楽しさを見出せなくなった。

今まで当たり前に感じていた喜びを急に感じる事が出来なくなった。
どれだけ勝ち上がっても。
どれだけ称賛されても。

……その時気が付いたんだ。

勝ちたかったわけじゃない。
上手くなりたかったわけじゃない。
褒められたかったわけでもなかったんだって。





『あそこのお店お花屋さんじゃないんだって』

2LDKのリビング横にある4人がけの食卓テーブルについて
おやつのチョコのドーナツを食べながら手をベタべタにしてそう話すのは
今年幼稚園の年中になる私の妹。

『あー、うちの近くに新しくできたレストラン? ママの職場の人もこないだ行ってきたって言ってたよ。すごくスープが美味しかったって。 今度みんなが休みの日に行ってみようか?』
忙しそうに髪を縛り仕事に行く準備をしながら私のお母さんは話す。

『紗希《さき》?ママ急いでるからウェットティッシュで美優《みゆ》の口の周り拭いてもらえる?チョコでベタべタだから』

『ママ近いんだからママがしてよ』

ソファーの上で雑誌を読みながら私は怒ったが
うん。と仕事に行く準備に追われてから空返事のママに気付き
もう。っと怒りながらソファーから重そうに腰を上げてテーブルの上にあるウェットティッシュで美優の口の周りを拭く。

『やーめーてー!』嫌がり泣きそうになる美優。

『泣きたいのはお姉ちゃんの方だよ。今日だってさ友達と昼から遊ぶ約束してたのにお母さんが急に仕事入れるから行けなくなっちゃったじゃん』私はママに聞こえるようにわざと大きい声で言った。

『ごめんごめん、今度埋め合わせはするから。夜ご飯は冷蔵庫の中に入ってるから、何か足りないものあったら引き出しの中にお金入ってるから買ってきてもいいし。あとお風呂あがりに美優の背中にクリームだけ忘れずにお願いね!』

『はーい。美優は今日もお姉ちゃんとお風呂に入ろうねー』

『いやだ!ママがいい!』頭を強く撫でようとする私の手を払い除け美優が怒る。

片手で美優のマシュマロのような頬っぺたをブチュッとつぶしながら『んー、可愛くない妹』と私はわざとニヤッと笑った。

 うちには父親がいない。

私が高校に入る前……

忘れもしない中学2年の終わりの頃だった。

美優がまだ言葉を覚えたばかりくらいの頃にパパは出て行った。

んー、でも寂しい。って気持ちよりも毎日毎日朝から晩までパパとママはケンカばかりだったから
気が楽になった。って言葉の方がきっと正しいだろう。

パパがまだうちにいる頃ママは結婚する前から続けていた職場でパートタイムで働いていた。

私が中学生の時は私が学校から帰ってきたらママはもう仕事から帰ってきていて
美優をあやしながらキッチンで夕食の準備をしていた。

パパと離婚してからママはパートタイムじゃなくなって朝から晩まで働き詰めになった。たまに今日みたいな感じで日曜日に急な休日出勤が入ったりする。

それから家での役割分担がガラッと変わった。

パパの役割がママになって。
今までなにもしていなかった私の席に美優がいる感じだ。
そして、ママの役割は私が一応しているけれど……でも
役割の範囲が広過ぎて全然出来ていなかったりする。
だって家のこと全般だよ?
今なら休日にリビングで寝ていたパパを怒鳴るママの気持ちがわかる気がする。
たまにママに寝てばかりいるなって怒ったりもしちゃうし。
高校2年生で冷め切った夫婦関係のなんとやらがわかってしまう。私も私だ。

もし私が男なら、こんな可愛くない女絶対に嫌だ。

もっと、もっとなんというか…例えば……離婚《リコン》って何?
サラダに入れるお野菜かしら?みたいな初々しさがある子がいい。

それがいい。

ーーピンポーン。

『ん?誰かきた……』

そう言いながらママはインターホンに近づく。
『はーい! あっ!サク? どうしたの?』
とママは笑顔になった。

『母さんが実家から果物送ってもらったから届けてこいって』

『そーなのー?いつもありがとうねー! 入って入って』
とママは言った。
『ちょっとママ、私部屋着なんだけど!?』
怒る私とは裏腹に美優は『にぃにー!』と叫びながら玄関の方へ走っていった。
ママは手を下に伸ばし、その手を腰あたりにつけて『紗希がこれくらいの時はサクと風呂入ってたでしょ。色気づいちゃって』と言った。

