学校が休みの土日は春希が竜の家に行くことが増えた。春希は決まって肌が見えない上品な格好で、美味しそうなお菓子の手土産を持ってやって来る。春希の手土産のお菓子がお洒落なのでそれに見合うようにと、千秋は上等なコーヒーや紅茶を買うようになった。
 春希がいつも通り上品なワンピースを着て竜を訪ねてやって来ると、段ボール箱を抱えた千秋が部屋から出てきた。
「春希ちゃん、私の服着てみない?」
 どうやら部屋の整理をしていたら昔に着ていた服がたくさん出てきたが、どれもいい値段の物なので捨てるのが惜しいらしい。
「私が大学生の時に着ていたの」
 千秋は丈の短いジーンズを広げて春希に渡した。他にも肩が出るトップスやミニスカート等、春希が普段着ない系統のものばかりだ。
「千秋、これ露出多くない?」
「そう?でも、春希ちゃんに似合うと思うわよ」
「似合うけど」
 竜は一緒に段ボール箱の中をのぞくと、あまりにも春希のイメージと真逆の物ばかりだったので少し心配になった。
「可愛いでしょ?」
「はい」
 千秋に気を使って話を合わせているのかと思ったが、意外にも嬉しそうな顔の春希。これから露出が多い服を着て来るようになったらどうしよう。目のやり場に困ってしまう。竜の心配をよそに春希は千秋に渡された服を全部貰うと言う。
 千秋は段ボール箱が大きいので春希の家まで運ぶように竜に言うと、満足そうに部屋の整理に戻った。言われた通り春希を送るついでに段ボール箱を持って春希の家に行くと、春希の母親は中身を見て驚き、苦笑いをしていた。


 次の日、いつもは一緒に下校しているが、今日は寄るところがあるから一人で帰ると言う春希。
「買い物?」
「うん。まぁ、そんなとこ」
「じゃあ一緒に行くよ」
 竜がついて行こうとすると春希は目を泳がせて次の言い訳を考えている。
「長くなるから……」
「じゃあ尚更ついて行くよ」
 言い訳に失敗した春希は困りながらも笑って誤魔化している。よく分からない竜は、それでもいつもと様子が違う春希を一人にすることが出来ず、首を傾げながらついて行った。春希は本屋で参考書と最新巻の漫画を買い、文房具店でファイルとペンを買った。次はどこへ行こうかと迷っている。行くあてはないらしい。
「春希、無理に買ってない?」
「そんなことないよ」
 さっきから、あっても困らないが別に買わなくてもいい物を買っている。あまり意味のない買い物のように見える。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
 日も短くなってきて辺りはもう薄暗い。竜がもう帰ろうと言うと春希は目を逸らした。
「私は、もう少ししてから帰るね」
「じゃあ俺もそうする」
 おそらく家に帰りたくないんだ。だから買い物でもして少しでも家に帰る時間を遅らせていたんだ。合点がいった竜は最後まで付き合うことにした。
「家で何かあった?」
 竜が聞くと、春希は驚いて竜を見上げた。そして、バレてしまったと苦笑いを浮かべた。
「何もないよ。お母さんもおばあちゃんも言ってることは正しいの。私だけが納得いってないだけのことだから」
 春希は詳しい内容は言わないが、家族の意見に納得いかないことがあったらしい。正論の意見だとしても気持ちがモヤモヤしてしまって足が家に向かないのだ。家でも自分の気持ちを我慢している様子の春希。納得いかなかったら全部口に出してしまう竜は、そんな息苦しいことがあるのかと眉をひそめた。
「よし、家出しよう」
「え?」
「家に帰りたくないなら家出するしかないだろ?」
 竜の極端な提案にポカンとする春希。とは言っても、遅い時間に制服姿でウロウロしていてはそのうち補導されてしまう。
「いい場所があるんだ」
 竜は不安半分困惑半分の春希の手をとって駅に向かうと、終点までの切符を二枚買った。
「春希が帰りたくなったらすぐに帰ろう。それまで一緒にいるよ」
「でも、竜君まで叱られちゃうよ」
「大丈夫。俺のことは気にしないで。知らない所じゃないから」
 終点は温泉の観光地で、旅館や土産物屋、露店が建ち並び観光客で賑わっていた。温泉旅館に泊まっている客が多く浴衣姿の人とよくすれ違う。春希は観光客を避けて真っ直ぐ進む竜の背中を見ながらついて行った。突き当たりにたどり着くと、大通りから少し離れた場所にある「二ノ宮」と書かれている木製の看板を掲げた旅館があった。
