『あなたを待っています。って意味なんだよ』

都心から少し離れた静かな場所にあるアンティーク調の店の前で
エプロン姿に髪を後ろに束ねた女性が少女に話す。
少女はへぇーと頷く。
『この花はね。お姉さんにとってすごく大事な花なの。
だからね、ここのお店の名前も花の名前なんだよ』
『ここってお花屋さんなの?』
『うぅん、違うよ。美味しいものを食べるところ。
今度パパとママと一緒に食べにきてね』
うん。と少女は女性に手を振って笑顔で何処かへ走っていく。
そしてその女性はエプロンのポケットから小さいメモ帳を取り出す。
そこには今日の予約の名簿らしき名前が書かれていた。
『いちじ…かお…17時…いし…まい…17時半……
今日も予約たくさんだなー。頑張ろっ』




ーーしたい事が何も見つからない日々。
そんな日々を変えたくて求人誌でお洒落そうなレストランにバイトで働きたいと電話した。
落ち着いた優しい男性が電話に出て
『学生のかたですか?』
『はい、大学に通っている二年の吉岡《よしおか》ユイというものです』
『よければ今日履歴書を持って面接にこれますか?』とのことだったので学校帰りにバイトの面接を受けにいつもより早めに準備を済ませて電車に乗って面接へ向かった。

帰宅時間って事もあって車内の中は割と混んでいて騒がしかった。
ユイは入り口付近の吊革に掴まって奥の方へ目をやると
そこには老人が立っていて、そしてそのすぐ前にはヘッドホンで音楽を聴きながら目を瞑っている青年がいた。

私と同じくらいかな。

老人は沢山荷物を持って辛そうにしていたのを見てユイは堪らなくなってその青年に近付いた。
『ちょっと!すみません!』
席を譲らないかと注意しようとするが
ヘッドホンで私の声が聞こえなかったのか無反応の青年。
ちょっとムッたしたユイは青年のヘッドホンを両手で広げ
『おじいちゃんに席譲ってあげたらどうですか?』と声を荒げて言った。
そんなユイをなだめる老人。
『この男の子がさっき席を譲ろうとしてくれたんだが、私は次で降りるから大丈夫だよ。と断ったんだよ』
そして、電車が次の駅で停車すると老人がありがとう。と言ってすぐ降りてしまう。
『お節介なヤツ……』
青年はズレたヘッドホンを元に戻しながら呟く。
何も言い返せないユイは顔を赤くしながら、逃げるようにして移動した。
てか、お節介なヤツって何!?と独り言を言いながら隣の車両の小窓からヘッドホンをつけた青年を睨んだ。


ーーこれから面接のあるレストランは私の家から歩いて十分くらいのところにあった。
学校へはいつも電車通学で駅を二つまたいだ所にある。
目的の駅に到着した後、そのまま改札を出てユイはスマホを見ながら少し早い時間ではあったが面接のある場所へと向かった。
その後ろに先ほど電車の中でトラブルとなった青年が居るのに気づいたユイは後ろを振り返り。
『さっきはごめんなさい』と言った。
その時もヘッドホンで私の声が聞こえていないようだった。
謝ろうと思ったのに…何なのこいつ……
そのユイに気付く青年。
『なんなの?まだ言いたいことある?』
呆れた顔をする青年。
『はぁ?ってか、何なんですか?つけてこないでください。嫌がらせですか?』
『あのさぁ……まぁいいや。ただ行く方向が同じなだけ別につけてるわけじゃないし』とその青年は言った。
二人とも早歩きであたかも競うように目的の場所へ距離をとりながらお互い向かった。

駅近辺のお洒落なブティックやショッピングモールにからは少し離れた落ち着いた場所にあるイタリアンのレストラン。ここが今日の面接場所だ。
よしっ!がんばれ私!と意気込むユイ。

まだオープン前なのか正面の玄関は開いていなかった。
今日の昼もここの店へ電話した時裏口から入るように言われてたとユイは思い出し、そうだった。と独り言を言いながらそのまま裏口へと向かった。
先にレストランの裏口に立っていたのはさっきの青年だった。
『もしかして……お前もここに用あったの?』
『そうだけど、だから何?ってかお前ってなんなの?』
初対面で名前も知らない相手にお前なんて言われる筋合いはない。
私が言われて一番嫌な言葉だ。
ってか従業員か何かなのかなぁ……嫌だなぁ。

言い合いをしながら青年の後に続いて裏口から入ると。
中には長身で端正な顔立ちをした男性が一人立っていた。
その長身の従業員らしき人はユイを見て
『あれ?今日面接予定の吉岡さん?』と言った。
さっきの電話の声の人だ。
そして言い合いをする二人を見ながらその男性は
『はじめまして店長の一条です。……というか吉岡さん、優一郎と知り合いだったの??』と不思議な顔をした。
すると二人は大きく首を横に振り、わざとらしく大きく距離をとった。