『お邪魔しまーす』と悪びれる様子もなく入ってくるのは
鈴木 朔太《さくた》。ママの友達の息子であり、私と同級生。しかも同じ高校だ。

私の通う学校は家のすぐ近くだ。特別頭が良くも悪くもない普通科の高校。まぁ、私はギリギリで入ったけれど。

この男は全然上の高校を目指せたけれど電車通学が嫌だ。という理由で私と同じ家から近い高校にしたらしい。

中学の時、受験間近になって三者面談が終わったにもかかわらず担任の先生がやっぱり考え直さないか?とよく放課後に先生と二人きりで話していたのをよく見てたから覚えてる。

上には姉が二人いて、そのせいかやけに大人びていて女心をよく分かってる。ママ達が家でお酒を飲んでいる時もお酌したりする男だ。

『サクまた背伸びたー?』

『にぃにー抱っこ!』

とまぁ、うちの家族にも大人気だ。
特に美優が私によりも懐いてる。

『おばさんこれからお仕事ですか? 果物冷蔵庫入れといていい?』慣れた手つきで美優を片手で抱き抱えながら話す。

『そうなの休日出勤。あっ、それ下の野菜室に入れておいて』

サクは頷いてキッチンの方へ行き冷蔵庫を開けた。

『人ん家の冷蔵庫勝手によく開けれるね』と皮肉たっぷりにクッションで顔を隠しながら私が言う。

『おー、紗希いたんだー。顔見えないから気付かなかった』
とサクも負けずと言い返す。

『あー、ママ時間やばい!じゃーママ行ってくるから!紗希、美優のことよろしくね!サクもゆっくりしていってね!じゃあいってきます!』
とママはバックを持って慌てて玄関の外へ出て行った。

『美優イチゴ食べたいー』とサクに抱き抱えられながら美優は言った。
『イチゴちょっと美優には酸っぱいかもなー。そうだ。イチゴミルクで食べる? 紗希ちょっと台所借りてもいい?』

『うん、どうぞ』

イチゴを皿の中に入れて、それをフォークで軽く潰して
調味料入れからグラニュー糖、冷蔵庫から牛乳を手に取り
混ぜ合わせる。 そして目線を少し上げ
『紗希も食べる?イチゴミルク』とサクは聞いた。

『……うん、食べるけどさ』

多分この男はいい旦那になる。
美優見てればわかる。
子供ってなにもわかっていないように見えて色々と敏感に感じとる。
自分を好いてくれる人かどうか。
多分私に懐かない理由もそれだ。 私子供が嫌いだから。

『おばさんも紗希も美優も大変だなー』
イチゴミルクを食べる美優の口を拭きながらサクが話す。

『大変だけどもう慣れたよ。ママの帰りはいつも遅いからさ。ご飯作ったり美優の子守したり。ママが急に仕事入って遊ぶ約束してたのに行けなかったりとかはさすがに辛いけどね』
『もしかして平日学校終わったら急いでいっつも帰ってるのって美優の迎えとか?』
『あ、うん。 迎えに行くのが遅れたら延長保育で別料金取られるんだ。うちそんな裕福とかじゃないからさ。さすがにきっつい』
『へぇー。頑張ってんだなぁー。なんかあったら連絡してよ。買い物だとか美優の子守くらい手伝うからさ』
『ありがと、そう言ってくれるだけで助かる』

その心遣いだけで嬉しい。
でも少し不憫に思われてないかと気になってサクの目は見ずにイチゴミルクを黙々と食べた。

それからイチゴをたくさん食べた美優はサクに目一杯遊んでもらい絵本を読んでもらっている間に寝た。
それに気付いたサクは美優をソファーの上に寝かせ薄いタオルケットを掛けた。
『美優寝たから帰るかなー』そういいながらバックを持って玄関のほうに歩いてく。
『うん、イチゴごちそうさま。じゃあまた明日学校でね』

『てかさ、俺の携帯の番号教えとく。なんかあったら気軽に電話して。買い物とかあれば買っとくし』

私はポケットからスマホを出そうとするがズボンのポッケを触りながら入ってるはずがない事に気付く。
だって私は基本休みの日はスマホをいじらない。
多分制服のブレザーの中で充電切れたまま入っている。

玄関にあるダンボールの耳の部分を破り、玄関に置きっぱなしになっている太いマッキーをサクに渡した。

サクは目を丸くしてダンボールの切れ端を受け取った。

こういう時可愛い子は違うんだろうな。
スッとスマートにスマホを出して手慣れた感じでなんかQRコードを読み込んで、じゃあ私メッセージ送っとくね!みたいな感じでするんでしょ? 
……ダンボールの切れ端でごめん。まじで。

