は、いやなんだよね〜。みたいな、、、