ーー『吉岡さん大学二年生って言っていたよね。バイト経験はある?』と準備室らしきところで椅子に座りながら一条が聞いた。
『いえ、バイトの経験はありません』とユイがそういうと
ユイの真後ろの準備室の入り口のドア枠の所にもたれながら優一郎というらしきこの生意気な男は
『こんな強気なやつウェイターだったら客がびっくりして帰っちゃいますよ店長』と皮肉たっぷりに言った。
『んー、優一郎? 女性はちょっとぐらい強気な方がいいんだよ』と笑う一条。
後ろを振り返ってあっち行ってよ!とユイは小声で優一郎を怒った。
ユイの履歴書に大体目を通して一条は業務内容の説明を始めた。
でもユイは一条の声に聞き惚れるばかりで説明が全然頭に入ってこない様子だった。

一条さんは余裕がある魅力的な大人の男性。
聞き惚れてしまうようなその低い声がとても落ち着く。
きっとこの人はとてもモテるだろう。多分。いや絶対。
女性がほっとくはずがない。

一条はユイの履歴書をファイルにしまいながら続ける。
『うちの店は試用期間を設けるつもりはないんだ。制服を着てお客様に接客をするってことは、もう入社したてだからとかはお客様には関係ない事だから。お客様にとって最高の1日となるような接客してほしい。 一週間でうちのメニューとその特徴を覚えてもらいたい。これが条件なんだけど…吉岡さんできるかな?』

『はい!頑張ります!』と元気に返事をした。
一条はまた優しい笑顔に戻り、ユイと握手をした。
『頑張ってね。一週間一緒に働けるのを楽しみにしているよ』

今思うとここが私のいわゆる人生のターニングポイントだったんじゃないかな?と思う。
でもそれは偶然。とかじゃなくきっと初めからそうなることがもう決まっていたかのような気がしていたんだ。

とっても辛くて、とっても切なくて。

沢山泣いて。

でもきっともう一度やり直せることができるとしても

私はまたこの道をきっと選ぶ。きっとあなたを選ぶ。




ーー『料理の勉強?』そう尋ねるのは、ユイと同級生の舞だだ。
舞は大学に入学した時に一番初めに声をかけてくれた。
私の大切な……いわば親友だ。
『うぅん、違うよ! これは…ほら!この間言ってた私のバイト先の覚えなきゃいけないメニューのマニュアル!』
そう少し厚めの情報誌ほどのマニュアルをまじまじと見ながら答えるユイ。
『へぇー、すごく熱心だね。ってか、このミ•ピアーチェってレストランこの間テレビでやってたの見た! イケメンのシェフがいるとこじゃん!』
舞が言っているのはきっと店長の一条さんのことだ。
というか……テレビに出てたんだ。有名なところだったんだな。
そして確かに背が高くて、女性受けが良さそう店長さんだったなぁ。
『ユイ、店長さんと働きたいから頑張ってるんでしょ??』
と舞はユイの頭をポンポンと軽く叩いた。
『違う違う!親からの仕送りだけじゃ正直ちょっと生活がきつくてちょうど情報誌に求人が載っててそれで面接に行ったんだよ』
舞は口ではへぇーそうなんだ。
とは言うもののきっとこの顔は私のことを信じていない目だ。

私は自分で言うのもなんだが暗記は得意だ。
ほとんどのメニューを覚えた。
でもスープの部分だけまるっきりない……写真も。

今日学校帰りにお店に行ってみよう。

ユイは学校帰りにレストランへ寄ることにした。




ーー学校が終わると駅で舞と別れて店の方へ向かった。
入り口には定休日の札が貼られている。

今日は休みか…そう思い帰ろうとしたが裏の厨房の窓が少し空いていて中からとてもいい香りがしてくる。
誰かいるのかな?そう思い裏口に向かうと鍵はかかっておらず、ユイは小さい声で失礼しまーす。と言いながら中へ入る。
少し悪いことをしている気分だなと思いながら、
いい香りのする厨房の方へそろりそろりと向かうユイ。
そこには一人でキッチンで何やら作業をしている優一郎の姿があった。
面接の日に見た彼とは違い真剣な顔で何やらスープのようなものを作る姿。
あの時とはまるで別人のような姿に少し見惚れるユイ。

