最低なのに恋をした

グラスの中身は透明だった。

「何?これ」

「水だ」

「ヤダ。強いお酒ちょーだい」

「ダメ」

「ケチ」

「ケチじゃない」

もう何杯飲んだのかわからないくらい飲んだ。でも、前後不覚になるほど酔いたいのにそこまで酔いきれない。

兄は他のお客さんに呼ばれて私から離れた。

目の前にお酒の入ったグラスはない。

仕方なく透明な液体の入ったグラスに口をつける。
うん、水。
「はぁー」

大きな溜息をつき、テーブルに突っ伏した。
その時。何か冷たい物私に降ってきた。

「最低」
頭の上で女性の怒りに満ちた低い声がする。

突然の事に私は動けなかった。何?これ。

「勝手に勘違いしたのはお前だろ」

面倒くさそうな男性の声が聞こえる。

何?痴話喧嘩?
私の頭の上で?

「お客様、どうなさいましたか?」

兄の声が聞こえる。

カツカツカツカツと女性の物と思われる靴の音がどんどん離れドアを強く閉める音が聞こえた。

「お騒がせして申し訳ない。この方にタオルをお願いできますか」

静かに話す男性の声に聞き覚えがあった。
この方、って私の事だろうか。

恐る恐る上体を起こす。
目の前にはタオルを持った兄がいた。
その顔には怒りが滲んでいる。
お客さん相手にその顔はダメじゃない?

私は冷静だった。

「申し訳けありません。私の連れがグラスの飲み物を貴方にかけてしまった」

その言葉に横を見上げる。そこには綺麗に整った顔があった。見覚えのある顔が。
その男性も私の顔を見て目が少し大きくなった。

「美月」

兄がタオルを渡してきてハッと我に返った。
「ありがとう」

隣の見覚えのある顔から視線を逸らしタオルを受け取る。

髪から甘い香りがする。ベタベタして気持ちが悪い。

そしてまた、横を見た。

「お昼の、人ですか?」

フラれた時に隣にいて冷たいおしぼりをくれてお会計までしてくれた男性だ。

あの時は余裕がなく冷静に判断できなかったが、サラサラの髪に切長の目。薄い唇からは色気がだだ漏れている。

これはモテる。
そして、先程の会話。
「最低」って言われていた。

「あの時の…」

その男性も驚いた様子でこちらを見ている。

「お知り合いですか」

兄がこちらを怪訝そうに見ていた。

「あ、うん。お昼に振られた時隣にいて…お会計してくれた、人ですよね…?」

おしぼりの件は伏せた。偶然とはいえ、妹が頬を叩かれたなんで知ったら怒り狂いそうだから。

チラッと隣を見るとお昼に見たビジネス用の笑顔を私と兄に向けながら、私の隣の椅子に座った。

「はい。こんな偶然あるんですね。やけ酒ですか?」

顔は柔らかい笑顔なのに、少し失礼な物言いにムッとしてしまう。