『ダンボールの切れ端に自分の番号書くとは思わなかった』
とサクは真顔のまま言った。でも紗希っぽいな。といってササっと書いて渡してくれた。

『はい、これ俺の番号な。捨てんなよ』
『うん、ありがと。捨てるわけないじゃん』

『ちなみに教えるのこれで2回目だから』

……ん?2回目? もう一回目捨てちゃってる?
私気付かずに捨てちゃってるのかい。

はぁ。可愛くない女。


サクが帰ってから、ママが用意してくれた夜ご飯ってなんだろう?と思いながら冷蔵庫を開けるとカレーで使うであろう具材が入っていた。

『準備しといたって具材を準備したってことね……』

まぁでもママのことだからそんなことだろうと思った。

それからカレーを煮込んでる間にさっき私と美優がイチゴ食べる時に使った食器洗っちゃおうと思いテーブルの方に目をやるともう食器は綺麗に洗われてシンクの隣に裏返しになって乾かされてた。

おー、いつの間に……

イチゴ食べた後に美優の手を洗いに行った時に食器も洗ってくれたんだ。美優がドーナツ食べてた時の皿もキレイになってる。

多分あの男がママ達から好かれるのはこういうところだろう。

夕方になり西日が窓から入り込む頃、カレーが出来上がるのと同時に美優がムクッと起きた。

そしてその第一声が
『にぃにーは?』だった。

『帰ったよ。サク』

美優はため息をついてまた横になった。

『か……可愛くない。ほんと』

この可愛くない感じは本当に誰に似たんだ……

……ママか?




ーー平日の朝は大忙しだ。
自分の準備もそうだけど、昨日夜遅くに仕事から帰ってきたママがまだ寝室で寝ている。
この日もいつもと変わらずに私は3人分の弁当を詰めながらキッチンから大声でママを呼ぶ。

そしてこの忙しい中『ミユ、トマトいらない!』と
私の下の方で苦悶の表情を浮かべながら美優が怒る。

多分ミニトマトをお弁当の中に入れるのが見えたんだろう。
ミニトマトを入れた日も残さずにお弁当を食べてるところを見ると多分幼稚園で先生に無理矢理にでも食べさせられてるんだろう。

先生ナイスプレイです。私の妹の曲がった根性叩き直してくれ。お願いします。

『好き嫌いしてたらサクにぃにーに嫌われちゃうよー』
『……』
何も言わずに私を睨みつける5歳児。
こんな時に男の名前出すなよ…みたいな圧を感じる。
将来大物になるね。

ってかママが起きない。

もうそろそろ本気でやばい。
今日も投下しようか。

私は美優に敬礼のポーズをして
『美優隊長!ママにバクダン投下!』と言った。
『イエッサー』と言いながら美優はママのいる寝室に一目散に走っていく。

しばらくすると寝室の方から

『ゔぉえーーー!!』と声にならない叫び声が聞こえた。
多分、美優に顔面ダイブでもされたんだろう。

『おはよー』と奥の方から美優と手を繋いで眠そうな顔をしたママが起きてきた。

『ママ、お弁当テーブルの上に置いておくね! 美優の着替えも終わってるし、あと出るだけだから!』

『んー、ありがとう』とテーブルでトーストをかじりながらママは返事をする。
『じゃあ美優!お姉ちゃん学校終わったら幼稚園に迎えにいくからね!』
そう言いながらリビングの引き出しの中から生活費の入っている財布から1000円札を取り出した。
美優を迎えに行った帰りに買い物に行こうと思ってるから。

『千円で足りるの?買い物』とママは不思議そうにいった。
『足りるかじゃなくって足らすの! 余計なものも買わないし美優のおやつも50円までって決めてるから』
『さすがです。紗希さん……いつも助かります』
『じゃあ、私いってくるねー!』
そう言って今日も家を出た。




私は昔ママの使っていた後ろに子供が乗せられるタイプのママさん自転車でいつもの通学路を走る。
通学路にはコンビニがあって、みんな学校に行く前にここでジュースを買ったりしている。
私は学校に通い始めてから2年間一度もここのコンビニに入ったことはない。
500mlのペットボトルのジュース一本150円はやっぱり高い。
スーパーだともう少し。何十円か出せば1.5リットルのジュースが買えてしまう。それどころか家でマイボトルにお茶を入れてきたら毎日150円が浮く。
一日150円。単純計算で1か月で30本ジュースを買うとしてその費用なんと4500円。
馬鹿にならないんだ。
ママは毎月5万円を生活費として引き出しの中に入れてくれる。
生活費はティッシュだとかシャンプーなどの日用品から食費まで。
それを私は毎月それでやりくりしてる。
少しでも浮いたお金は貯金して。
だからコンビニで物を気軽に買う感覚がよくわからない。
この話を友達にしたらなんとも言えない表情をされたからもうしないと決めた。