ガタン!ユイは見惚れるあまりゴミ箱を倒す。

優一郎は突然の物音に少しビクッとしながらこちらに気付く。

『びっくりしたー。電車女じゃん。なに?』
とまた無愛想な対応。
『誰が電車女だよ。店長に貸してもらったメニューのマニュアル。スープのところだけ全くなかったから聞きにきたの。それだけ!』とカバンからマニュアルを出し優一郎に見せびらかした。

それを見た優一郎は
『店長……一番大事なスープ忘れるなんて抜けてるな』とブツブツと文句を言いながら奥のキッチンへ戻る。

『店長いないなら私帰るね』そう言って帰ろうとした時。

『スープは俺担当なんだ。そんなマニュアル見ただけじゃわかんないだろ。そこ座ってろ』そう言って作業をまた始めた。

口は悪いけど……悔しいけど…とても手際が良い。
一人暮らしの自分よりも俄然うまい包丁捌きに見惚れる。
そしてそして料理をする男性ってなんかいい。
これは私のフェチか……

『なんかすごいね。私と同い年で。こんなオシャレなレストランで仕事してるんだもん。私なんて将来自分がやりたい事も見つかってないのに』
『それでもいいんじゃない?それ見つけるために大学に入ったんじゃないの? 俺は高校時代に自分やりたい事が見つかったからここで働こうって決めたし。
今はしっかり考えれば良いんじゃない?』

優一郎の言葉に何も返す言葉が見つからなかった。

『でも、少し見直した』と優一郎は言った。
思いがけない言葉にユイはへっ?と驚いた。
『このマニュアル見たらさ、しっかり頑張ったんだなってわかるから』
要点をマーカーで線を引いていたり、付箋でメモを書いたり
お世辞にもあまり綺麗とはいえない状態のマニュアル。
それはテスト前など暗記する時のユイのくせになっていた。

『うちがテレビに出てからさ、ほんと多いんだ。ただ店長目当てのやる気のない奴が応募に来たりとか』

よし。と優一郎はキッチンの火を止め慣れた手つきで綺麗な真っ白い皿を何枚か持ってきて、それぞれに違うスープを注いだ。

あまりの良い香りにユイはお腹の音が鳴りそうになるのを必死で堪えた
『うわぁ。美味しそう…お店のやつみたい…』
『いや、店のやつだから』と少し笑いながら突っ込む優一郎
『食べてもいい?』
『もちろん』
ユイがスープの用意されたテーブルに座ると
優一郎は真正面の椅子にちょこんと座り
頬杖をしながらユイを見つめる。
『美味しい……』あまりの美味しさに目をまん丸くするユイ
『今食べたのが…ミネストローネのスープ』
『えっ…ミネストローネってトマトの?これ全然赤くないけど……』
『うん。トマトは入ってるけどね。色々な野菜の味が楽しめるようにしてるんだ。本場でもミネストローネは日本みたいにトマトベースではないみたい』
『へぇーそうなんだ』
それぞれの料理に合うスープ。そのスープの特徴を一つ一つ丁寧に話す優一郎。
ユイは忘れてはいけないと思いながらスープを味わいながら時折優一郎の話す内容をメモしたりした。

気づけば夕日は沈んで辺りは暗くなり窓から街灯の光が見えた。

『悪い。話長くなっちゃった』と、謝る優一郎。
『うぅん、すごくわかりやすかった。ありがとう。てか、本当に料理の話してる時楽しそう。料理が好きなんだね』
そして制服のアルファベットで書いているネームを見てユイは佐藤くんありがとう。と少し照れながら言った。
『佐藤くんってこの店きてから初めて言われたわ。同い年なんだし優でいいよ』
『うん、じゃあ優。今日はほんとにありがと。私はユイでいいよ』
『ユイ頑張れよ。来週からよろしくな』

初対面の印象は最悪だった。こんな奴と一緒に働くことになるなんて…って思ってた。
正直なところ面接なんてくるんじゃなかった。とまで思ってた。
でも今日ここへ来てよかった。
スープのことに詳しくなった……
うぅん、それだけではなくて優の意外な一面を見られる事ができたから。




ーーそれから何日かすぎ、とうとう初出勤の日となった。
あれから店長に一度店に呼ばれどこまで覚えたかの確認があった。私にとっての入社テストのようなもの。
優が丁寧に教えてくれた甲斐もあって、しっかり覚えていると店長に褒められた。

…でも後日談は一週間で全部覚えさせるつもりはなく。
ただ私のやる気を試したかっただけらしい。
けど意外なことに私が暗記が得意なこともあってほとんどのメニューを覚えていたことに一条さんはびっくりしたらしい。

初出勤の今日も平日だからもちろん学校はあって
それどころか最近バイトのことに熱中し過ぎて学校の課題が溜まったりしていた。
私の勤務時間は基本ディナーの予約で忙しくなる夕方からだった。

