「あの……日向課長、大丈夫ですか?」

 次の会議の準備をしていた時だった。部下の有野(ありの)ゆかりが心配げな表情で尋ねてきた。辰美は思わず「ん?」と首をかしげた。

「何がだ?」

「あの、ちょっと聴いてしまって。課長が、その……」

 有野が言葉を濁したので、ようやく気が付いた。恐らく離婚の話を耳にしたのだろう。もう大体の人物は知っていると思ったが、こういう噂も案外広まりにくいらしい。

「ああ、色々あってね」

「その、なんて言ったらいいか……辛かったですよね」

 浮気の話は同僚にしか伝えていないが、誰か喋ったのだろうか。離婚すれば色々な想像をすることだろう。有野も恐らくいろんな想像をしたのかもしれない。

「ありがとう。だが大丈夫だ。もう元気になったよ」

「辛いことは忘れて、楽しいことだけ考えましょう! 課長ならきっと、もっと素敵な人がいると思います」

「はは……そうかもな。さ、早く終わらせよう」

 会話を切り上げ、辰美は仕事に没頭するフリをした。

 元気になったと言ったものの、実際はまだ完全に吹っ切れたわけではない。あまりにも衝撃的な出来ごとだった。そう簡単には忘れられない。

 しかし、忘れなければならないのだ。雪美は恐らくあの男と再婚する。いつまでも過去に囚われていては何も変わらない。

 分かっていたが難しかった。楽しいことややりたいことも日々見つかっている。雪美のいない新生活にも慣れてきた。

 だが、それはあくまでも「お一人様」としての幸せだ。

 食事も趣味も、一人で楽しむ分には簡単だ。自分さえいればいい。だが、人生終わるまでそうだと思うと、とてつもない孤独を感じた。

 せめて自分がもうあと十歳でも若ければ、新しい出会いを探したかもしれない。

 だがもう四十二を迎えた男が出会いを探したところであるはずもない。作られた出会いはあまり好きではないからお見合いパーティに行く気にもなれない。友人に紹介してもらおうにもこの年では難しい。いや、それ以前にまだ探しているのか、と思われることだろう。

 そもそも、人を好きになれるかどうかも分からなかった。

 思えば、雪美との恋愛も受け身だった。そんな自分がまた人を愛せるだろうか? ────いや、無理だ。辰美はすぐに否定した。

 人生の約半分が終わった男が一体誰を愛するというのか。大体、選ばれたって相手も遠慮するに違いない。

 自分はただのサラリーマンだ。財産目当てで近付いてくる女性だっていやしない。身一つで恋できるほど気楽な年齢ではなくなってしまったのだ。