隣に座っている年配の男性がやたら酒臭い。目がうつろだ。朝まで飲んでいたんだろうか。終点に着いたので立ち上がったらその男性も立ち上がり、そして私のほうによろめいて来た。相当酔ってる。
「大丈夫ですか?」
 と一応人道的に声をかけてみた。
「ああ、すみません、大丈夫です。当直明けで」
 当直明けって言っても酒の匂いをさせてるってことは勤務中に飲んでたってことかしら。酒が飲める仕事ってどんな仕事だよ。男性はフラフラとホームを歩き、ベンチに座った。バックパックに手を入れて…え、ワンカップの日本酒? 飲み始めた。とそのままベンチからずり落ち、地べたに倒れてしまった。その拍子にベンチに頭をぶつけてしまい、あ、血が出て来た。
 そばに居た駅員が慌てて駆け寄り男性の体を揺すったが、血が流れているのを見て揺するのをやめた。携帯で救急車を呼び、手に持つマイクでは通常の案内放送を続けた。朝の通勤時間帯なのでホームに居る通勤客は立ち止まらない。一瞥して通り過ぎて行く。
 私は一先ず様子を見ていることにした。行きがかり上その男性の状況を知っているのは私だけだし。救急車が来る間、男性の意識の中に入る。
 あ、この人医者なのか、白衣を着てオペしてる。外科医? おっと、オペ室でも倒れたことがあるのか。チアノーゼ起こしてるような顔色。手が震えてる。アル中だ。サブの若い医師が執刀を代わった。周囲の麻酔医や看護師がしかめっつらをしている。その男性はすまんすまんと言いながらフラフラとオペ室の外に出た。

 救急車が来たので意識を解放。救急隊員が身元確認をしている。名前、年齢、自宅住所、電話番号、これからどこへ行くのか、どんな気分か。そして私にも倒れた時の状況を聞いている。酒臭かったこと、フラフラしていたこと、ベンチでワンカップを飲み始めたことを話した。
 男性は、勤務先の病院名を言い、そこまで送ってくれ、と言った。救急車をタクシー代わりに? 医者のくせに? ここから2時間くらいかかるとこだってのに。救急隊員は男性から病院の電話番号を聞き、かけている。憮然とした声だ。送り届けると言っている。それってありなの?
 もう一度その男性の意識の中に入る。
 この人、勤務先の病院でほとんど診察してない。オペもいつも途中でサブに交代してもらっている。出勤してすぐに宿直室のようなところで寝ている。今日は当直明けだと言っていた。他の病院に行ったりしてるのか。私が見えたのはどこの病院なんだろう。
「くっそ邪魔だ、こいつ」
 と誰かが言っているのが聞こえた。同僚かな。

 この人には来週の今日、階段から転げ落ちてもらうことにする。彼の意識の中に息を吹きかけただけで、あのフラフラ具合ならすぐにバランスを崩すだろう。
 一丁上がり。