でも、ばっちり暗記しても…私にとって初めての仕事だし
そのはじめての出勤ともなると緊張する。

『学校帰りにカフェ寄ってかない?』ととぼけた顔で聞いてくる舞の頭にユイは軽くチョップした。
『だーからー、何回も言ってるじゃん。
今日からバイトなの!』
『そうだったそうだった。でもバイト始まったら一緒に帰る事も少なくなっちゃうね』

確かに。と私は思った。毎日のように一緒に帰って一緒に買い物に行ったり、異性の話をしてキャーキャー二人で盛り上がったり。
周りから見ればくだらないと思うかもしれないけれど
私にとってはとっても自分でいられる大切な時間だから。
『会える回数は減るけど、この気持ちは変わらないよ』
教室で抱き合う二人。恋人か!って感じだけど…
でも私にとっては恋人よりも大切な友達。まぁ、恋人なんていないけど

学校が終わり同級生にまた明日ねと別れ告げて
急足でバイト先へ向かった。




ーー店へ着き、裏口から入ると厨房では大忙しで作業する人たち、その中に優もいた。
一条はユイの姿に気付くとおつかれ!と爽やかスマイルで近づいてくる。
『あ、お疲れ様です。今日からよろしくお願いします』
それから一条は制服を渡すからといいながらユイを奥の方へ案内した。
奥にはユイの渡された制服と同じものを着て髪を縛る一人の女性がいた。
自分と同じくらいか少し上かなと感じた。
明るめの髪に、少し濃いめの化粧。ちょっと遊んでいそうな雰囲気は私とは真逆なイメージだなぁって、感じた。
『この子ユイちゃんと同じ接客業務の小田桐 沙耶《おだきり さや》ちゃんだよ。
半年くらい先輩かな。沙耶ちゃん色々と教えてあげてね』
そう言って一条は厨房の方へと戻っていった。
『よろしくね』と沙耶は笑って言った。
『はい、よろしくお願いします』少し緊張しながらユイが答えた。
更衣室で着替えを済ませてホールに出ると
何名かのお客様が食事をしていた。
『まずは今日のディナーの予約の確認ね。
あとお客さんの注文を聞いてキッチンに伝えて運んだり…
あと、初めてのお客さんはおすすめを聞いてきたりするからそれに答えたりかなぁ』
今日1日の流れと一通りの作業を教えてもらい、キッチンへ入る沙耶とユイ。

『お疲れ様でーす』沙耶香の声に
厨房の人たちが作業をしながら挨拶を返す。
キッチンこ一番離れた場所にいる優一郎はユイの姿に気付き手を前に出して親指を上にあげグットサインをする。
頑張るね。と気持ちを込めながら両手でグットサインを返すユイ。
『ん?優一郎くんの知り合い??』と沙耶香は不思議そうな顔をする。
『まぁ……いろいろとありまして』と照れながら返すユイに
ふーん。と沙耶は少し不満げな顔をした。

そうしてバイトの初日が始まった。

初日のことは今でも覚えてる。沙耶について回るのだけで本当に精一杯で、接客も初めてだったから緊張でただただ必死で時間はあっという間だったな。




ーー働き始めてから一週間ほどが経った。
仕事にもほんの少しだけ慣れてきて、
そして自分なりに楽しさも見出していたりした。
自分がお客さんに勧めた料理を注文してくれて、そしてそれを美味しいって食べてくれる瞬間が最高に嬉しいってやりがいを感じていた。

沙耶とも仲良くなってきて仕事中も私語が多すぎて、
たまーに店長に大きい咳払いをされたもする。

そして、今日は学校は休みだけれど夕方からバイトが入っていた。
昨晩バイト帰りに沙耶にバイト前に一緒にご飯に食べに行かない?と誘われて、
待ち合わせたファミレスにユイは向かっていた。

ファミレスの前で沙耶と待ち合わせて、二人で店の中へ入った。
ドリンクバーを頼んでポテトを食べながら
学校のことや将来どんな仕事につきたいか、バイトの事話は尽きなかった。
『ユイって彼氏いるの?』沙耶の突然の質問にユイはコーラを吹き出しそうになる。
最後に付き合ったのはいつだろう。
高校二年の時?だいぶ前のこと過ぎて元カレの顔もうる覚えになっているくらいだった
『へぇー、モテそうなのにね。私も恋人いないけど』とジュースを飲みながら沙耶が話す
『好きな人とかは?』とユイが聞く。
『高校生の頃からずっと片思いなんだー』と少し寂しそうに沙耶が言った。