「すいません」
 竜は躊躇なく旅館の戸を開けて声をかけた。暖簾の奥から着物をきた女将が竜を見て驚いている。
「竜君、久しぶり。どうしたの?」
「おばちゃん、急に悪いんだけど部屋空いてる?ちょっと落ち着ける場所がほしくて」
「ちょうど一部屋空きがあるけど」
 女将は部屋を確認しつつ、竜の後ろの春希をチラッと見た。
「春希、ここは郁留の実家の旅館だよ。二ノ宮の会社の旅館でもあるから安心していいよ」
「そうなんだ」
 女将は竜が春希と呼んだ女の子のことを、昔息子の郁留と竜と三人でよく遊んでいた女の子だと思い出し「あぁ、春希ちゃんだったの」と笑顔になった。
「部屋は使っていいけど、客室だからお金はきちんと貰うわよ。二人で三万円だけど大丈夫?」
 アルバイトもしていない高校生にとっては大金だ。財布の中を見なくても足りないことは分かっている。
「高くない?」
「空いてる部屋のグレードが松なのよ」
 女将は竜がギョッとした顔をしたので、一目で払えないのだと悟って苦笑いをした。
「そうねぇ。じゃあ働いてもらいましょう」
 女将は作務着を竜と春希に渡すと、春希は厨房で盛り付けの手伝いを、竜は掃除の手伝いをするように言った。
「よろしくお願いします」
 春希は厨房で魚を捌いている郁留の父親に頭を下げて挨拶をしていた。父親は小さく会釈をして春希に割烹着を渡し、刺身の盛り付けをするように指示をしている。どうやら口下手らしい。
「若女将みたいで可愛いなぁ」
 女性用の赤い作務着に白いフリルのついた割烹着を着て礼儀正しくしている春希はさながら見習い若女将のようだ。
 女将は竜がついポロッと出した一言が可笑しくて吹き出した。
「分かりやすく鼻の下がのびるのね」
 竜は慌てて言い訳をしようとするが、笑い続ける女将に「早く行くわよ」と背中を押された。
 竜は男湯の浴室をブラシで擦るように言われたが、三十人は入れそうな浴室の掃除を一人でしなければいけない。擦っても擦っても石鹸のぬめりが取れない。しばらくして女将がチェックをしにやってきたが、やり直しだと言われた。
「今日は宴会があって人手が足りないの。悪いけど頑張ってね」
 気が遠くなりそうだったが、もう一度やり直しだと言われたら心が折れるので念入りに磨いた。第一、お金もないのに押しかけておいて、頼まれたこともろくに出来ないと迷惑をかけてしまう。竜の足腰が限界になった頃、もう一度女将が様子を見に来ると、今度は「綺麗になったね」と褒めてもらえた。やっと終わったとホッとしているのも束の間、今度はビール瓶ケースを三階まで持って上がるように言われた。便利なエレベーターなんてものは無く、十ケースを宴会会場まで持って上がらないといけない。もう足も腰も悲鳴を上げていたが「いつもおばちゃんがやってるのよ」と言われ、半ばヤケクソで全部運んだ。


「部屋の用意しておいたよ。温泉も入っていいからね」
 松グレード部屋は広くていい部屋だった。今は夜も遅く真っ暗でほとんど何も見えないが、大きな窓の外は紅葉山や海も見渡せ、さぞいい景色が楽しめるのだろう。テラスには露天風呂もついているが、残念ながら室内から丸見えなので自分達は入ることは出来ない。高校生に使わせるにはもったいないくらいだ。
「布団用意してくれたのはありがたいけど、なんで横並びに敷いてあるの?」
 こんなに広いのに二つの布団がピッタリくっついて敷いてある。女将は驚いて春希に聞こえないように竜に耳打ちをした。
「え?付き合ってるんじゃないの?」
「違います」
「じゃあ同じ部屋に泊まることにもう少しドキドキしてもよくない?」
 女将の期待にそえなかったようだ。緊張ならしているが、それよりも落ち込んでいる春希が心配な方が大きい。
 広い部屋は襖で区切ることで二部屋にすることが出来る構造になっている。女将は渋々片方の布団を襖の向こうに敷き直すと「どうぞ、ごゆっくり」と宿泊客に対するようにお辞儀をしながら静かに戸を閉めて出て行った。
「せっかくだから大浴場入ってきたら?結構広いぞ」
「竜君は?」
「俺も後で行くよ」
 竜は春希がタオルと浴衣を持って部屋を出たことを確認すると、部屋に置いてあった電話の受話器をとった。確実に叱られる。覚悟を決めて自分の家にかけると、千秋の声が聞こえた。
「もしもし、千秋?」
「竜!あんたどこいるの!?」
