レジの前で会計をしている早瀬の背中を見つめる。
 ここに通い始めた頃は短かった髪も、今では肩にかかるくらいまで伸びてきていた。
 もう少し長くてもいいな、と思って見ていると。

「早瀬さん、今、この前の返事をくれない?」

 レジに立っていた野村が話しかけてきた。

 ――この前の返事?

 訝しげに野村を見ると、かなり真剣な表情で早瀬を見ている。

「俺、来月から別の店舗に異動になるんだ」

 確かに野村は、うちのチェーン店の中でも一番の集客店に異動になった。
 それなりに実力のある奴だから、当然の結果でもある。

「もう、こうやって早瀬さんの髪を触ることもできない」

 そういって、セットしたばかりの彼女の髪に手を伸ばす。
 その様子に、胸がズキリと痛みが走る。

 ――触れるな。

 その気持ちが一気に膨らむのは、彼女に似合うようにセットした髪を乱されたせいか。

 いや。
 野村は俺が彼女を見送りするのをわかってて、俺の目の前でこんなことを言ってるのだ。
 完全に俺に喧嘩をうってるようなものだ。

「ごめんなさい」

 早瀬の小さな声が聞こえた。そして、その声は少し震えていた。

「ん、わかった」

 野村も無理に明るい声を出しているのが、俺にもわかる。

「はい、カードのお返しになります。あと、これ、新しいお店。ぜひ、俺を指名してね」

 そう、野村は次の店ではアシスタントからスタイリストに昇格する。

「黒川さんより、もっと素敵にスタイリングしてあげるから」

 野村がウインクをすると、チラリと背後にいた俺にも、挑戦的に微笑んできた。
 カチンときたけれど、ここは店内。そして、俺のほうが大人なんだ。
 そう言い聞かせて、グッと苛立ちを押さえると、店のドアをあけて出ていく早瀬を見送りに出る。
 そして、いつもなら、ここで「ありがとうございました!」と言うべきなのだろうけど。

「早瀬」
「え?」

 店の外に出たところで、担当美容師の顔を捨てた。

「俺も、この店からいなくなるんだ」

 その言葉に、真っ青になる早瀬。

「や、辞めちゃうんですか?」

 目に涙をためだしている姿を見ると、このまま抱きしめてしまいたくなる。

「違うよ。別の店舗を任されることになったんだ。今日は、それで本店に呼ばれてたんだ」

 そしてポケットから新しい店舗用の名刺を取り出すと、早瀬に渡す。

「ここ。ぜひ、こっちの店にも来てくれよな」

 ジッと名刺を見続ける早瀬。

「というか、来い」

 俺の声に、ビクッとしてから慌てたように顔を見上げてきた。

 ――まったく。

 強引に言わなきゃ、こいつはなかなか重い腰をあげそうにないな。
 ニヤッと笑って、早瀬の頬をつまむ。

「お前の髪は、俺専用。それに」

 顔を真っ赤にして見上げる瞳は、もうすぐ涙が溢れてしまいそう。

「付き合うのは、俺だろ」
「!?」

 もう、鏡越しではなく、互いの目を見て想いを伝えよう。
 大きく目を見開いた勢いで、ポロポロと涙が零れていく。
 そして、早瀬は俺に抱きつくと、俺のシャツを濡らしながら、胸の中で大きく頷いた。

▶ END ◀