そして迎えた休日。
朝一番に王立図書館に向かったステラは、ただひたすらに調べ物をし、ノートを取っていた。
何せ六年分のノートが消えたのだから、いくら書いても終わらない。

時間を忘れてひたすらにペンを動かしていると、向かいの席に人影が現れる。
顔を上げてみれば、そこにいたのは――紅玉(ルビー)の瞳に黒髪の美青年。
幻覚だろうかとじっと見つめていると、グレンはにこりと微笑んだ。

「グレン様。どうかしましたか?」
「たまたま、通りかかった。もう遅いし、一緒に帰ろうか」
「もうそんな時間ですか?」

振り返って窓の外を見てみると、既に空は薄暗い。
集中していたせいで、まったく気が付かなかった。

「朝から出かけたと聞いたが、一日調べ物をしていたのか? ちゃんと食事はとったんだろうな」
「え? ええと」

水は時々飲んだが、食事と言えるものはとっていない。
わざわざ食べるために移動する時間がもったいなくて、最近では図書館では水を飲むだけだった。
言い淀んだことで食べていないと察したらしく、グレンの表情が曇る。

「きちんと食事を摂らないと、体調を崩すぞ」
「すみません。でも、お屋敷でちゃんと夕食をいただくので、大丈夫です」

ステラはノートを閉じると立ち上がり、本の山を手に取る。
色々な棚から集めて来たので、戻すのも一苦労だ。

「手伝うよ」
声と共に持っていた本が軽くなったと思うと、グレンがステラの本を抱えている。
呪いの中和の契約相手というだけなのに、なんと親切なことだ。

そう言えば、グレンはステラにひとめぼれしたという設定なのだったか。
図書館の中に人は少ないとはいえ、公の場。
しっかりと演技を忘れないグレンに、ステラは感心した。



「明日も休みだと聞いたが、たまには図書館以外に行ったらどうだ。……良かったら、一緒に出掛けようか?」

帰り道の馬車の中でグレンにそう尋ねられ、ステラはまたまた感心した。
もう誰の目もないのだから、わざわざ演技を続ける必要はない。
それでもこうして一緒に出掛けようと言うのは、恐らくひとめぼれ設定を周知させるためだろう。

嫉妬のとばっちりで部屋を荒らされて以降、グレンは時々ステラを同伴して出掛けるようになった。
ウォルフォード伯爵は婚約者を大切にしているのだと知られれば、手を出すことも難しくなる。

ステラの身の安全にもつながるのでとてもありがたいのだが、やればやるだけ離婚後のグレンの消したい過去が増えるばかりで申し訳なくもあった。

「ありがとうございます。ですが、明日は午前に治療の予約が入っていますので」
「……そうか」

やんわりと断ると、グレンが目に見えて不機嫌になる。
これは、わざわざ誘ったのにステラに断られるというのが、癪に障ったのだろう。

伯爵という立場からしても、美貌の青年という面からしても、誘いを断られるということ自体に免疫がなさそうである。
何だか子供みたいだなと思うと、気が付けばステラの口元は綻んでいた。

「午後からでもよければ、ご一緒させてもらえますか?」
ステラの予定に合わせてまで出かけたくはないだろうという予想に反して、グレンの紅玉(ルビー)の瞳がぱっと輝く。

「そ、そうか⁉ なら、街を一緒に散歩しよう」

ひとめぼれを周知させるのならば、貴族が多い場所に行くのかと思えば、どうやら違うらしい。
ステラとしては堅苦しい場よりもよほどいいが……これで役に立つのかは疑問だ。

とはいえ、顧客の要望なのだからできる限りは叶えたい。
ステラが笑みを浮かべてうなずくと、グレンもまたにこりと微笑んだ。



「とてもいい状態ですね。これならば薬はもう必要ありません。もう少し経過を見て、治療終了でいいと思います」
ステラの言葉に、壮年の男性は嬉しそうに笑みを浮かべた。

今日ステラが訪れているのは、サンダーソン侯爵邸だ。
カークランド公爵の紹介で治療を始めてそれなりの時間が経ったが、成果はしっかりと出ている。

当初、頭頂部は葉の落ちた冬の林のような状態だったが、今や夏の盛りの木々のような茂り具合だ。
ステラの魔力とその薬の力はあるが、何よりもサンダーソン侯爵本人が真摯に取り組んだことが大きいだろう。

「最近では枕に落ちる毛の量も減ったし、何だか自信がついてきたよ」
「侯爵が熱心に取り組んでくださったからこそ、しっかりと結果が出ているのです」

サンダーソン侯爵はただ薄毛を直したいというだけで、ステラに依頼をしたわけではない。
妻である侯爵夫人に嫌われたくないという、とても可愛らしい理由で恥を忍んでステラのような小娘の指示に従ってきたのだ。

頭の洗い方や薬の使い方など、事細かな内容をきちんと守った侯爵にはご褒美とばかりにフサフサの毛がもたらされている。
こうして喜んでもらえるとステラも嬉しくなるし、日頃の苦労も報われるというものだ。


「治療内容がこれだから、公表できずにステラの評判に傷がつく。これは本当に申し訳ないと思っている。カークランド公爵も私も、毎回きちんと訂正してはいるのだが、世間は面白おかしく囃し立てる。困ったものだな。……だが、ステラには心から感謝しているんだ。ありがとう」

心の奥が、何だかホカホカと温かい。
こうして努力が報われて、感謝されれば、とても嬉しい。

いくらお金になると言っても、さすがに悪評が酷くてやめようと思ったことは何度もある。
それでも続けているのは、この笑顔のため。
ステラは口元を綻ばせると、深く頭を下げた。