 開口一番、怒鳴られると思っていたので受話器を耳から離していて正解だった。
「郁留の実家の旅館」
「なんで!?」
 竜は春希が家で嫌なことがあって帰りたくなさそうにしていたことを話し、自分が家出を提案したと言った。
「もしかして、同じ部屋に泊まるの?」
「一部屋しか空いてなかったんだ。でも、襖で区切れるから」
「あんた、春希ちゃんに触ったら殴るからね」
「なんでそんなに信用ないんだよ」
 女性が出せる一番低い声が聞こえてきて、思わず背筋がブルっと震えた。女将には期待されたのに千秋には脅される。
「春希のお母さんも心配してると思うからさ、うまく言っておいてくれないか?」
「うまくって言ったって」
「嫌なことがあったから出てきたのに、帰って怒られたら可哀想だよ。俺が悪いってことにしていいから」
「そうね。ことの発端は私だし、考えてみるわ」
「千秋が?」
「あら、女心が分からないのね」
 千秋は「とにかく気をつけなさい」と言って電話を切ってしまった。竜は何故千秋が自分が原因だと言ったのか、何故女心が分からないと言われたのか理解できなかった。
「あれ?まだお風呂行ってないの?」
 相当長く話していたらしい。温泉から戻ってきた春希が作務着のままの竜を見て驚いていた。
「うたた寝してた。もう疲れたから部屋にあるシャワーでいいよ」
「そうなの?温泉気持ちいいのに」
 体から湯気が出てきそうなくらいホカホカの春希は温泉に満足したようだ。長い髪を結い上げて浴衣姿の春希を見ていると、なんだかとんでもない提案をしてしまったような気がした。一緒にお泊まりなんて小学生の時以来だ。しかも二人っきりは初めて。何があっても、何をしても二人以外誰も見ていない。竜は急いで部屋にある小さなユニットバスに向かい、冷たいシャワーを浴びた。
「寒い」
「どうして!?」
 落ち着かせる為にシャワーを冷たくしたら、当たり前だが体が冷えてしまった。戻ってきた竜が寒さで青い顔色だったので春希は慌てて押し入れから毛布を出して竜に被せた。体を暖めようと布団に潜ると、足腰の痛みもさることながら疲れで体が動かず、そのまま強烈な眠気に襲われてストンと眠りに落ちた。



 部屋は真っ暗で静か。虫や野生動物の鳴き声がよく響く。早めに寝ついた竜は枕元の物音で目が覚めた。目を開けると春希が枕元に座っていた。竜はまだ半分寝ぼけているが、起き上がって布団の上であぐらをかくと「どうした?」と春希の話を聞こうとした。
「起こしてごめんね。寝てていいよ」
 春希は敷布団をポンポンと叩いて寝転ぶように言った。
「家に電話しようと思って」
「帰りたくなった?」
 暗くてよく見えないが、春希はニコッと笑って「気持ちが落ち着いた」と言った。安心した竜は再び眠気に襲われて布団に入った。
「もう遅いし、明日早めに帰ろう。お母さんへの連絡は千秋がうまく言ってくれていると思うから大丈夫」
 竜は眠たくて呂律が回っていないが、春希の「うん」と返事を聞くと頷いて目を閉じた。
「ありがとう、竜君」
 春希がお礼を言いながら、寝ている竜の頬にかかっている髪をかき上げ、頭を撫でた。




 次に目を覚ますと、薄暗さで早朝だとうかがえた。疲れ切ってはいたが、慣れない場所だと眠りが浅い。まだ若干、足と腰に痛みが残っている。だが、今日はひとまず早く帰らないといけないので二度寝している余裕はない。竜が上体を起こし横を見ると、自分の横に春希が寝ていた。畳の上で布団も何も被らず、スヤスヤと眠っている。竜は驚いて声を出しそうになったが、そういえば夜中に電話をかけようとした春希と会話をしたことを思い出した。あのまま寝てしまったのか。
「俺、触ってない、よな?」
 寝ぼけて変なことをした記憶は一切ない。うん、よし。しかし、一晩中こんなところで寝ていては風邪を引いてしまわないだろうか。竜は春希の上に布団をかけてやり、せっかくだから温泉にでも入ろうと足音を立てないようにそっと部屋を出た。
 熱い風呂に入ると足腰の痛みが幾分か和らいだ気がする。やはり昨日の冷水シャワーはいけなかった。部屋に戻ると春希はしっかり制服に着替えており、布団を整えて片付けをしていた。
「おはよう」
 春希は朗らかに竜に挨拶をした。同じ場所で寝て起きて、一番に挨拶するのが春希なのは新鮮だが、なんだか嬉しかった。
