「死なねぇの?死ぬなら死ぬ、死なねぇなら生きる。早くしろ、私も時間がねぇんだからよぉ」

 とある農業しか取り柄のない田舎町。古く大きな日本家屋があった。その家は昔から続く豪農で周りからも分限者と言われ、古いが大きな納屋や蔵まであった。今でも資産家として有名である。

 そんな資産家宅の納屋に一人の成人女性がぼやっと天井を見つめ立っている。年の頃は二十代後半、短い髪は亜麻色に染められ、暖かそうなセーターを着ていた。

 納屋の天井に渡る太い梁。かなりの年数が経っているのが分かる。その太い梁に、ゆらゆらと揺れる一本の白い縄が掛けてあった。その縄の先は輪っか状になっている。

 女性はその縄を見上げていたのだ。これから自分が首を縊らんとするその白い縄を。

 そんな時だった。急に後ろから少しハスキーな声に話し掛けられたのだ。女性が振り返るとそこには見たこともない少女が一人、にたにたと笑いながら立っていた。

 両親も自治会の旅行、家政婦さん達にも休暇を与えており、広い敷地のこの家に誰もいないこの日を選んで死のうと思っていた女性は思わずひゃっと声を上げてしまった。

「けっ、なんだなんだ、素っ頓狂な声出しやがってよぉ。立派な梁じゃねえか、これならしっかりとてめぇの体をぶら下げてくれるぜぇ……へっへっへっ」

 少女は女性の見ていた縄を掴むと、二三回ぐいっと引っ張った。

「準備OKじゃん、ほら死になよ?」

 ご丁寧に縄の下に椅子を据える少女は、にたりと見る者を不快にさせる笑みを浮かべ、女性を手招きしている。

「私は……死んで償いたいのです」

 縄の側まで歩み寄り、天井を見あげる女性がぽつりと呟く様に言う。

「私は……十四年前、ロッカーに産まれたばかりの赤ちゃんを捨てました」

「私はその当時十六才。学校も行かず遊んでばかりいました……その頃に付き合っていた彼氏との間に出来た子です」

「私はトイレでその子供を産み……」

「最近、どうしてか……よく夢に……」

「死んで……あの子に詫びたいのです」

 一人で話し続ける女性の表情は虚ろで、ただ機械のように口を動かしているだけの様に見える。

「……で?だから何だよ?死ぬの?死なねぇの?どっちなんだよ?」

「……死にます、あの世であの子に謝ります」

 女性は手を伸ばして縄を掴むと、椅子に片足を乗せた。なんの迷いもない……否、何も考える事の出来ない目をしている。

「一つ……言い忘れてた事があったぜ。てめぇが死んでも赤ん坊には逢えねぇし、謝る事も出来ねぇよ」

 ぴたりと動きが止まる女性。そしてゆっくりと少女の方へと顔を向けた。

「逢えない?謝れない……?」

「そうさ……死んだらそれまでだからよ。あの世なんてあるわきゃねぇだろうが。あんなんは宗教上でなくちゃ困るから作られたもんだ。死んだ後に何も無いんじゃ、誰が宗教の教えや立法を守るかよ?そりゃぁ良いことがあるから守るんだよ。だから現実はな……死んだらお終い、はい左様なら……だぜ」

 にたにたと笑いながら話しかける少女に、近づく女性が縋るように少女の足へとしがみつく。

「私に……私に死ぬなと?生きて……生きて償えと?」

「知らねぇよ、んな事よぉ。てめぇで決めろや。私は救済者《キリスト》じゃねぇんだ」

 足元に蹲る女性を見下ろしながら少女は吐き捨てる様に言った。

「……私は……生きていて許されるのでしょうか」

「だからよ、知らねぇし。一つ言えるのは、許されるような生き方をしろ」

「……許されるような生き方?」

「知らねぇよ、てめぇでちったぁ考えろ」

 ちっと舌打ちをした少女は、蹲る女性の胸ぐらを掴むと無理やり引き摺り起こし、自分の前へと立たせた。そして、鼻と鼻がくっつきそうな程に顔を近づけ、さらに話しを続けた。

「あの世なんてねぇから、赤ん坊には逢えねぇし謝れねぇし、死んだらそれまでだからよ。でもよ、赤ん坊はてめぇの心の中に生きてんだ。てめぇの心の中でなら逢えんだよ。だからよ、生きて、その赤ん坊に許して貰えるような生き方を探せや。いつか、てめぇの心の中の赤ん坊が笑ってくれるようになったら、許してくれたって事だろう?」

 一気に捲し立てる少女に掴まれ、何とか立っていた女性の虚ろな目からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちてくる。そんな女性の胸ぐらから手をぱっと離すと、膝から崩れ落ちた女性の嗚咽が辺りへと響いた。

「あとは自分で考えろや。その為に頭がついてんだからよ。死ぬなり生きるなり、てめぇの自由だ。まぁ、生きるならてめぇの心ん中の赤ん坊と共に歩けや、笑ってくれるその日までよ」

 少女の言葉にこくこくと頷くだけの女性。そして、あっ、いけねぇ……と呟いた少女は、また、女性の方へと歩み寄り、耳元まで屈んだ。

「私はさっちゃん。死神さっちゃん、また死にたくなったら呼んでな。魂を持って帰るノルマが厳しいからよ……へっへっへっ」

「死神……さっちゃん?」

「そ、御用の際はなんなりと……ってね」

 にたりと笑う少女は、泣き腫らした目で見詰める女性の前から、ゆらゆらと揺らめきながら蜃気楼の様に消えていなくなった。

 それから、その女性がどうなったかなんて分からない。のんびりとした田舎町は、相変わらず平和で自殺だなんだというニュースには縁がない様子である。

 そして、町から少し離れたの所にある児童養護施設に一人の女性が入職したと聞いた。髪の短い綺麗な女性らしいが、詳しい事は知らない。

 人でごった返す駅構内にあるロッカーを、一つ一つ開けて回る少女の姿がある。濡鴉の様に漆黒で腰ほどまで伸びた長く美しい髪の少女。数多くあるロッカーの最後の一つを開けて何もない事を確認すると、にたりとした嫌ぁな笑みを顔中に浮かべた。

「さぁ、次に行くかぁ……ったく、人遣いの荒い職場だぜ」

 そう言いながら少女は人混みに紛れ、ふわりと霧のように消えていった。