話を聞くと少し年上かと思っていた沙耶はユイの一つ下だった。そして何より驚いたのが言い方は悪いけど少し遊んでいそうな雰囲気なのにとても一途なところだった。

『でも、私の好きな人ユイも知ってる人だよ』と沙耶
『えっ!?』とユイが驚いたのと同時に

後ろの席で、どうなってるんだ!!と店員に怒鳴る中年の男性がいた。
その声に驚くユイと沙耶。
男性の料理の中にビニール袋の切れ端が入っていたようだった。
それを男性は指でそれをつまみあげ、奥から社員らしき人が何人かテーブルに集まり中年の男性に頭を下げていた。
皿を見ると男性はほとんど料理は食べているようだった。
平謝りする社員に見送られ会計をせず出て行く中年の男性。
店から出て行く一瞬中年の男性がニヤッと笑ったようにユイには見えて何やら違和感を覚えた。
『そんなに怒ることかね?私なら気付かないで食べちゃうけどなー』と沙耶は言った。
スマホを開き時間を確認すると思っていたより長くいてしまったことに二人は気付き
急いで会計を済まし駆け足でバイトへ向かった。

今日はいつもより少し早い時間からの出勤でまだオープンまでには時間があった。
店に着くと優一郎と店長がホールのテーブルに花を飾っていた。
『綺麗な花だね』と突然のユイの声に少し驚く優一郎。
『クロッカスって花らしい』
へぇー、綺麗だねと花に見惚れるユイ。
『この白いクロッカスにはあなたを待ち続けるって花言葉があるらしいよ』と花瓶を触りながら優一郎は言った。
真顔で話す優一郎に吹き出すユイ。
花言葉とか似合わないと涙が出るほど笑うユイに
店長が言ってたんだと照れながら優一郎は言い訳をした。

この花はここの店を経営するオーナーが花屋の方も経営していてそこから仕入れていると聞いた。
そのオーナーは香織さんという店長と同じ位の年齢の若い女性で、たまにバックヤードで一条と話している黒髪でスーツのとってもよく似合う大人の女性だった。
一条とそのオーナーが並ぶ姿にいつも少し見惚れる程お似合いのようにユイには見えてた。

その日はディナーの予約もほとんどなくいつもよりも空いていた。
そしてラストオーダー間近になって一人の中年の男性のお客さんが店へと入ってきた。
どこかで見覚えのある人……でもユイは思い出せなかった。
注文を聞くと一人分には少し多いかな?と思う程頼んでいた。
他にお客さんもいなかったので料理が出来上がるまでホールのテーブルを拭きながらユイはあの中年の男性が誰だったか考えていた。

しばらくして料理が出来上がり、その中年男性のテーブルに運ぶと、ありがとう。気さくな感じで会釈をしてくれた。

食事をほとんど食べ終わり何杯か頼んだワインを飲み干しそうになる頃、男性が何やらポケットに手を入れてコソコソしているのにユイは気付いた。

はっとする。この人、昼にファミレスで怒鳴り声をあげていた人だ……
周りを気にしながらポケットから何かを取り出し皿の中に何かを入れたことにユイは気付く。

そして『なんなんだこれは!』と大声をあげる中年の男性。
その声に気付き裏から一条や優一郎たちが飛び出してきた。
料理の中にゴミが入ってたと怒鳴る男。
そしてそれに反論するユイ。
『今私ポケットから何か出して料理に入れるとこ見たよ!?』と怒鳴るユイ
『なんなんだ!この店員は!責任者を呼んでこい!』
一条は言い返そうとするユイの前に立ちその男性に申し訳ありませんと深々と頭を下げた。
それでも食い下がらないユイ。

『あんたがゴミを入れたその料理作るために……
みんながどれだけ頑張ってると思ってるんだよ!』

休みの日もスープを準備する優一郎の姿が目に浮かび、怒りよりもただただ悔しくて涙を流すユイ。
もういいからと後ろからユイの肩を押さえる優一郎。
『誠に申し訳ございませんでした。お会計は結構ですので』頭を下げる一条に並び優一郎も帽子を取り頭を下げた。
悔しくて、それよりも悲しくてユイは涙を拭きながら頭を下げずにいた。

その男性が帰ってからユイは一条に
沙耶と出勤前にファミレスであの男性がここの店と同じことをしていたのを見たこと、そしてポケットから何かを取り出して料理に入れたことを話した。
それでも、こっちに全く非がなかったとしても感情的になるのはいいとじゃないとユイは一条に注意された。
そして最後に一条は、みんなの気持ちを代弁してくれてありがとう。そしてユイはやっぱり少しオーナーに似ていると笑った。
私があのクールに見える大人の女性のオーナーに似ているとはどういうことだろうと思いながらロッカーで帰る支度をして店を出た。
店の外には優が待っていた。
ユイに気付くと『よっ』と手を挙げた。
『一緒に帰ろ』
『う、うん』