『おはよう紗希!』
コンビニから出てきて私の姿に気付いて走って追いかけてくるのは同級生の美久《みく》。今時の子だ。

『昨日連絡待ってたのに……全然してくれないんだもんなぁ』
『ごめんごめん。昨日ママ急に仕事入っちゃってさ。子守してたらあっという間に一日終わっちゃって』
『そんなことだろうと思った。 全然美優ちゃんと3人でも私はいいのに』と笑いながら美久は言った。

『いや、やめとく。私が楽しめない』

女子高生が子連れで遊びに行ったり周りの視線が多分気になる。
やっぱり若い親だとそうなるよね。的な目で見られるのも嫌だ。親でもないけど。

そんなことを話しながら私と美久は学校へ向かった。




ーー休み時間は図書室に入り浸る。

よく考えてみてほしい。
こんな沢山の本が読み放題なんてなんて優しい世界なんだ。しかも無料で。無償で。
私が本を読まない理由はなかった。
3年間かけても読み切れないであろう本を私は今日も厳選して読む。

今日も図書室には誰もいない。
自分の呼吸が気になる位に静まり返っていて
少し開いている窓からそよ風が入ってきてそれがとても心地よい。
外からは少し距離のあるグラウンドからサッカーで遊ぶ生徒達の声が聞こえて、それも心地よいBGMのように聞こえる。

誰かが後ろから近づいてくる足音がした。

『紗希、ちゃんと番号登録した?』
後ろから聞き慣れた声が聞こえた。本を読みながら答える。
『帰ってからしようと思ってた』

……忘れてた。すっかり。

『絶対忘れてただろ』
『失礼な!忘れてないよ。 ってか学校で馴れ馴れしく話しかけないで。優等生の鈴木くんとできてるんじゃないかって勘違いされて他の人に嫉妬されたりしても嫌だから。 私は高校生活を平和に卒業したい』

『なんだそれ。面倒くさい』
本棚から本を取り出しながらサクは言った。

人間関係のこじれだとか。とっても面倒なんだ。
好きとか嫌いとか、自分が優位になるように誰かをはぶいたりだとか人をおとしめたり。
もっとサッパリにできないものかね?

『今日も美優の迎え?』
『うん。16時までに迎えに行かないと……』
『そっか大変だな』
『もう慣れたよ』
そう言いながら私は読んでいた本を閉じて本棚へと戻す。
『じゃあねー』と私は図書室を出た。




ーー放課後になり私は大変なことに気付く。
こないだ気軽に引き受けた学園祭の係の仕事が割と大変なもので
週に何度か放課後残らなくてはいけないものだった。

美優を迎えに行けない。

どうしよう……。

放課後、廊下で立ち尽くす私に美久が気付いて近付いてきた。
『紗希帰らないの?』
『帰れない……こないだ引き受けた学祭の係の集まりがあるみたい』
『まじかぁ……私もバイト忙しくて変わってあげられないしなぁ……』
『大丈夫。その気持ちだけで嬉しいよ。なんとかする』

はぁ……幼稚園に電話しよう。 
迎え遅れるので延長保育お願いしますって。

こんなところで幼稚園に電話しているのが誰かに見つかったら大惨事だから人の少ない図書室の方に向かった。
そして図書室のドアに寄りかかりながらスマホで幼稚園の番号を探す。

ドンっ!

急に図書室のドアが開いて腰を打った。

『ごめん……人いると思わなかった……ってか、紗希じゃん。帰んないの?』
と中からドアを開けたのはサクだった。

事情を話すと、サクも去年学祭の係をしたがすごく忙しかったとのことだった。たまに7時を過ぎて帰ることもあったり。
『違うクラスだから変わってあげられないしなぁ……
そうだ。俺、美優迎え行って家で待ってようか?』
『助かる!お願いします!』
『わかった。幼稚園に俺が迎えに行くことだけ連絡しておいて。 あと家の鍵は?』
『美優のバックの中に鍵入ってるよ!』
『わかった。じゃあまた後で!』

持つべきものは友だな。
……本当助かった。
係の仕事さっさと終わらせて帰ろう。

係の話し合い中サクからメッセージがきた。

サク: 美優迎えに行って今公園で遊んでる

紗希: ありがとう!助かったー!