 時間は五時。竜と春希は郁留の両親にお礼を言いうと「また手伝いに来てね」と朝ご飯のおにぎりを渡された。
 始発の電車に乗ると、乗客のほとんどが夜勤明けのサラリーマンで皆眠たそうに揺られていた。皆、他人のことに無関心でまばらに座っている。
 駅を出ると、出口で稜輔が待っていた。竜と春希の姿を見るとやれやれという顔で安心してため息をついていた。
「朝帰りとは、なかなかやるじゃないか」
 稜輔は二人をからかったつもりだったが、春希は青い顔をして「ごめんなさい」と頭を下げた。縮こまっている春希に稜輔は少し屈んで目線を合わせて穏やかに微笑んだ。
「大丈夫。一緒に家に帰ろう」
 道中、先を歩く稜輔は何も言わず何も聞かないが怒っている様子はない。どちらかというと機嫌が良さそうにも見える。
 春希の家に着くと、春希の母親が玄関先で待っていた。稜輔と同様、安心してため息をついている。春希は消えそうな声で母親に「ごめんなさい」と謝った。母親が何か言おうとすると、稜輔は竜の頭を掴み下げさせた。
「竜が連れ回したみたいです。いつもご心配ばかりかけてすいません」
 稜輔も謝りながら竜と一緒に頭を下げた。春希は驚いて母親に「違うの。竜君は悪くないの」と首を横に振った。母親は慌てて頭を上げるように言うと、稜輔は竜の頭から手を離した。顔を上げると母親は竜に「お疲れ様」と言った。お疲れ様?
 春希の家から出ると、稜輔は楽しそうに笑っていた。良いことでもあったのかのように。
「これでよかったかい?」
 竜は昨夜、千秋に自分を悪く言っていいから春希を庇うように言ったことを思い出した。その通りにやってくれたようだ。だけど、どこか違和感が残る。
「仕事に行ってくるよ。千秋も家で待ってるから早く帰りなさい」
 稜輔はまるで何事もなかったかのように出勤していった。
 稜輔も、春希の母親も叱ってこない。自分を悪者にしろと言ったのに誰も悪く言ってこない。
 家に着くと、千秋が腕を組んで待ち構えていた。とうとう叱られるのかと思ったが、
「春希ちゃんに何もしてないでしょうね?」
「何の心配してるんだよ」
 思っていた責められ方と少し違って拍子抜けした。
「みんなで口裏を合わせただろ」
 稜輔は竜を悪く言うフリをしていた。春希の母親もそれを分かっているので「お疲れ様」と言ったのだろう。
「ちゃんと言わないと心配されるでしょ?せっかくあんたが家出なんて言いながら身内の所に連れて行ってお手伝いまでしてきたんだから叱られると可哀想だと思ったのよ」
 稜輔にいたっては叱るどころかニコニコしてまるで表情が作れていなかった。今後、稜輔に演技を頼むのはやめよう。
「少しは女心が分かった?」
「何のことだかさっぱり分からないんだけど」
 千秋はわざとオーバーに首を横に振りながらため息を吐いた。千秋が昨日から言っている女心というやつが、春希が元気ない理由と結びつかない。
「この前、春希ちゃんに服あげたでしょ?でも、足に傷跡があるから、あの服を着ると目立つんですって」
 事故で足に大怪我をした春希。いつも首元から足先まできちんと衣服で包まれているし、春希もそんな話は全くしないので頭から抜けていた。
「春希ちゃんも分かってたみたいだけど、どうにかして着れないか考えていたら、お母さんとおばあちゃんに止めるように言われて持っていかれたらしいの。もちろんいつか着れるように保管してあるみたいだけど」
「でも、春希がそんなことで?」
 服を没収されたくらいで家に帰りたくなくなるだろうか。それくらいなら、いつもみたいに上手く切り替えて納得する性格だと思っていたが何故今回は落ち込んでしまったのだろう。
「あんた、覚えてない?似合うって言ったこと」
「言ったような気もする」
「今回は春希ちゃんの事情を考えずに肌が出る服を渡した私が悪いわね。まぁ、竜の一言が嬉しかったから余計に没収されたことが嫌だったんでしょうけど」
 まさか、似合うと言われたから着たかったのだろうか。自分が言った何気ない一言で、春希が一喜一憂しているのだと思うと口元が緩んできた。
「ニヤニヤしないの!女の子が落ち込んでたんだから」
「してない!」
 口元の緩みをキュッとしめたつもりだったが、嬉しい気持ちが勝ってしまう。
「稜輔もあんたも感情が顔に出てるのよ」
 なるほど、血筋か。それは仕方ないな。諦めて思いっきりデレデレすると、千秋に頬を引っ張られて怒られてしまった。