閉店した商店街の前を二人で歩く。
優一郎は自転車に乗らず手で押しながら歩いていた。
『でね、さっき一条さんがね、私がオーナーに似てるとか言うんだよ?』
確かに強気なところが似ていると笑う優一郎。
『俺、オープンしたばかりの頃からこの店で働いててさ、その頃はよく店員とオーナーが言い合いしてたんだ。メニューがどうだ!?とかさ。今は軌道に乗ってそんな事もなくなったけどさ、オーナーも他の店だしてるから忙しくてほとんどこれなくなったし』
意外だった。あんな優しい一条さんとクールなオーナーが言い合いをするなんて…
そんな話をしながら歩いているとユイのアパートの前に着く。
じゃあまた明日ね!とユイは手を振った。
すると優一郎あのさとユイを呼び止める。

『今日はありがとう。その……嬉しかったよ』と目線をずらして照れ臭そうに話す優一郎。

ユイは優一郎のその言葉が何より嬉しかった。

みんなが帰ってからも一人で残り明日の準備をする優一郎を見ていたし、食器を下げた時に綺麗に食べられた食器を見て誰にも気付かれないように嬉しそうにガッツポーズをする優一郎に気付いていたから。

私も優の力になりたい。日に日にその気持ちが強くなっていった。




ーー強い日差しが照りつけアスファルトもとても熱い。
手で顔を仰ぎながらあぢーーと額に汗をじんわり滲ませながら舞とユイは長い列に並んでいた。
『snsで隠れ家的なアイス屋さんって書いたの誰だよ。まじで』と列の前の方を見ながら舞は少し怒ってる。
『ねー』と相槌を打ちながらスマホを見るユイ。
『ってか、明日夏祭りあるんだね』
『でもユイ、バイトじゃん。』
『いや、店長が出店に駆り出されるから明日バイト休みだって』
『まじ!?店長さん出店だすの!?絶対行く』と張り切る舞。
ユイはバイト先のグループチャットを見ながら話す。

沙耶香:明日休みだからみんなで店長の出店見に行こ!

優一郎:うん

『あ、優も…いや、バイト先の人達も行くって!舞も一緒に行こうよ!』と誘うユイ。

『私、一人だけみんなと初対面でめっちゃ気まずいじゃん』とちょっと乗り気じゃない舞。
『大丈夫だよ、みんな私たちと同じ歳くらいだからさ』と少し強引に誘うユイ。
『うーん…ってか浴衣どこにしまったっけ…』
その同級生の一言に固まるユイ。
……浴衣こっちに持ってきてたっけ? いや、実家だ。郵送してもらおうか…いや、絶対間に合わない。。

『買いに行こう』と真剣な眼差しで舞を見つめるユイ。
へっ?と訳が分からず変な声を出す舞の腕を掴みショッピングモールの方向へ向かうユイ。
『アイスは!?』
『そんな時間ないよ!』と早足で二人は歩いて行った。

……ほんと簡単にお祭り行こう?なんて言わないでほしい。
準備も山ほどあるんだし。

……でも、明日楽しみだなぁ。




ーー日が暮れて少し薄暗くなった街。カランカラン。下駄を鳴らしながらみんなと待ち合わせした場所に向かうユイと舞。

昨日何件も回って選んだ紺色の花柄の浴衣。
舞はアイス食べたかったと文句を言いながらちゃっかり自分の浴衣もばっちり選んでいた。
その浴衣は水色のユイに似た花柄だった。
早めに待ち合わせてユイの家でお互いに浴衣を着付けて、髪を結ってきた。

待ち合わせ場所に着くと優一郎と沙耶ともう一人いつも皿洗いをしているバイトの石田君という男の人がいた。
沙耶は黄色の浴衣を着て髪をハーフアップにしていてとても眩しかった。
優はいつも通りの白いTシャツにジーパン。カジュアルだ。
こういう時に男の人ってほんと羨ましいなって思う。

『はじめまして……』と少し緊張しながら舞が言った。
『よろしくね!』と急に腕を組む沙耶に舞は一瞬ギョッとするがこの二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。

『すごく人多くなってきたね』と驚くユイ。
『うん、7時から花火上がるからみんな早めに場所取りしにいくんじゃないかな』と優一郎が話す。

みんなで人混みに紛れながら一条の働く出店を探しながら歩いた。

『あ、店長!!』と大声を出しながら出店に向かう沙耶。
そこには忙しそうに浴衣でビールを注いでいる一条がいた。
お客さんにビールを渡しながら浴衣姿がとっても綺麗だったから一瞬わからなかったよ。と笑顔の一条。

