金曜の夜。辰美は再びMIYAと待ち合わせした。

 今日行く店はMIYAが選んだからあまりよく知らない。一応店名から調べてみたが、創作料理屋のようだった。

 先日と同じく目印の前で待ち合わせすると、MIYAが先に待っていた。MIYAは辰美の姿を見つけるとお辞儀をした。

「こんばんは。お疲れ様です」

「今日は誘ってくれてありがとう」

 お互いなんだかぎこちなく挨拶した。辰美は正直不安だった。

 誘ってもらえたことは嬉しいが、またMIYAに嫌な思いをさせるかもしれない。だから食事をしても楽しめないのではないだろうかと思った。

 店に着くと席に通された。予約してくれていたらしい。明るい賑やかな雰囲気の店内は、この間とは少し違う。やはり、若者が選びそうな店だ。センスの良さが窺えた。

「日向さんの好みに合うかわからないですけど……」

 ────余計なことばかり考えていると楽しめないな。せっかく彼女が選んでくれたんだ。

 辰美は気持ちを切り替えて楽しむことにした。どうであれ、MIYAが自分を誘ってくれたのだ。

 食事を頼んで酒が来た頃、MIYAが切り出した。

「実はこの間会った方なんですけど……」

「あの、男の人かい?」

「はい。あれから話をして、正式にお店で演奏させてもらうことになりました」

「よかったじゃないか。どこの店だ? あ、いや。聞かない方がいいか」

 辰美が遠慮していると、MIYAはクスッと笑った。
 
「麻生にあるお店です。またURL送っておきますね。是非聞きに来てください」

「ピアノの演奏なんだろう?」

「はい。週に二回、夜だけですけど……ありがたいです。あ、あんまりかしこまったお店じゃないので大丈夫です」

 あの時は突然で驚いたが、MIYAは喜んでいるのだろう。これでMIYAの演奏が少しでも聞いてもらえれば活躍の場が広がるかもしれない。

 嬉しい気持ちもあったが、どこか寂しさも感じた。MIYAが売れっ子になったら、きっとこんなふうに食事することもなくなるだろう。ライブのチケットを取るのも大変になるかもしれない。

 だが、《《ファンなら》》喜ばなければ。

「あの、日向さんって独身なんですか」

 冷静になろうと酒を口に含んだ時だった。MIYAがそんなことを言ったものだから、変なところに酒が入って咽せた。

「な、けほっ……え?」

「あ、えっと……すみません突然こんなこと聞いて。その、普通は食事にお誘いする前に聞いておくべきなんですけど……」

 なんだ、そういうことかと辰美は納得した。自分の年齢から考えて独身者は少ない。それで確認しようとしたのだろう。誰だって道は踏み外したくない。

 だが、離婚したことを言おうか迷った。一般的にはきっと、バツイチはあまりいい印象ではないはずだ。特にこんな若い女性なら嫌煙していても不思議ではない。

 しかし嘘をつく方が良くない。いつどこでバレるかも分からないのだから。迷ったが、言うことにした。

「……実は、少し前に離婚したんだ」

「え……」

「君と会った少し前にね。はは、情けない話さ」

 辰美は自嘲するように笑みを浮かべた。

 だが、MIYAの表情は予想していたものとは少し違った。どこかほっとしたような────少なくとも嫌がっているようには見えなかった。

「そうですか……色々あったんですね」

「すまない。バツイチの男と食事なんて嫌だろう」

「うちの両親も離婚しているんです。だからそんなに気にしないでください」

 MIYAはなんでもないことのように言って見せたが、辰美は驚いた。MIYAの両親も離婚していたのか。こんなご時世だ。珍しいことではないが、なんだか意外に思えた。

「そうか……君も辛かっただろう」

「いえ……私の場合、離婚してよかったんです。母はピアニストだったんですが、父は普通のサラリーマンで。母の仕事に理解がなくてうまくいっていなかったので」

「お母さんはピアニストなのか。じゃあ、お母さんに教わっていたのか?」

「はい。結構スパルタでしたよ。毎日特訓でした」

 そう言うがMIYAは嬉しそうだ。きっとその時間が楽しかったのだろう。だから今もピアノを続けているのだ。

「じゃあ君は毎日お母さんのピアノが聞けたんだな。賑やかで楽しそうだ」

「……日向さんは、例えばですけど、家で奥さんがピアノばっかり弾いてたらどう思いますか」

「家で? そうだなあ……」

 両親のことを客観的に知りたいのだろうか。

 MIYAはピアノを弾く側だから、母親側につくはずだ。認めてくれない父親とは衝突したかもしれない。

「私は音楽とは無縁の生活だったからあまり想像できないんだが、ピアノを弾くのは仕事のための練習だったんだろう? なら、それも仕事のうちだから仕方ないんじゃないか?」

「でも、例えばコンサートがあったら家を留守にするわけじゃないですか。ツアーとかだと一週間や二週間ぐらい家に帰ってこなかったりしますよね。それに家事とかもあんまり出来なかったりとか……男の人ってそういうの嫌じゃないですか」

「そうだな……そういう人もいると思うけど、できる時にできる人がやったらいいんじゃないかな。いや、私も妻が専業主婦だったから人のことは言えないんだけどね」

「……日向さんは、もし自分の奥さんがそんなだったらどう思いますか」

 MIYAはそんなつもりではないのだろう。

 だが、辰美はその言葉を都合よく誤解しようとしていた。MIYAはまさか、自分のことが────いや、そんなはずない。これは両親のことを聞きたいだけだ。そうに違いない。

 だが、辰美は《《自分の妻がもしピアニストだったら》》、と仮定して考えた。

「私は、料理はあまり得意じゃないから美味しいご飯は作れないかもしれない。一人暮らししてたから大概のことはできるけど、女の人みたいには難しいだろうな」

「じゃあ……そういう奥さんは嫌ですか……?」

「いいや。ただ、私の家事は完璧じゃないから、うまくサポートできるか分からないなと思って」

「そう、ですか」

「音楽のことはよく分からないけど、本人が楽しんでやってるんだ。それに、好きな仕事に就けるなんてなかなかないことだ。理解してやることしか出来ないけど……もしそうなら、出来る限りのことはしたいと思うよ」
 
  そう言うとMIYAは嬉しそうに笑った。

 きっと今、そういう父親がいたらと思っているのかもしれない。もしかしたら、MIYAは自分のことを父親のように思っているのかもしれない。だからこんな質問をしたのか。

 ただ、そうだとしてもMIYAの理解者でありたい気持ちは変わらない。恋人になるなんて高望みせず、そっと寄り添っていればいいと思った。