サク: 美優お腹すいたって言ってるから家で何か作っててもいい?

紗希: お願いします!!

そして、やっぱり係の話合いは週に2回もあるようだ。

次からは簡単になんでもホイホイと引き受けないようにしよう。
あと、一年の時からずっとかっこいいなぁって思ってた同じ学年のバスケ部の伊藤くんも違うクラスの係の担当だった。
『よろしく』って一言だけだけど……初めて話せて、ちょっとテンションが上がったけれど美優が心配すぎて内心それどころじゃなかった。

係が終わった頃には日も暮れて辺りは暗くなって街灯もつき始めていた。



ーー『ただいまー!美優ごめん!』

息を切らしながら家に帰ってくると
テーブルに座って夜ご飯を食べる美優と
キッチンで洗い物をしているサクがいた。

『おっ、おかえり』
『ありがとう助かったぁ』
部屋の中は焼き魚と味噌汁のいい匂いがした。
『あれ?冷蔵庫に魚なんてあったっけ??』
『いや、帰りに美優とスーパーに買い物に行ってきたよ』
『お金いくらかかった?』
『店員さんに半額にしてもらったから全然かかんなかったよ。あ、おばさんの分と紗希の分も作ってラップかけてあるから』

サクからレシートを手渡され、それを見てかかった金額が安くて驚く。
買い物上手だな。この男普段から買い物してるな。

『ってか、これからどうするの?係がある日は多分学祭終わるまでこんな感じになるよ』

『うーん……全然考えてない。ママに相談しよっかなぁ』

『おばさんと紗希が良ければ俺係がある日だけでもこんな感じで来たりできるからさ。連絡ちょうだい』

『ありがとう。でもそれで成績下がったりしたら悪いじゃん』

『勉強なんて授業さえしっかり聞いてれば楽勝だろ』

んんんっ。授業聞いてるけどいつも私成績ダメダメなんだが?

多分ものすごい要領がいいやつだから。自分ができることをあたかもみんなができるように言い切る。
それも全く悪びれた様子もなく。
この男はそういうとこが昔からある。

『美優はにぃにーが迎えでいい!』
サクと話していたらお嬢様がご立腹のようだ。

『うん。また幼稚園に迎えにいくからね』

サクに頭を撫でられながら、うん。と目をキラッキラさせながら大きく頷く美優。

そして、テーブルの上に散乱したトマトのへた……

こいつ……あれだけ嫌がってたトマト食べてるじゃんか。

『じゃあ俺帰るかな。美優の園からもらってきたプリント、テーブルの上に出しておいたからよろしく』

『ありがとう。今日は助かった本当に』

『うん。じゃあまた明日』

サクが帰ってから
作ってくれた焼き魚と味噌汁を温め直す。
ご飯も多分炊いてくれたんだ。
そして何よりキッチンがキレイになってるんだ。
使ったであろう箸と小皿とかもキレイに乾かされてるし
生ゴミもポリ袋に入れて小さくまとめられてる。

あいつは主婦か。

ご飯を食べ終えて私は残された大仕事に取り掛かる。

美優の風呂だ。

とにかく美優は風呂嫌いで特に頭洗う時は鈍感な私が近所迷惑を気にしちゃうくらいギャン泣き状態。
が、今日はサクが幼稚園帰りに遊んでくれた事もあってか。
お風呂に入る前からウトウトし始めていて
逃げ回るいつもとは違いとってもスムーズに美優をお風呂に入れることができた。
ここまでサクの恩恵が回ってきたのか……
あの主夫できるな……

美優の髪を乾かして寝かしつけた位に

『ただいまー』とママが帰ってきた。

それから私が係を引き受けてしまったこと。
あとサクが美優を迎えに行ってくれた事。
今日あったことを全部話した。

『そっかそっか。この味噌汁サクが作ってくれたんだねー。サク料理も上手いのかー』

『そうじゃなくって週2回ある係の活動の時美優の迎えどうするか?って話だよ』

『うーん。ちょっと由美にも相談してみるかなぁー。紗希が迎え行けない何ヶ月間はやっぱりキツいしね……』

『もしもーし。あっ、由美? こないだはイチゴご馳走さま!美味しかったー。 うんうん……』

由美さんとはサクのお母さん。
ママの学生の頃からの友達で小さいころからよくみんなでキャンプに行ったり、休みの日には外でバーベキューをしたり親交があった。
ママがシングルマザーになって働き始めた頃くらいからなかなかそんな時間も取れなくなってしまったけれど
ちょくちょく果物を送ってくれたり
何よりお母さんが働き始めたばかりの頃、私がまだ家事なんてしたことがない中学生の頃に
家事とはなんぞやを叩き込んでくれたのも由美おばさんだった。