やっぱり女性慣れしている男性は違うなと思うユイだった。
浴衣がいいね。じゃなくって浴衣姿がいいと褒めてくれるのがやっぱりすごい。
それに比べて優は浴衣には何も触れないどころか
キレイだね。の一言もない。ほんと女心がわからないヤツだ。そう思いながら優一郎を睨むユイ。
『え……な、何!?』と困る優一郎。

『いや、やっぱりめっちゃイケメンじゃん』と一条を見て興奮しながらユイの背中を叩く舞。

店の中には焼き鳥を焼いている他の社員の人やオーナーの香織さんの姿もあった。
黒い浴衣を着て腕まくりをして他のお客さんのお会計をしている。
香織さんってほんと綺麗だ。自分の浴衣姿が七五三のように思えて少しへこむくらいだ……

『花火まで時間あるから出店回ろうよ』と元気いっぱいの沙耶。
さっき一条から内緒だよ。と言いながら貰ったカップに入った大量の焼き鳥とジュースを片手にみんなで人混みの中を歩く。

『あっ』と足を止める優一郎。
『どうしたの?』とユイも足を止めた。
『あ、いや。綺麗なブレスレットだなと思って』と天然石のブレスレットに見入っている。
『ほんとだ。キレイだね』と優一郎の隣でユイは言った。
『一つ買おうかな』
『えーいいなぁ。私もほしい』
『いつも頑張ってるからプレゼントするよ』
『ほんと!?やった』とブレスレットを選ぶユイ。
『あんま高いのは無しね』と笑う優一郎
『えー、ケチじゃん。どれでも好きなのいいよ。って言ってほしかった!』
『よく見てよ。高いの十何万って値札ついてるから』
『えー、じゃあこれがいい』とその高いブレスレットを指さすユイ。
『俺が自分の店持ったら買ってあげるよ』と優一郎は笑った。
優は水色のブレスレット。そしてユイはピンクの半透明な天然石のブレスレットを買ってもらった。

そのブレスレットを手首につけ、手を伸ばしキレイと見惚れるユイ。
『あ、やっば』と優一郎。
ん?どうしたの?と優一郎の顔を覗き込んだ。
『みんなとはぐれたかも…』
二人がスマホを取り出すとみんなから何件もの着信がきていた。


『ごめんごめん』と謝りながら両手を合わせてみんなに駆け寄る優一郎。
『花火始まっちゃうよー』と怒る沙耶。
『どこ行ってたの?』と舞がユイに聞いた。
『天然石のお店があってね。可愛くて買ってもらっちゃった』とブレスレット喜びながら見せびらかすユイ。
『へー、そういう関係なんだー』とコノコノッと舞は軽く肘でユイを押した。
『違うから』と照れるユイ。

ドーンっという大きい音とともに夏の夜空に大きい花火が上がった。
『うわー綺麗!』花火を見上げるユイ。
間に合ったー。と少し遅れて一条とバイトの石田君が隣にくる。
二人は人数分のビールを買ってきたようでそれをみんなに渡す。
『あ、沙耶ちゃんは未成年だからジュースね!』とジュースを手渡す一条。
『はーい』と少し不満気な沙耶。

『はい、優もビール』と優一郎にビールを手渡すユイ。
ありがと。とビールを受け取ろうとした時に二人の手が少し触れあった。
あ、ごめんと焦る優一郎。つられてビールを一瞬こぼしそうになるユイ。
それを見ていた舞はまた少し悪い顔をしながら青春かっ!と笑う。
『違うから』と赤くなった顔を仰いだ。

暗くてよかった。だってあの時顔が赤くなったのを優に見られなくて済んだから。

『そうなんだね。舞ちゃんってユイちゃんの同級生なんだね』ビールを飲みながら舞と話す一条。
『はい、そうなんです。そういえばこの間一条さんテレビ出ているの見ました』と舞。
『あー、うちの店テレビで紹介された時のかな』と少し照れ臭そうに一条は答えた。
俺も出てたんだぜ!と身を乗り出す石田君。
そうだったかな?と首を傾げる舞を見て
なんだよ!と言いながらオーバーに倒れて見せる石田。
それを見てユイ達は堪えきれず吹き出した。
『店で何回も見たけど石田君映ってたのほんと一瞬だったじゃん。チラッとだけ』と笑う沙耶。

