「逃げられたですってぇえっ!?」


ビリビリと空気が振動するような叫び声が、社長室から外にまで漏れてくる。

フロアにいた数名の社員たちは、一斉にブラインドによって遮断されたガラス張りのその部屋へ目をやり、休日出勤した自分を呪った。

今朝一人のタレントがスタジオから行方不明になっており、マネージャーが捜索中だということは、すでに全員が把握している。
あの怒声から察するに、まだ見つかっていないらしい。


彼らのボス――小早川潤子(こばやかわじゅんこ)は、通常モードなら冷静沈着なキャリアウーマンである。若干合理主義的な面はあるが、経営者にありがちなパワハラ気質ではないし、声を荒げるような場面も見たことがない。

ところが今日は、朝から何もかもがおかしい。
一体どうしてしまったのか……

再び静かになった社長室からはがした視線を、社員たちはチラチラと落ち着かなげに交わし合う。

するとその時、バタンッとドアが開いた。
出てきたのは、黒のバーキンを手にした潤子である。
みんなが固唾をのんで見守る中、一番近い位置に座っていた古株の社員へ声をかける。
「ねえ、宇佐美君と連絡は取れた? 行けそう?」

「すみません、携帯がつながらなくて。代わりに酒井と辻を行かせました」

申し訳なさそうに返され、美しい顔が束の間曇った。

穴の空いたスタジオのフォローは、できれば宇佐美に行かせたかった。
彼ならうまく収めてくれそうだったのだが……。
しかし、今は時間との勝負だ。贅沢は言ってられない。

「そう。誰か行ってくれたんならいいわ。今日は土曜だしね」

淡々とした口ぶりをどのように解釈すればいいのかと全員が戸惑っている間に、潤子は足早にドアへと歩き出していた。