ライブの日、辰美はいつになくご機嫌で仕事を終わらせた。その日は特にトラブルもなく、残業なしで帰れそうだった。

「課長、ご機嫌ですね。何かあったんですか?」

 有野も嬉しそうに尋ねた。

「ああ、これからちょっとな」

「もしかして、デートですか?」と、有野の表情が悪そうな笑みに変わる。

「違うよ。ピアノを聴きに行くんだ」

「へえ、ピアノですか。課長ってそんな趣味あったんですね」

「最近ハマったんだ」

 荷物を持って颯爽と会場へ向かった。ライブ会場は新宿にある。行ったことも聞いたこともない会場だった。

 会場の住所に着くと『JOKER』という看板が目についた。一見、ライブハウスだとは分からない。外から中の様子は見えなくて、なんの店かわからないので辰美は不安になった。

 だが、人は何人か入っていく。オープンの時間は過ぎているし、分からなければ聞けばいいだろう。意を決して中に入った。

 入り口を入ってすぐに小さな受付があった。壁にはアーティストのポスターが一面ずらりと飾られている。辰美は前にいる人物に習いチケットを渡した。

 何枚かセットになったフライヤーの束を受け取り、ようやく会場に入った。

 会場は思っていたよりも小さかった。会社のフロアと同じぐらい。いや、それより小さい。

 薄暗い中椅子が並べられていて、全部で大体五十席ぐらいだろうか。だが、まだその半分も座っていなかった。

 小さなステージの上にはグランドピアノではなく、電子ピアノが置かれていた。なんとなく思っていたものと違って辰美は驚いたが、空いている席に座った。

 周りにいる客は顔見知りなのか、会話している者もいる。彼らはMIYAのファンなのかもしれない。

 辰美は先ほどもらったドリンクチケットを持ってドリンクカウンターに並んだ。ビールやワインもあったが、せっかく演奏を聴きにきたのでウーロン茶にすることにした。

 オープンの時間から一時間後、ステージのライトを残して観客席側ののライトがゆっくりと落ちた。ステージの裾からMIYAが現れると、客席に座った観客たちが拍手した。

 MIYAは黒いワンピースを着ていた。大人っぽいが、どこか可愛らしい。

 電子ピアノにくっついたマイクを持つと、MIYAは喋り始めた。どうやらあのマイクはおしゃべり用のものらしい。ストリートライブの時も持っていた。

 当たり障りない挨拶の後、曲のタイトルを紹介して演奏が始まった。なんとなく初めての空間で落ち着かなさを感じながらも、辰美は演奏に聞き入った。