ご飯の炊き方から粕漬け《かすづけ》の付け方まで。

他にも安い時に多く買って冷凍しておけ。

冷凍室はしっかり整理しておけ。
ここは子供達がアイスを冷やす場所ではなく家計の基盤だ。
などなど色々な生活の知恵を教えてくれた私の師匠みたいな人だ。

この頃から私の読む雑誌はティーン向けのファッション誌から主婦向けのものへと変わっていった。

『ほんと助かったぁ。じゃあ週二回くらいサクに美優の迎えお願いってお伝えくださいー!』

由美おばさんは快く引き受けてくれたそうだ。
家にいても何もせず体を持て余しているからガンガン使ってくれ。とのことだった。

由美おばさんと電話が終わってから、思い出したようにママが言った。

『由美に頼んじゃったけどさ、そういえばサクって部活大丈夫なの?』

『あいつ高校に入ってからずっと帰宅部だよ』

『そうなんだー。てっきりバスケット続けてるのかと思ってた。だって中学の時キャプテンとかしてたよね?』

『……』

また思い出したくない事思い出した。

私の表情を見てすぐママが何かを察した。

『紗希……ごめんね……』

ーーいつもいつも夢に見るんだ。

『うぅん。明日も学校だし朝早いからお風呂入ってこようかな』

仕方ない。仕方ないんだって自分に言い聞かせてたんだ。




ーー私のパパは地元の小学生のバスケット少年団のコーチをしていた。

そして私とサクも小学一年の頃からそのパパがコーチをする少年団でバスケットをしていた。

男女共に地区大会くらいならなんなく一位通過する県大会常連のチームだった。
特に私とサクが高学年だった頃は過去で一番試合で遠征に行くことが多かったとコーチが喜んでいたのを覚えてる。

小学生の最後の夏。
一度だけ初めて男子の部で全国大会に行った事があってパパは知り合いに片っ端から自慢してたなぁ。
結果は2回戦敗退で全国の壁を知って帰ってくる事になったその帰り道、パパが紗希もサクと同じチームでプレー出来ていればもっといい成績を残せてたって嘆いてた。

練習もハードでコーチも厳しくてそれに耐えきれず辞めていった子達もたくさんいたけれど
でもそれよりもバスケが楽しくて私の毎日はとても充実していた。

中学に入学すると、私とサクは一年からレギュラーで試合に出ていた。
その時の私は当たり前にやりたい事ができるって思ってたんだ。

その日までは。

中学2年の時。先輩たちの最後の試合が終わった夏。

その日も変わらずに放課後になると私は更衣室でユニフォームに着替えを済ませ体育館に向かった。

そして体育館へ向かう途中に廊下で先生とその時の女子バスのキャプテンが話し込んでいた。

『お疲れ様です』
そう言って通り過ぎようとする私をキャプテンは呼び止めた。

『ちょっと待って。練習前にちょっと大切な話があるの』

『紗希のこと、次期キャプテンに推薦したいと思ってるんだけど……紗希のやる気聞きたいなと思って』

『やりたいです!私にさせてください!』
私は即答だった。

キャプテンがしたい。
それもあったけれどでもそれだけではなくて
先生にもキャプテンにも自分の今までの頑張りを認められた感じがして嬉しかったんだ。

『一年の頃は紗希のこと生意気なヤツだなぁって思ってたんだ私』
キャプテンの突然の言葉にえっ?と驚く私。

『だってこないだまで小学生だった子が私よりも先にレギュラーになって試合でも先輩方引っ張って活躍してるんだもん。 でもね、私負けてらんないなって思って頑張れた。
紗希と同じチームで一緒にバスケできて良かったって思ってるよ』

