「春希、明日映画見に行こうよ」
「明日?」
「土日は席がいっぱいなんだって。だから明日の放課後に行こう」
 春希に借りて読んでいた少女漫画が映画化されたので、一緒に見ようと誘ってみた。人気アイドルが主演をつとめるので話題になっており、特に土日の映画館は満員になっていた。恋愛コメディで笑える要素もありつつ、ホロっと涙を誘う場面もあり、なかなか面白くてハマってしまった。
「うん、わかった。楽しみだね!」
 下校は真っ直ぐ家に帰ることが多かったので、寄り道することにわくわくしている様子の春希。
 映画館は駅前の繁華街にある。飲み屋も多く、夜遅くになると酔っ払いや不良が集まることもある。いつもよりは遅くなるけど、映画一本くらい大丈夫だろう。春希も見たがっていたので楽しみにして明日の放課後をむかえた。


「うぅ、最悪だ」
 映画館から出て、グスグスと泣く竜に春希は鞄からハンカチを出して渡した。漫画ではハッピーエンドの話がバッドエンドに改変されていたのだ。周りの人に祝福されながら結婚して終わる話が、映画では結婚式前夜に主人公が殺されてしまっていた。
「あんまりだ。酷すぎる。可哀想だ」
「そ、そうだね」
 予想だにしなかった物語の展開に春希も衝撃を受けていたが、それよりも隣で泣き出した竜に気を取られてそれどころではなくなっていた。
 映画館の出入り口にあったベンチに座って、気持ちを落ち着かせようとしていると、
「あれ?竜、なんで泣いているの?」
 私服に着替えて妹と手を繋いだ渚が竜と春希に気づいて近づいてきた。春希は苦笑いしながらさっき見た映画で泣いているのだと説明すると渚は大笑いしていた。
「渚君の妹さん?こんにちは」
 春希は渚の妹の前で屈み、ニコッと笑って挨拶をした。
「唯、お兄ちゃんとお姉ちゃんに挨拶しな」
 初めて会った春希に人見知りをしている唯は渚に促されると、兄の手をギュッと握りながら小さく「こんにちは」と挨拶をした。
「今日、母さんも姉ちゃんも仕事でいないから二人で夕飯食べにきたんだ。唯がハンバーガー食べたいらしいんだけど、一緒に来る?」
 買い食いをしたことがない春希は目がキラキラと輝いた。たまにはいいか。家に連絡を入れておけば大丈夫だろう。
 すぐ近くにあるファーストフード店は夕食時とあって、店内に行列ができていた。
「ハンバーガーなんて久しぶりだな」
 列に並び、順番待ちの間にメニューを見ているとだんだんお腹が空いてきた。ファーストフードを食べる機会がなかった春希の方を見ると楽しそうに唯とメニューを見ていた。女の子同士だからかもう打ち解けている。
「渚、しっかりお兄ちゃんしてるんだな」
「年が離れているからね。可愛いんだ」
 竜が茶化すと、渚は照れ笑いを浮かべた。行きたい所に連れていったり、手を繋いで歩いたり、人に挨拶するように促したりと、普段フラフラしている渚が妹に対してしっかりしている一面を見られてなんだか嬉しくなった。
「お兄ちゃん」
 さっきまで楽しそうにしていた唯が渚の服を引っ張って、深刻そうな顔で呼んでいる。
「トイレ行きたい」
「トイレかぁ」
 店内を見渡してみると、トイレらしい場所はなかった。向かいにあるゲームセンターのトイレが一番近いが列から外れて外に出なければならない。
「兄ちゃんは女子トイレに入れないから家出る前に行っておきなって言ったでしょ?男子トイレでもいい?」
「嫌!」
 ブンブン首を横に振って泣きそうになっている唯に困って頭をかく渚。
「私、一緒に行くよ」
 春希が唯の手を取り、列から外れて小走りで店の外に出て行った。ガラス越しにゲームセンターの中に入っていくのが見える。
「助かった。こういう時どうしたらいいか分からないんだよね」
「お兄ちゃんって大変だな」
「可愛いんだけど、なかなか言うこと聞いてくれないんだから」
 渚は困ったものだと苦笑いをして、ゲームセンターの方をずっと見守っていた。竜は、そんなに見ていなくても春希が一緒だから大丈夫だろうと思い、再びメニューに目を落とした。
「ねぇ、竜」
 しばらくして、ゲームセンターの方を見ていた渚は竜の肩を叩いて指を差した。
