男性にしては白くて細い指先で、濡れた私の髪をチェックする黒川さん。
 眼鏡の奥の、その眼差しは真剣で、当たり前だけど、プロの美容師なんだと、改めて思う。

「まだ伸ばしてるんだよね? 長さは整えるくらいででいいかな?」
「はい。お願いします」

 この人にだったら、お任せで大丈夫って思える。
 この人なら、私に似合う髪型にしてくれるはず。

「何? どうかした?」

 鏡越しに、あんまり私がジッと見つめていたからか、髪から目を離さずに声をかけてきた。

「いえ、なんでもないです」

 慌てて目線をはずして、鏡の前に置かれている雑誌に手を伸ばす。
 パラパラとページを捲っても、どうしたって黒川さんから意識は離れない。
 そして、雑誌の見開きのあるページに目が留まる。

『○○美術館、この夏オープン』

 建物全体の写真がデカデカと載っている。

「ああ、それ、今度オープンする美術館だってね。」

 雑誌に視線を向けながらも、髪を切る手は止まらない。

「かなり大きい美術館みたいですね」
「何、早瀬さんは美術館とか好きなの?」
「あ、いえ、ちょっと仕事で」
「?」

 正直、まだ、迷ってる。
 本当に私なんかでも、大丈夫なんだろうか、と思っている。
 ふと、鏡越しに黒川さんを見つめた。
 この人だったら、何と言うだろう。
 私は、つい、ポロリと言ってしまった。

「実は、ここのミュージアムショップの店長の話が来てるんです」

 黒川さんの目が、驚きで見開かれた。

「すごいじゃないか」
「そうなんですけど……ちょっと、自信がなくて」

 目線は雑誌の写真に向かう。
 こんな立派なところのショップの店長とかなんて、分不相応なんじゃないんだろうか。
 私で大丈夫なんだろうか。

 再び、迷いの渦に巻き込まれそうになっていた。
 そんな私の顔の両頬に、黒川さんの大きな手が触れた。

 ――えっ?

 そう思ったと同時に、クイッと顔を上げられる。
 鏡の中の黒川さんと目が合った。

「大丈夫だよ。早瀬さんなら」

 力強い眼差しで、私を勇気づける黒川さん。
 だけど、私の方は、黒川さんの手の熱が伝わってきたというだけなのに、身体中が沸騰しそうになってる。
 自分でも不謹慎ってわかってても、どうしようもない。
 鏡の中の自分が、びっくりするぐらい真っ赤になってて、それを見た黒川さんは、ニヤリと、悪い顔をした。

「何? 意識しちゃった?」
「なっ!?」

 この悪い大人を、どうにかしてほしい!
 結局、いっぱいいっぱいになってる私をよそに、黒川さんは楽しそうに私の髪を整え始めたのだった。