あの男めと小雀は唇を噛んだ。
 ふつふつと怒りが込み上げる。やはりあの男は許せない。

「それが本性なのよ。人が見ていれば違う行動をとったに違いないわ」
「うん。私もそう思った」

「冬野中納言といえば、左大臣だけどね」と笹掌侍は更に声を落とした。

 彼女は事情通だ。
 帝に近侍するという仕事柄、あらゆる部署から集まってくる情報を耳にする。宮中の噂はなんでも知っているかもしれない。

「敦茂親王を東宮にしようと必死らしいわよ」

「え? 東宮はいらっしゃるじゃないの」

 現東宮は五歳。母君は小雀がお仕えする麗景殿の女御だ。

 左大臣の娘である弘徽殿の女御と、右大臣を父に持つ麗景殿の女御はほぼ同時に皇子を授かった。

 帝は第一子の皇子を東宮にすると前もって宣言していたので、どちらが先に生まれるか、両家とも固唾を飲んで見守っていたらしい。

 麗景殿の女御が一日早く産気づいた。結果、一足早く生まれた麗景殿の女御の御子が東宮になり、左大臣の孫は親王になった。

 左大臣は悔しさのあまり寝込んだという。

「去年先の右大臣がご病気で亡くなったでしょう。それでまた復活ってことよ」

 今の右大臣は晃子さまの兄君だ。とはいえまだ若い。左大臣は甘くみているのだろう。

「化け狸め」
 でっぷりと太った左大臣の狸顔を思い出し、小雀は顔をしかめる。