「あれって3組の本田君だっけ?」
「誰?分からない」
「ほら、サッカー部の」
 渚が指をさす方向を見ると、ゲームセンターの出入り口で同じ学校の制服を着た男子生徒が春希に話しかけていた。渚いわく3組の本田らしいが、竜は他のクラスの生徒のことなど覚えていなかった。
 会話は聞こえないが、春希が首を横に振って断っている仕草をしている。唯のトイレも終わり、こちらに戻ろうとしているが、本田が話しかけているせいで戻るに戻れなくなっているようだ。
「あ、触った!」
 思わず声を上げる渚。本田は春希の腕を持ち、話し続けている。春希は困り顔でなんとか本田から離れようとしていた。
「ちょっと行ってくる」
 見ていられなくなった竜は急いでファーストフード店を出ると、春希と本田の会話が聞こえてきた。どうやら本田は今から遊びに行こうと春希を誘っているらしいが、春希は竜や渚と一緒に来ているからと断っている。
「それに、唯ちゃんもいるし」
「渚の妹だろ?近くにいるなら放っておけばいいだろ?」
「そんなわけには……」
 本田に放っておけと言われた唯は春希の後ろに隠れて「早く行こうよ」と春希の服を引っ張って急かした。
「そうだね。ごめんね、本田君」
 いよいよ春希が本田から離れようとすると、本田は舌打ちをして、
「調子に乗るなよ、ブス」
と吐き捨てた。
 それを聞いた竜はつかつかと本田に近づき、後ろから背中を蹴った。いきなり蹴られた本田は倒れ込み、頭に血が上った顔で振り返った。
「二ノ宮、お前……」
 蹴り飛ばすつもりはなかった竜は、顔を真っ赤にしている本田を見てハッと自分がしたことに驚いていた。ただ春希を解放するように言おうと思っていただけだったが、意図的に春希を傷つけようとした言葉を聞くと体が先に動いていた。
「あ、ごめん。無意識だった」
「はぁ!?」
「蹴ったのはごめん。でも、今のは酷い」
 本田は竜の襟ぐりに掴みかかるが、竜は無抵抗のまま動揺することなく蹴ったことを謝りつつも春希に対する行動を非難した。
「ちょっと、やめてよ」
 春希が竜と本田を止めようとすると、唯が春希にギュッとしがみついた。唯が怖がっていることが分かると、春希は唯を自分の体で隠して、
「小さい女の子に喧嘩しているところ見せないでよ!」
と怒鳴った。
 怒られた竜と本田はピタッと動きを止め、気まずいような恥ずかしいような複雑な表情をした。
「どういう状況?」
 後から来た渚は、喧嘩勃発しかけの竜と本田に怒っている春希、春希にしがみついて怯えている唯を見渡して、とりあえず竜の襟を掴んでいる本田を引き離した。
 周りには高校生が喧嘩していると聞きつけた野次馬が数人集まりかけていた。見せ物になるのが嫌だったのか、本田はその場を離れようとしたが、野次馬の中のスーツを着た男性に引き止められていた。
「何しているのかな」
 男性の首に下げられた社員証の名前を見た本田はハッと見上げた。株式会社二ノ宮 代表取締役 二ノ宮稜輔。
「稜輔、出張に行ったんじゃなかったの?」
 社員証をつけたままということは仕事中だったのだろう。今日は出張に行ってくると言っていた稜輔が本田の肩に手を置いて引き止めていた。
「今、帰ったんだよ。それより、どうしてこんな騒ぎの中心にいるの?」
 口調は穏やかだが、目が座っている。
 竜を叱るのはいつも千秋だが、本当に悪いことをした時は、あの座った目でなんで?どうして?と質問責めをしてくるのだ。それが竜には怒鳴られるよりきつい。
「君は、後でお父さんに言っておくから、真っ直ぐ帰りなさい」
 本田は青い顔をして肩を落とし、トボトボと帰っていった。
「さぁ、君達も帰りなさい」
 稜輔は渚と唯にも家に帰るように言うと、唯は小さい声で「ハンバーガー……」と呟いた。しょんぼりしている様子の唯を見た稜輔は財布からお札を数枚取り出し、渚に「好きなものをテイクアウトしておいで」と渡した。渚は慌てて断るが稜輔はお詫びだからと押し付けた。ハンバーガーが食べられることになって少しだけ機嫌が直った唯を見た渚は申し訳なさそうにお金を受け取ると唯の手を取ってファーストフード店に入って行った。