キャプテンからそんな事言われるなんて思ってなかったから照れて頷くことしか出来なかったなぁ。

『来月みんなに紗希が次のキャプテンになるって報告するから、遅れずに部活きてね』

私はキャプテンと先生に頭を下げて体育館へ向かった。

有頂天だった。
来月が待ち遠しいなぁって。
ママにもこの事早く話したかった。

そして家に帰るとママとパパが珍しくリビングのテーブルに向かい合って座っていた。

『ただいま……』

『紗希?大切な話があるから座って』

そのいつもと違う異様な雰囲気を私は感じた。

もうパパとママと美優と私の4人でこうして会えるのは最後なのかな?って

二人は穏やかに私に話し始めた。

今まで二人で何度も話し合って決めた事。

これからはパパと私達が別々に暮らすこと。

離れて暮らしてもパパは紗希と美優の父親である事に変わりはないよと言葉は濁してはいたけれど
中学生の私でもわかる。

これは離婚なんだって気付いた。

詳しい理由はわからなかったけれど毎日のように続く二人の言い合いを見ていたから
今思うときっとお互いにもう限界だったんだろうな。と今では思う。

『でね、来週からママ今の職場でフルタイムで働こうと思ってるんだ。美優には保育園に通ってもらって……
紗希にもたくさん迷惑かけるかもしれないけどママ頑張るから』

パパが出て行ってから、ママは家の事を全部しながら朝から晩までフルタイムで働き始めた。

そんなママにばかり負担がかかる生活が続くそんなある日、職場でママが倒れたと学校に連絡がきて私は慌てて学校を早退しすぐ病院へ向かった。

過労による貧血だと看護師さんから聞いた。

ママは病院のベットで目を覚ますと
『大丈夫。心配させてごめんね』と笑っていたけれど

その時私はこのままじゃいけないって思ったんだ。

このまま変わらずにこんな生活を続けていればママが疲れて死んじゃうって。

私も自分のことばっかりじゃなくて家族を支えなきゃって

次の日、私は大好きだったバスケットを辞めた。

先生には家庭の事情と伝えて。

でもいつか終わりは来る。
学校だって3年間で卒業だしその後は社会に出て仕事につかなきゃいけない。
バスケットだってプロにでもならない限り続けることはできない。
その好きなことからの卒業の時期がみんなより少し早くきただけなんだ。
ただそれだけなんだってあれからずっと自分に言い聞かせてるんだ。




ーー朝起きるとママはリビングのテーブルで寝ていた。
テーブルの上にはママが普段あまり飲まないビールの空き缶が何本か置いてあった。
服も昨日の夜仕事から帰ってきたままだ。

ママもママなりに責任感じてるんだろうか。

壁にかけてあるカレンダーを見ると今日はママは昼からの出勤だったから、タオルケットをかけてそのまま寝かせておいてあげた。

それからいつものように自分と美優の幼稚園の準備をして美優を連れて早めに家を出た。

自転車で幼稚園に美優を送り届け学校に着くと
みんなは昨日の出来事の話題で持ちきりだった。

『おはよう!紗希!』

『おはよー。みんな何盛り上がってるの?』

美久は私の耳元に近づいて小声で話した。

『隣のクラスに鈴木君っているでしょ? ほらあの勉強すごい出来る。 昨日ね、他のクラスの子が近所のスーパーで幼稚園くらいの子と手繋いで買い物してるの見たんだって! みんな妹にしては歳離れすぎだし隠し子じゃないか?って噂してるんだ!』

それを聞いて固まる私。

やってしまった。

その勉強のすごく出来る鈴木君と一緒にいたのは私の妹なんだよ!ってみんなに言いたい。

言いたいけど、きっと……いや、絶対余計話がこんがらがる。


『し、親戚の子とかなんじゃないかなぁ? ほら!私も幼稚園通ってる妹いるしさ! 妹かもしれないじゃん!ははっ』
もう笑うしかなかった。

そしてサク……まじでごめん。
今すぐ助走つけて土下座したい気分。

私はその日の休み時間も図書室へ行った。
でも今日は本を読みたいわけじゃなくてサクにとりあえず謝りたくて。

図書室の前に着くとサクも図書室に入ろうとしているのが見えて周りを確認しながら呼び止める。

『サク、ちょっと待って!とりあえずごめん!』

急に謝る私に何が?と驚いた様子だった。

『昨日他のクラスの子がサクと美優がスーパーで買い物をしてるとこ目撃したらしくて、ちょっと噂になってるみたい……』

『だからさっきクラスのヤツに変なこと聞かれたのか。 そんなことで噂になるなんて暇な奴らだな』
とサクは少し笑いながら呆れている様子だった。

『ってか、雨降ってきたなー。 昼からある体育のマラソン中止になりそうだなぁ』
図書室の窓から雨の降る校庭を見ながらサクは少し嬉しそうに話す。

『私は少し残念だけど。長距離得意だからさ』

私の方に少し目先向けてサクはフフッと笑う。
『紗希は昔っから体力だけはバカみたいあるからな』

『ちょっと。体力だけはってどういう意味?』
怒る私を見て声を出して笑うサク。

なんかサクがこんなに笑ってるの久しぶりに見た気がする。
小学生の頃はいつも笑っていたイメージがあったんだけれど。
高校に入った頃くらいからあんまり笑わなくなって人とも深く関わったりするのを避けているように見えたから昔と変わらない笑顔が見れて少し嬉しくなった。




