4年前の春、僕は恋をした。
…一目惚れだった。
桜の木の下で優しく微笑む彼女の横顔は太陽の光に照らされてとても綺麗に見えた。桜を見つめる彼女は神秘的で、僕は目を奪われていた。
彼女はひとつ上の先輩だった。優しくて明るくて、誰にでも平等な他人思いの先輩に僕はどんどん惹かれていった。
先輩と出会って2年が経った3月、先輩は中学を卒業した。
「私、こんなに仲良い男の子、悠陽くんだけだよ」
いつもの屈託ない笑顔を僕に向けてそう言った。
「…はい、僕もです」
あと少し
あともう少しだけ僕に気持ちが向いてくれるようにと期待して同じ高校に入学した。先輩は驚きながらも歓迎してくれた。いつか、僕が想いを伝える覚悟ができるまで、もう少しこのままの関係が続けばいいと思って、それから2年が過ぎた。けれど、そんな淡い期待は虚しくも砕け散ってしまう。
廊下を歩いていると、先輩が元気よく走ってきた。
「悠陽くん!」
「せ、先輩?どうしました?」
「あのね!」
冷や汗が背中を伝う。嫌な予感がした。的中しなければいいと思っていても現実は甘くない。
その次の一言で僕は絶句した。
「私、彼氏が出来たの」
とても嬉しそうに報告してくる先輩は今まで見た笑顔の中で何百倍も可愛くて綺麗で
今までの何億倍も残酷だった。
「………そう、ですか。…おめでとうございます」
…僕の恋はもう、叶わない。

***

あの日から月日が過ぎ、もうバレンタインの時期に迫っていた。
…あれから先輩が彼氏と付き合って8ヶ月。僕ももう…諦めなきゃな…
溜息をつきながら一人暮らしをしているマンションの階段をのぼって自分の部屋に行こうとすると、いつもと違う風景が目の前に広がった。
「……えっ…先輩!?」
先輩は肩をビクッとふるせて恐る恐る顔を上げた。
「…悠陽くん…」
疲れきった表情の先輩にはいつもの明るさが見当たらない。なにかあったのか?
「こんなところでどうしたんですか!?大丈夫ですか!?」
「……」
「…先輩……」
ふいっと顔を逸らして答えようとしない。僕は諦めて先輩に手を差し伸べた。
「…ここにいると風邪引きますよ。今、温かい飲み物入れるので中に入ってください。」
先輩は最初戸惑った顔をしたが、ずっと待っていて寒かったのだろう、冷たくかじかんだ手でそっと僕の手を掴んだ。
先輩を家の中に招いたあと、直ぐに暖房をつけて先輩に毛布をかぶせて、ホットココアの準備をした。先輩の好物だ。準備が終わりホットココアを持っていくと先輩は少し不安げな顔をしていた。
「…先輩、なにかあったんですか?」
「……」
先輩は何も答えてくれず、肩を震わせてなにかに脅えているようだった。
「…教えてくれませんか」
「…悠陽くん…私…」
そこまで言いかけたところでやめてしまった。顔を覗こうとするといきなり先輩が立ち上がる。
「ごめん。私行かなきゃ。」
「えっ…ちょ、先輩!?」
慌てて止めようとしたが先輩は僕の静止を聞かない。
「待って先輩…待って!!」
腕を掴んで引き止めようとした。すると
「いたっ!!」
と顔を歪めて先輩が振り返った。
「あっ…ごめんなさい、そんな強くしたつもりありませんでした、大丈夫で」
「大丈夫だから」
と僕の言葉を遮って顔を逸らす。でも…と言おうとしたら、先輩の首が目に入って驚いた。
首筋に赤紫色に残る痕。
首を絞められたような…真新しいアザ。
それを見た瞬間、肝が冷えた感覚がした。サァっと血の気が引いていく。まさか…
「先輩、ごめんなさい、腕失礼します。」
「えっ?ちょ、悠陽くん!」
痛まないように手を掴んで袖をまくる。白い腕が伸びて1番に見えたのは、紫色に変色したいくつものアザだった。
「…先輩これなんですか。」
先輩は何も答えない代わりにクシャッと顔を歪めた。
「……これ、は…ちょっと転んだの…ほら私よく転ぶじゃん…」
確かによく転ぶけれどこんなアザができるような転び方は今までしていないし、転んだくらいで腕にアザなんかできない。しかもこんなにたくさん。何より…
「…そうですか。じゃあ首のアザも転んでできたって言うんですか?」
そういうと先輩は慌てて首元を抑える。
「…彼氏、ですよね?」
図星をつかれたように先輩は顔を逸らす。先輩は…彼氏に暴力を受けている。あんなに幸せそうに話してたのに。8ヶ月…彼氏の暴力に耐えていたんだ。何も答えない先輩に声をかけようとすると、先輩がぽつりぽつりと話し始めてくれた。
「…最初は、優しかったの。優しくて明るくて…でも、付き合ってしばらくしてから、束縛が激しくなって、最近は男の子と話してるだけで暴力振るわれるようになって…」
先輩は泣きそうになりながら一生懸命話してくれた。怖かったんだろう。
「…いなかったの」
「…え?」
「悠陽くんしか頼れる人が…いなかった。怖くて逃げ出しちゃったけど…ここにいるって知ったらきっと、彼はまた……」
先輩はとうとう涙を零しながら怯えたように声をふるわせる。きっと先輩のことだから、逃げ出したのは咄嗟で最初に思いついたのが僕だったんだろう。先輩、と声をかけようとすると携帯の通知音のブザーが勢いよく鳴り、僕も先輩も思わず肩を震わせた。メッセージの通知なんだろうが、いつまでも鳴り止まないブザー音に彼女はいっそう脅えた顔をした。彼からか。
「あ…私…………いかなきゃ、」
「え、ちょ…」
急いでバッグを持って準備をする先輩を僕は呆然と見ていた。
僕は…これでいいのか?先輩を置いてこのままで…。先輩は、まだ好きなんだろうか。もしそうなら、彼の機嫌を損ねないために、先輩に近づくのをもうやめるべきなんだろうか…。そう考えていると、ふと中学時代の先輩が脳裏をよぎった。振り返って屈託のない笑顔を僕に向け、優しく名前を呼んでくれる先輩。最近は、満面の笑みでいることが少なくなっていた先輩。
…もし、先輩が今の彼氏と一緒にいて、今までみたく笑顔でいられないのなら。
そんな彼氏に先輩を渡すわけにはいかない。
それに先輩が、家族でも親友でもなく僕を頼ってきたんだとしたら…
そう考えていたら、体が勝手に動いていた。
ドアに手をかける先輩を、後ろから力強く抱きしめる。
「…えっ、!?悠陽、くん!?!」
先輩は驚いていたが、そんなのお構いなく、僕ははっきりとした口調で先輩に言う。
「……先輩が彼氏から暴力受けてるのに、そんな彼氏のところに帰せるわけ、ないじゃないですか…」
先輩の体が心做しか熱い。ふと先輩の耳を見てみると、耳から首まで真っ赤だった。そんな先輩が可愛らしくて、僕を意識してくれているのが嬉しくて、ふ、と笑う。
「ゆ…悠陽、くん…」
震える手で先輩が僕の腕をそっと掴む。想いを伝えるのは、今
「先輩」
振り返った先輩と目が合う。どくん、と心臓が大きく脈打った。
もしも僕に、希望があるなら。
「僕じゃだめですか?」
僕にチャンスを。