「竜、春希ちゃんを家に送ったらすぐに帰ってきなさい」
 稜輔は携帯電話を取り出すと、直帰すると会社に連絡し、家に帰って行った。
 春希は深いため息をつき、俯いて歩き出した。
「あの、ごめんね」
 竜が謝ると、春希はチラッと顔を上げて竜の方を見た。
「謝る相手は私じゃないと思うよ」
「あぁ、うん。そっか、そうだね」
 どうすればいいのか分からず、困って目線がキョロキョロしている竜に、春希はしょうがないなぁと笑った。
「でも、代わりに怒ってくれて嬉しかったよ。蹴るのはよくないけどね」
「うん。明日、ちゃんと謝ってくる。仲直りできるか分からないけど」
「あと、唯ちゃんにもね」
「怖かったみたいだから、謝りに行ってくる」
「私も大きい声出したから一緒に行くね」
 竜の答えを聞くと満足そうにうんうんと頷いた春希はもう怒っている様子はないので安心したが、家に稜輔が待ち構えていると思うと気が重い。春希を送り届けて一人になってから更に気の重さが増した。早く帰らなければいけない気持ちとなるべく帰りたくない気持ちがせめぎ合いながら帰路についた。
 玄関の扉がいつもの倍は重たく感じる。そっと家の中に入ると、稜輔の話し声が聞こえてきた。どうやら電話中のようだ。ひたすら謝っている。
「竜、そんなところで何してるのよ」
 リビングの前で稜輔の話し声を聞いていると、千秋が早く入ってくるようとに言った。
 稜輔は竜が帰ってきたことに気がつくと、電話を切り、苦笑いをしてため息をついた。
「あー、また怒られてしまった」
「稜輔が?誰に?」
「本田君のお父さん」
 どうして稜輔が怒られることになるんだろう。息子が蹴られたから?竜ははてなで頭をいっぱいにして首を傾げた。
「本田君のお父さんは、うちの会社の専務なんだよ」
「専務が社長を怒るの?」
 世襲で社長になった稜輔は、もともと長い間勤めていた重役達を飛び越えて社長になったので、反感もあったらしいという話は聞いていたが、本田の父親も稜輔に反発している重役の一人かもしれない。今日のことでより一層反感を買うかもしれないと思った竜は泣きそうな顔で稜輔に頭を下げた。
「ごめん。稜輔の仕事にまで影響するとは思わなくて」
「そうじゃなくて、ちゃんと竜の話を聞いてから連絡してきなさいって言われたんだ。そうじゃないとどういう状況だったか分からないだろうって」
 稜輔はソファに座ると、竜に隣に座るように言った。
「主観を入れてもいいから、何があったのか話してごらん」
 竜が渚と会ってから稜輔が来るまでのことを説明すると、稜輔は「そうだなぁ」と顎に手を置いて考えだした。
「竜の気持ちも分からなくもないけど、手を出すのはいけないな」
「出たのは足だけどね」
 竜が少し口答えをすると、離れた所にいる千秋が「こら!」と怒ってきた。
「あの場所は夜になると治安が悪くなるんだ。今回は同級生だったからまだよかったものの、怖そうな大人だったらどうするの?春希ちゃんの家族は、竜と一緒だから寄り道を許可してくれているんだよ。離れたらダメじゃない」
 途中から自分の意識が春希の心配から唯の心配に切り替わっていたことに気がついてハッとした。そういえば、渚は春希と唯が店を出た後、ずっと二人のことを心配していたが、自分は春希が一緒なら唯は大丈夫だろうと思っていた。
「分かってくれたらそれでいいんだ。ただ、本田君は今ごろこっぴどく叱られているだろうから、そうだなぁ……」
 きつく叱ることが出来ない稜輔は、喧嘩両成敗なのに不平等だと考え込み、いいことを思いついたと顔を上げた。
「竜、お尻出しなさい」
「え!?」
 まさかのお尻ぺんぺん。生まれて今までされたことなかったが、高校生になってされるとは思わなかった。
「稜輔、そんな大きい子にお尻ぺんぺんは変態チックだからやめて」
「冗談だよ。本気にしないでよ」
 千秋が嫌そうな顔をして稜輔を止めると、冗談を言ったつもりの稜輔は通じていないことに驚いて慌てて否定した。
「じゃあ財布、出しなさい」