『5時間目の体育マラソン中止だって!体育館でバスケットみたいだよ!』教室でジャージに着替えながら笑顔で話す美久。

『……そうなんだ』

『なんか紗希嬉しそうじゃないね。バスケット嫌い?』

『別にそんなことないけど』

美久はフーン。と少し不思議そうな顔をしながらジャージの上着に袖を通した。

私は体育の授業でたまにあるバスケットは毎回見学していた。

あのボールの感触。そして床にボールがつく音。
そのどれもが色々な事を思い出させるから。
あれから私は一度だってボールを触ったことはなかった。

体育館に着いて授業が始まる前に私は先生に体調が優れないから見学させて欲しいと伝えた。
体育の授業の時は基本隣のクラスと合同でする事になっていて2年になってからはサクは隣のクラスになったから体育の授業は一緒だった。

女子が半分から奥側のコート。そして男子が手前のコート。
始めは2人1組になって軽いパス練習。
みんなが楽しそうにボールをパスし合っている中、私と隣のクラスの何人かの見学者が体育館の少し高くなったステージの端に座ってその光景を眺めていた。

『伊藤くんホントかっこいいよねー』
『私は鈴木くんの方がいい!』
と私の隣で他の子達は授業そっちのけで男子の方に見入っていた。

でも確かにかっこいい。異論は認めない。
そしてやる側ではなく見る側になると
なんというかバスケをしている姿は二割り増しで
魅力的に見えるなぁ。

それはそうとサクがバスケしてるところ久しぶりに見るなぁ。

一度聞いたことがあったんだった。
どうして中学3年間続けたのにキャプテンにもなったのに高校でバスケ部入らないの?って。
そしたらサクは飽きたから。って言ってた。
由美おばさんからサクがバスケが強い高校から推薦きてたのに蹴ったって言ってたし。
バスケット嫌いになったのかな。

なんてことを考えながら遠くの方でパス練習をするサクを眺めていたらサクと一瞬目が合った。
少し私はびっくりしたけど驚いたことがサクにバレないようにゆっくり目線を女子のコートの方に移した。

バスケットに未練がある事がバレないように。
私はただただ早くこの時間が終われとそればかり願った。

『はーい! じゃあパス練習おしまい! ミニゲームするから4組に分かれて並んでー!』
と先生が指示をするとみんなはパス練習をやめ並び始めた。

男子のコートでは一番始めのゲームはバスケ部の伊藤くんがいるチームとサクがいるチームが当たるようだった。

みんなが慣れない様子でポジションにつく中
真ん中のサークルに向かい合う伊藤くんとサク。
先生の笛の合図で高く上がったボールをすごい勢いで伊藤くんとサクがジャンプして2人の手の衝撃でボールが跳ねて試合が始まった。

伊藤くんのチームの人がそのボールを拾い、前の方に走る伊藤くんにボールが渡るとすごいスピードですぐさま2人を抜き去り、ゴール下でトトン助走をつけて上に飛び軽くボールを放り込む。吸い込まれるようにボールが輪をくぐった。

その伊藤くんのプレーを見ていた反対側のコートの女子たちは黄色い歓声をあげた。

一方のサクは味方からボールを受け取るとそのままワンタッチで他の味方へパスした。

その味方は相手が近づいてくると慌てて遠くの味方にパスしようとして伊藤が長い手を思い切り伸ばしそのパスをカットしてまたすごいスピードでドリブルしてシュートする。

すぐに点差が広がった。

そしてまた伊藤くんにボールが渡った時にその前にいたのはサクだった。

伊藤くんはボールをつきながら緩急をつけて抜き去ろうとするが、サクは冷静にトトンと軽く後ろへ下がり距離をあけてボールを見つめた。

伊藤くんは右に一瞬フェイントをかけ左側から強引に抜き去ろうとするが
サクはそれを読んでいたように左に手を伸ばす。

……あっ……ボール取れる!

そう思ったけれど伊藤くんはサクの手を振り切って抜き去った。

サクは伊藤くんを追わずにその場に立ち尽くしていた。

そして伊藤くんはそのままゴール下までドリブルをして長い手を伸ばしバックボードにボールを軽く当てボールをいれた。

また湧き上がる女子の歓声の中、伊藤くんは後ろにクルッと振り返りサクの元へと近づいていった。