「それはありがとうございました」

兄がニコッと男性に笑顔でお礼を言う。
男性は不思議そうに兄を見た。

「兄なんです」
私は男性に説明する。

「そうでしたか。私の事でご迷惑をおかけしてすみません」

男性は兄に頭を下げている。
先程の喧嘩のことだろう。

「もう、妹は大丈夫ですから」
兄は笑みを崩さず、でも強い口調で言うと仕事に戻って行った。

「あの、先程の女性を追いかけなくてよかったんですか?」

私の隣の椅子から立ちあがろうとしない男性に声をかける。

「あー、いいの」
「最低って言ってましたね」
「そうだね」
「最低なんですか?」

チラッと男性を見上げる。
男性は右の口角を微妙に上げて意地の悪い顔をした。
「最低、かな。君を振った彼よりも」
「え?」

「誘いにのっただけなんだけどね。そうしたら彼女気取りで付き纏ってくるから、勘違いを正してあげただけ」

綺麗な顔には似合わない最低な言葉が口から次から次と出てくる。

誘いっていうのは、体の関係という事だろう。

私には丁寧な言葉遣いだけど、彼女に対して「おまえ」って言っていた事を思い出した。

「最低ですね…それは」

聞かなければよかったなと後悔する。

「そう。最低なんです」

開き直りとも取れる笑顔をこちらに向ける。

「なんで、その最低さんが私を助けてくれたんですか?」

お昼の私に対しての行動は少女漫画か?というくらい王子様だった。

「あー、あれは。俺もこれ以上酷いことしてるんだなって思ったんだよね。罪悪感。君、喚き散らしたりしないから余計に」

「自分のしてきた事を、私を通して謝った?」

男性はプッと噴き出した。

「そんな難しいことじゃないよ。なんとなくだよ」

「なんとなく、ですか」

ノリが軽いな、なんか。そんなに若く見えないのにチャラな。
仕立ての良いスーツを着てるのがパッと見ただけでわかる。20代ではなさそう。兄と同じくらいの年齢かもしれない。

「服にも酒、かかっちゃったよね。クリーニング代」

突然話を変えられ、目の前に10000円札が置かれた。重なっているのがわかる。1枚ではない。

「いえ、いりません。大丈夫です」

目の前のお金をテーブルづたいに男性の前まで滑らせる。

「返されても困る」

男性の手が私の手に重なる。

男性の手は大きくそれでいて指が長く綺麗な手をしていた。手にまで色気を感じてしまう私はやっぱり酔っている。
お金の上に置いた私の手ごと包み込むようにして私の前に滑らせる。
私の心臓が音を立てる。
ダメだ、この人は危険だ。

本人にその気がなくても、女性をその気にさせる何かがある。