それから行き先は辰美と相談して神奈川に行くことになった。

 神奈川なんて行こうと思えばいつでも行けるが、都内だとファンに出くわすことが心配で気が休まらない。県を跨げばそれも無くなるし、近ければ旅費を出すと言った辰美の負担が少しでも減る。

 見て回る場所は多いし、美夜は元々神奈川出身だ。辰美に見せたい場所は色々あった。

 当日、ボストンバッグを前に、美夜はJR川崎駅を出て南、高架下の前で辰美が現れるのを待った。

 目の前を路線バスとタクシーが通り過ぎて行く。目的地までは辰美の車で行く予定だ。電車でも行ける場所だが、のんびりしたいのとこの方が人目につかないから、という理由で車になった。

 それと、辰美が久しぶりに車に乗りたいと言ったからだ。

 辰美は普段電車通勤らしく、車で出掛けるのは家族との用事がほとんどだったそうだ。そのため離婚後はほとんど乗っていなかったという。

 少し待つと、美夜のスマホが鳴った。辰美からの電話だ。電話に出ると、美夜が立っている場所の少し先で車を停めたと言った。慌てて周りを見ると、交差点の先に辰美がいう通り白いセダンが停まっている。あれが辰美の車らしい。

 美夜は交差点の信号が青に変わると同時に駆け足で向かった。待っていた白いセダンの助手席を覗くと、運転席側に辰美が見えた。扉を開け、中に入る。

「すみません。お待たせしました」

「走ったら危ないよ。またバイクにぶつかったらどうするんだ」

「大丈夫です。ちゃんと信号は見てますから」

 助手席に乗り込む。程なくして車は発進した。

「すみません。駅前に止めるの大変でしたよね」

「仕方ないよ。この辺りは交通量が多いから」

 私服を着ている辰美は久しぶりだ。スーツを着ている姿を見ることが多いから、なんだか新鮮に見える。その姿で車を運転しているものだから、また格好良く見えてしまう。

 目的地────鎌倉までは大体車で一時間程度だ。なぜそこになったかというと、主要な観光スポットがいくつかあって、ホテルがたくさんあるからだ。

 本当は美夜が住んでいた場所に行ってみたいと言われたのだが、案内するような場所じゃないからと遠慮した。せっかく旅行に行くのだ。できれば思い出に残る場所が良かった。

 辰美はどうして旅行に誘ってくれたのだろう────。

 楽しげな様子で運転する辰美をふと、横目で見る。言い出しっぺは辰美だ。もしかしたらこの間のことの罪滅ぼしなのかもしれないと思った。

 結局、有野のことはどうなったのだろう。辰美は有野をなんとも思っていないようだが、有野は恐らくそうではない。告白されたりないだろうか。

 聞きたいが聴けない。そもそも辰美はモテそうだから、女性の好意をそれほど重く捉えていないのかもしれない。慣れているのだろうか。

「あの……辰美さん」

「ん?」

「辰美さんは今まで……何人ぐらいの女性とお付き合いされたんですか?」

「えっ」

 ぐらりと車が揺れる。幸い、車の方向はすぐに軌道修正されたが、辰美はそうではなかったらしい。前を向いているものの、顔が驚いていた。

「え、なんでそんなこと突然……」

「ちょっと、気になって」

 辰美は少しの間黙った。言いたくないのか、それとも言いづらいのか。美夜は疑っているわけではなかった。単なる興味本位だ。

 辰美はきっとモテるだろうし、過去もモテていたと思う。だからどんなふうに恋愛してきたか知りたかった。多分それで自分が拗ねることになるとしても。

「……高校の時に一人。それと、別れた妻だ」

「二人だけ?」

 それは意外な数字だった。もちろん、辰美が何人もの女性と付き合っているとは思わないが、モテそうな辰美に二人だけと言われると、少ないと感じた。

「君が思うほど俺はモテてないよ。俺なんかより、君の方がモテるだろう」

「私は別に……」

「どうして俺の過去の恋愛が気になったんだ?」

「……辰美さんは、どんなふうに恋愛する人なのかなって。あの、別にヤキモチ妬いてるわけじゃないんです。ただ知りたいだけっていうか……」

 なんて、言い訳がましいだろうか。辰美は怒った様子ではなかった。

「どんな恋愛、か。そうだな……高校の時は同じ部活の子を好きになった。バスケ部だったんだ。二人で色々遊びに行ったりしたけど、その子が県外に行って、そのまま自然消滅したな。元妻とは社会人になってから友人の紹介で会った。そのまま結婚して、今の状態さ。別に、普通だよ。君は?」

「私は……中学の時に一人と、ピアニストとして活動し始めてから、一人。どっちも……別に心に残るような恋愛じゃありませんでした。今思うと、なんで好きだったんだろうって思います」

「お客さんとは付き合ったりしなかったのか?」

「しませんよ。基本的にそういうことはないようにしてました。っていうかそもそも好きになるような人もいませんでしたし……」

「じゃあ、どうして俺のことは好きになったの?」

 なんだか声が嬉しそうで、横を向くと辰美はほんのり口角を上げていた。もしかして、からかわれているのだろうか。

 この間から辰美がなんだか意地悪になったような気がする。もちろん、大歓迎だが。

「辰美さんは、ちょっと他のお客さんと違ったっていうか……ちゃんと、私の曲聴いてくれてるんだなって感じたんです。今いるファンの人って、応援してくれてるけど私をアイドルみたいに扱う人が多くて……ちょっと落ち込んでた時に、辰美さんがストリートに来てくれて、それで気になるようになったんですけど……」

「俺、何かしたかい?」

「いえ。その……言葉を掛けてくださって、それで私が元気をもらったっていうか……。私、方向性の違いで両親が離婚してるからどうしても私の夢に理解がある人じゃなきゃ無理って思ってたんです。実際、元彼とはそれが原因で分かれましたし。そんな時に辰美さんをみて、理想の人だなって」

「……それは褒めすぎだと思うが」

「辰美さん、もしかして照れてます?」

「そりゃあまあ、そんなふうに言われれば……」

 この間から、辰美が少しづつ感情を見せてくれるようになった。相変わらず紳士的で優しいが、たまにこんな顔も見せてくれる。

 そう思えば多少の喧嘩はあっていいのかもしれない。