思わず、お互いに飛ぶように離れた。
 背後に黒々とたたずむ大きな影。兄ちゃん、怖いからっ。
 その後ろには、ニヤニヤした一馬。

「に、兄ちゃんっ」

 あたふたした私をよそに、遼ちゃんは颯爽と立ち上がった。

「は、はじめまして。坂本 遼です」

 き、切り替え早くない?

「……ん? 坂本 遼?」

 眉間にシワを寄せる兄ちゃん。怖いよ、怖い。でかいだけでも十分怖いのに。

「あああ、あのおデブちゃんかっ」

 その一言は、意外にも遼ちゃんのプライドを傷つけた模様で、血の気のひいた顔してる。

「くくく、遼ちゃん、おデブちゃんだって」

 一馬は、意地悪そうな顔して笑ってる。

「てか、全然別人、ん? でも、なんか、どっかで見たことある顔だなぁ」
「吾郎兄、俳優の相模 遼って知ってる?」
「ん、ああ、なんかCMかなんかで……って。んぐぁっ!? まさか?」
「そ。そのまさか。」

 一馬はずーっとニヤニヤしっぱなし。
 私は兄ちゃんの顔を見られず、下を向きっぱなし。
 遼ちゃんは……遼ちゃんは、真っ青な顔してるけど、兄ちゃんに正面切って向かい合ってる。

「で、お前ら、つきあってんの?」

 人気俳優の『相模 遼』という衝撃から、なんとか復活した兄ちゃん。
 兄ちゃんは、私たちの会話は聞いてなかったみたい。

「今、了解もらったとこです」
「ふ……む」

 腕組して、見下ろす兄ちゃん。

「ちょっと、あっちで話そう。」

 ちらっと私を見た後に、顎だけで、場所を指示した兄ちゃんに、素直に従う遼ちゃん。

「こ、こえぇぇ。俺だったら、絶対嫌だ。」

 お前が、連れてきたんじゃないかぁぁぁっ! という心の声はが届いたのか、睨みつける私に、

「だ、だって……面白そうじゃないっ?」

 最後には、にへらにへらと笑う一馬。他人事だと思って。ため息しか出てこない。
 ふと、離れていった二人の姿を目で追う。
 まるで、悪いことが見つかった生徒と、それを注意してる先生、みたい。遼ちゃんは、けして、背が低いわけじゃないけど、兄ちゃんと比べると、ほっそりとして小さく見える。
 ジリジリと、二人が話終わるのを待つ私たち。

「一馬、帰るぞっ!」

 唐突に声をかけてきた兄ちゃんに、

「えぇ? もう終わり~? もうちょっと、ガッと殴るとか、そういう修羅場を期待してたのになぁ」

 ぶつぶついいながら、一馬は兄ちゃんを追いかけていった。
 そんな一馬とすれ違いながら戻ってきた遼ちゃんは、何も言わず、私の隣に座った。

「兄ちゃん、なんだって?」

 顔を覗き込む。

「お前に、美輪が守れるのか?、て言われた。」

 守る?
 遼ちゃんの困ったような笑顔。

「僕は、俳優だから。いろいろ……ね。そういうのに、一般人の美輪さんが巻き込まれてしまうことが心配みたいだよ。」
「……」
「今までもそうだけど、実際、会える時間って少ないと思うんだ。残念ながら」

 遠い眼差しで寂し気に前を見つめる遼ちゃん。

「それに。僕が何もやましいことしてなくても、美輪さんが誤解をするようなことがあって、傷つくかもしれない」

 ふと、昼間の情報番組とかの芸能ニュースでの報道を思い出す。でも、今一つ、自分のことになるという現実味がまったくわかない。

「でもね。美輪さん」

 隣にいる私の目を見る遼ちゃん。

「僕、美輪さんを諦めたくないんだ。やっと会えたんだもの」

 彼の右手が、私の頬をなでる。こんなに暑いのに、指先はひどく冷たい。

「正直、守ってあげられる自信はない。今の僕には。それでも、僕のそばにいてほしいんだ」
「まるで、プロポーズみたいだね」

 遼ちゃんがあまりに真剣すぎて、真剣になるべきなのだろうけど、なぜか笑ってしまう。

「そう思ってくれても構わない」

 表情も変えずに応える遼ちゃん。私の方が、まさか、と思う。だって、結婚とか考えるような年でもないじゃない。

「何言ってるのよ。兄ちゃんに何か言われたから?」
「それもある。僕は、それぐらいの覚悟しなきゃいけないって思った」
「遼ちゃん、まだニ十一歳でしょ。早いって、そこまで考えるのは」

 思わず、ため息。

「それに。私、今、仕事楽しいし。そして、これからどんな出会いがあるかわからない。私にも、遼ちゃんにも」

 見上げた夜空は、住宅地の灯りで星も見えない。

「まずは、つきあうだけ、つきあってみようか……私、初彼氏が、遼ちゃんなのは、普通にうれしいし」

 ニヤッと笑いながら言うと、嬉しそうな顔をする遼ちゃん。もう……どんどんはまっちゃうじゃない。遼ちゃんに。
 遼ちゃんは優しく抱きしめてくれた。
 そして、耳元で囁く。

「じゃあ、バージン、ちょうだっ……げふっ」

 遼ちゃんのお腹にストライクっ!
 せっかくのいい雰囲気に、何言ってくれてんのっ! ベンチに倒れ込んだ彼を置いて、家に戻る私なのであった。