 通学鞄から財布を取り出して稜輔に渡すと、お金を全て取り出され、無一文になった財布が帰ってきた。


 次の日、渚は心配そうに竜の所にやってきて家に帰った後のことを聞いた。
「財布空っぽにされた」
「うわ、可哀想!」
 渚はこの世の終わりのような顔をして憐れんだ。
 昨日が特別だっただけで、普段はお金を使うことがない竜にとってはそこまで深刻になることでもないが苦笑いを返した。
「本田君のところに行ってくる」
「じゃあ、俺も」
 心配しているというより、面白そうだと期待しているような渚と一緒に本田のクラスを覗くと、不貞腐れて口をへの字に曲げた本田が席で頬杖をついていた。
「やぁ、不機嫌そうだね」
 笑顔の渚は煽りながら声をかけると、一際不機嫌そうになってしまった本田は目線だけこちらに向けた。
「本田君、昨日はごめんね」
 本田は低い声で「うん」とだけ返事した。
「稜輔がお父さんに連絡したみたいだけど、大丈夫だった?」
「ものすごく怒られた」
 上司の稜輔にも物申すくらいだから厳しい父親なのだろうと想像していたが、どうだったか聞くと不機嫌というよりしょんぼりしてしまった本田。
「二ノ宮は?あの人、怖そうだったけど」
「あぁ、うん。財布空っぽになった」
「うわ、可哀想」
 おそらく、本田ほどはきつく叱られていないのでいたたまれない気持ちになった竜だったが、本田はお互い大変だったんだなと同情している。
「唯ちゃんは大丈夫だった?」
 竜は渚に昨日怯えていた唯の様子を聞くと、渚は「あぁ」と思い出し笑いをして「聞いてよ」と言った。
「私の同級生の男子も好きな女の子を取り合って喧嘩してるよ。何歳になっても一緒なのね。だってさ」
「そう……」
 あんな小さい子に呆れられたのか。恥ずかしい。
「本田君、好きな子には優しくしないと」
 渚が本田をからかうと、本田は急いで首を振った。
「そんなんじゃない!それに、あんなに怒る子だと思わなかった」
 春希が大人しくて言われたら断れなさそうだと思った本田は強く誘えばついてきてくれると思って声をかけたらしい。なのに断られた上に怒鳴られ、思っていた女の子と違ったので「もういい。諦めた」という態度。
「君は春希ちゃんがなんでも言うこと聞きそうだと思って声をかけたの?勝手に勘違いして勝手に幻滅されて春希ちゃんが可哀想だな」
 本田の態度にイラついた渚は、一応抑えようとしているが我慢出来ずに棘のある言葉を本田に投げかけた。渚の棘に思い当たる節があったのか、言い返すことなく俯く本田。
「俺とずっと一緒にいるから春希は男友達がなかなか出来ないんだ。無理矢理じゃなくて普通に世間話をすれば普通に話してくれると思うよ」
 昨日から春希に怒られ、父親に怒られ、渚にも怒られた本田が可哀想になってきた竜は春希に普通に話しかけるように言うと、本田は席を立って「……謝ってくる」と呟いて行った。
「いいの?」
 渚は本田を見送った竜に意外そうに聞いた。
「春希なら許してあげると思う」
「そうじゃなくて、仲良くなるかもよ?」
「春希だって友達はたくさんいる方がいいだろ?」
「本当に?」
 渚は廊下に出ると、竜を手招きして呼んだ。竜が廊下に出ると、愛子と二人でお喋りをしていた春希に本田が話しかけていた。どうやら土日の部活の試合に応援に来てくれないかと言っている。
「俺も本田君の応援に行く!」
 竜は急いで近づき、自分も一緒に行くと言い出した。
「楽しそう!俺も行く!」
 ニコニコした渚も続いて行くと言うと、
「あんた達、今は私と春希が話してたのにいきなり入って来ないでよ!春希が行くなら私も行く!」
 春希と楽しくお喋りしていたところを邪魔された愛子は怒りながら自分も行くと言った。
「みんなで行くね!頑張って!」
「うん。ありがとう……」
 休日に大人数で部活の応援が楽しみでわくわくしながら本田と約束する春希。本田は春希が笑顔を向けてくれたことは嬉しいが、余計な人物が三人も付いてくることが複雑で苦笑いをした。
 土日のサッカー部の試合は応援の甲斐あって勝利をおさめていたが、本田にだけ応援団がいたせいで他の部員から妙な目で見られて居心地悪そうな本田がいた。