しばらくすると最後のフィナーレの花火が打ち上がり、
会場にはまた来年!とアナウンスが鳴り響き
帰り始める人混みと一緒にユイ達も駅へ向かいはじめた。

『また来年もみんなで来たいね』とユイが呟く。
『うん、来年もこよう』とユイを見つめる優一郎。

その時二人の手首についたブレスレットに気付く沙耶。
『ユイ?ちょっと待って』とユイの手を引っ張る。そして
『あ、みんなは先に行ってて!』と笑う沙耶
『ん?どうしたの?』
『そのブレスレット優一郎君とお揃い?』
『あ、これね。さっき買ってもらっちゃって』と大事そうにユイはブレスレット握りしめた。
『そうなんだ……』少し悲しい顔をする沙耶。

どうして気付かなかったんだろう。
あの時気付いていれば
こんなに傷つけずにいられたのに。
でも、もし気付いていても結果は変わらなかったのかもしれない。
ごめんね、そしてありがとう。




ーーその日店に着くと、オーナーと優が二人で店のホールの奥の端の一席で話し込んでいた。
真剣な眼差しで優を見つめるオーナーと何かを考える様に窓の外を見つめる優。
何の話だろ……そう思っているユイの前を横切る沙耶。
『あ、おつかれ!』とユイの挨拶に無愛想にうん。と返す沙耶。
『ん?どうしたんだろう……』と考え込むユイ。
そんなユイに近づいてくる一条。
『優一郎。新しい店舗の店長をしないかってオーナーに勧められてるんだ。でもなー。条件がなー』と言いながら奥に歩いていく店長。

しばらくすると、優一郎はオーナーにペコリと頭を下げ席を立ちキッチンの方へ戻って行った。
オーナーはユイに気付きこちらに向かって歩いてきた。
『ユイちゃん。あなたのことは一条から色々と聞いているわ』
あっ、どうもとユイは軽く会釈する。
『優……優一郎君他の店舗に行っちゃうんですか?』
『うーん、あの子にとってもすごくいい話だとは思うんだけどね…すごくセンスがある子だけれどまだまだ経験が足りない。だから私の知り合いの海外の店舗に研修に行かないって話したんだけどね。3年くらい』

『3年…』その言葉を聞いて固まるユイ。

『優一郎君もね、ユイちゃんと同じリアクションだったよ』
『優一郎君はなんて言ったんですか?』
『考えたい。って』
『そうなんですね』ホッとするユイ。

正直複雑だった。
優が他の店舗で店長になるのはすごく嬉しい事だし一番に応援したい。嘘じゃない。
でも、でも……3年は長すぎる。
三年間も優に会えないなんて考えられない。

『うん。でも色んな意味で若い時の一年はすごく掛け替えのないものだからね。どう使うかは優一郎君次第だから。
それを大切な人に使うのか、それとも自分が目指してる事に精一杯注ぐのか。色々吸収しやすい時期だから、なにもせずにいてほしくはないな』

そうだ。優一郎が悩んで決めた答えがどうであれ1番に応援しなきゃ。そう思った。


『優一郎まだ帰らないのか?』と他の社員が言った。
『はい、もう少し明日の下準備してから帰ります』
ほどほどにな。と言いながら他の社員達はキッチンを出て行った。
ホールの清掃が終わったユイは優一郎が一人作業のするキッチンの方へ入った。
『優、おつかれ』
『ん? あ、ユイお疲れ』

少しの沈黙の後

『あのさ』と優一郎が話そうとする。

『もしさ、もし大切な物を二つ天秤にかけられたら……ユイならどうする?』

『何?急に』と少しなんとも言えない表情をするユイ。
少し考えた後。
『私ならどっちも守るよ』

作業の手を止めてユイを見つめる優一郎。
優一郎は深い深い深呼吸のあとエプロンで手を拭きながら
ユイに近づいた。

『俺さ……』
『うん』と優一郎を見つめるユイ。

『おつかれ〜』頭を搔き、あくびをしながらキッチンへ入ってくる一条。

一条に驚き、離れる二人。
驚いて急に後ろを向こうとした時に膝を台の角にぶつけ
痛っーと悶絶する優一郎。
『あ、えっ!?大丈夫』と心配するユイに
う、うん。と悶絶しながら答える優一郎。
『ど、どした?優一郎大丈夫?』と心配する一条。
『だ、大丈夫っす』

タイミングの悪い店長が優に話があるからって事で
先に帰っててと言われ、すっごくモヤモヤしながらユイは一人で帰った。
きっと昼にオーナーと話してた事だろう。
帰ってから優からのメールを待っていたが全く来なかった。
例えていうならドラマの最終回の最後のシーンで急に停電して続きが見れなくなった様な感じ。

あのあと私になんて言おうとしたんだよ。
ってかメールくらい送ってよ…… 
結局布団に入っても全然寝られず
その日ユイは眠れない夜を過ごした。