「……ステラ。それはさすがに地味すぎないか」
 仕立て屋にやってきて、好きなドレスを仕立てていいと言われたステラは、言われた通りの希望を出した。

『グレンに問題が起きない限界まで装飾を控えた、落ち着いた色のドレス』

 そして、その希望にグレンは表情を曇らせていた。
「そう言われましても。私には何が正解かもわかりません」
 ドレスに縁もなく興味もないステラからすると、関心は目立たないことと費用を抑えることくらいだ。

「なら、俺の希望を通しても?」
「どうぞ」

 生粋の貴族であるグレンならば、ステラなどよりもよほど場に相応しいドレスを理解しているだろう。
 その返答に、グレンばかりか店員までもがにこり……いや、にやりと微笑んだ。

 選ばれた布は黒と深紅のグラデーションで、デザインは何だか素敵な感じ。
 ……ステラにわかったのは、そのくらいだ。

 謎の単語と生地の見本が行き交うのを完全に他人事として見学しながら、ステラは紅茶を飲んでいた。
 さすが上質な店は出すお茶も素晴らしい。
 甘い花の香りがする紅茶は飲むたびに花畑にいるような気持ちになれ、とても幸せだ。

 普通ならば、こういう場所では女性が楽しくドレスを仕立てるのだろう。
 だが、ステラはそういう経験もなければ知識もなく、結果的に興味もない。
 綺麗なものは嫌いではないが、住む世界が違いすぎた。



「何だか、楽しそうですね」
 帰りの馬車の中で尋ねてみると、グレンは麗しい笑みを返してきた。

「楽しいよ」
「ドレスを仕立て慣れているのですね」

「まさか。女性ものなんて、初めて関わったよ」
 その割にはノリノリで選んで指示を出していたが、貴族は皆ああいうものなのだろうか。

「妻を自分好みに飾れるんだ。心が浮き立つのも当然さ。そういう話を聞いたことはあったが、本当だな。こんなに楽しい気持ちで服を仕立てたことはないよ」
 まさにウキウキという言葉に相応しい落ち着かない様子に、思わず苦笑してしまう。

「妻の装いでアピールするということですか。貴族は色々大変ですね」
「それもないとは言わないが。俺の場合は違うかな」
「確かに。偽物ですしね」

 ここで下手にアピールしすぎると、その後のグレンの足を引っ張る。
 最低限貴族として必要なだけアピールし、できるだけ後のダメージを減らす。
 これは結構な難題である。


「偽物?」
「契約で、仮初めの結婚ですから」
 それまでにこにこと笑っていたグレンの眉が、少し顰められる。

「だが、書類も手続きも正式なものだ。少なくとも俺とステラは今、本物の夫婦だよ」
 確かにそうだ。
 そうでなければ、ステラが閲覧権を手に入れることはできない。

「女性ほどではないにしても、やはり男性も離婚歴はない方がいいですよね」
「まあ。それは、ない方がいいだろうな」
「グレン様の経歴を汚してしまうのは、申し訳ないと思っています」

 ステラは既にろくでもない噂にまみれているし、今後結婚するつもりもないのでいいとして。
 美貌の伯爵であるグレンは、跡継ぎを産む正式な妻を迎えることになる。
 その際にステラとの結婚や離婚歴が足を引っ張らないことを祈るばかりだ。

 グレンは数回瞬くと、小さく息を吐く。
 かと思うと、何故か立ち上がってステラの隣に座った。

 伯爵家の馬車は立派だが、さすがに二人横並びに座ればドレスが触れてしまう。
 中和作業でもないのに触れては不愉快だろうと思ったステラは、グレンとは反対側に少し体を寄せた。


「だったら、離婚歴を作らなければいい」
「はい?」
 言葉の意味がわからず隣を見ると、紅玉(ルビー)の瞳がステラをとらえていた。

「だから、離婚しなければ離婚歴はない」
 それはそうなのだが、やはり話が見えない。

「……もしかして、書類の偽造ですか?」
「まさか。正式な夫婦と言っただろう?」

「それなら、離婚歴がつきますよ」
「離婚すればね」
 どうにも話が噛み合わず、ステラは首を傾げつつ考える。

「まさか、閲覧権を盾にして『円満離婚したければ言うことを聞け』と言って脅すつもりですか」
「何故そうなった。大体、離婚しないのなら閲覧権は持っているだろう」

「それもそうでした」
 ならば、どういうことだろう。
 口元に手を当てて考え込むが、やはりどうもよくわからない。


「……なるほど。ステラの消えた乙女心とやらは、まだそのままか」
 謎の言葉に顔を向ければ、グレンは何故か寂しそうな笑みを浮かべていた。

「まあ、消えているので。消えっ放しですね」
「だが、蘇る可能性はあるだろう?」

「蘇る。……腐敗した乙女心ということでしょうか」
「何だそれは。違う、普通の乙女心……恋心というべきか」

 そこまで聞いて、ようやくステラもピンときた。
 これはつまり、美貌の伯爵に惚れて面倒なことを言い出してくれるなよという牽制か。

 伯爵夫人としての扱いに勘違いしては困る、と思っているのだろう。
 ここは円満な契約関係のためにも、きちんと意見を伝えた方がいい。

「でしたら、ご安心ください。すっかり、根こそぎ消えています!」
「それは困る」

「……はい?」
 自信満々の訴えに対する即答に困惑していると、グレンはステラをじっと見つめた。


「せっかくこうして夫婦になったんだ。呪いを中和してもらう礼に、俺がステラの乙女心を取り戻す手伝いをしよう」

「え? 結構です。別に困っていません。それに取り戻すって何ですか。何をする気ですか?」

 中和の対価は閲覧権であり、そのための結婚だ。
 だから礼も何もないのだが、一体何を言い出したのだろう。
 ますます混乱するステラに、紅玉(ルビー)の瞳が楽しそうに細められた。

「そうだな。手始めに……溺愛してみようか」