「それにしても、本当にいいの?僕らも行って」
「郁留は面識あるけどさぁ、初対面の僕はどうしてたらいいのさ」
 春希の母親と連絡がとれ、住所も分かったので、学校の帰りに郁留と海里についてきてもらい春希の家に向かうことにした。ずっと二人に本当にいいのか?と確認されるが、緊張でおかしくなりそうなので、ついて来てもらえるのは非常にありがたい。
 春希の母親から聞いた住所を、図書室で地図を見て調べて来たのだが、途中で方向が分からなくなり地図を回転させて悩む竜。そうして手間取っていると、海里が携帯電話で地図を開き、ルート案内通りに先に進んでいった。
「悪いね。迷子になるよりはいいでしょ」
「そうだけど、なんだかなぁ」
 春希の家は駅裏の住宅街にあった。人通りも少なく閑静だ。海里が躊躇いなく、春希の家のインターフォンを押す。家の中から女性の声で返事がした。
「ちょっと、心の準備をさせて」
「もう押したよ。ほら、行きな」
 背中を押されて玄関のドアの前に立たされる。パタパタと足音が近づいてきて、ガチャとドアが開いた。
「あ」
 ドアを開けたのは、小柄な女の子。斉藤春希。腰まで届きそうな色素の薄い髪が、風圧でふわっと持ち上がった。彼女の大きな目は、さらに大きく見開いて竜を映している。
「竜君?」
 名前を呼ぶ声が耳から頭につたって響いてくる。竜はまばたきもせず、真っ直ぐ春希を見据える。目線を外さないまま、左手でゆっくりと春希の頬を撫でた。日をあまり浴びていない白い肌。手のひらに収まりそうな頬は温かくて柔らかかった。
「こら、痴漢。むやみに触らないよ」
「せめて何か喋りな」
 無言で春希を触り始めた竜に、郁留と海里が慌てて助言をする。竜は後ろからの声にハッとして春希から手をはなした。
「え、えっと」
 そうだ。何か言わないと。何をしに来たんだっけ。そう、春希に会いたかったんだ。何で会いたかったんだっけ。そう、
「好きです」
「え?」
 突然の告白に目をぱちくりさせる春希。まさか開口一番に告白されるとは思わなかっただろう。竜本人ですらそんな事を言うとは思わなかった。もちろん嘘や冗談ではなくて、好きだから会いたくて探していた。
「なんでそうなるの」
「しっかりしろ」
 郁留と海里は、竜の予測できない行動に驚くやら呆れるやらで頭を抱えている。当の本人の竜は、せっかくの再会なのに自分は何を口走っているのかと頭が真っ白になっていた。上手く言葉にならなくて、言いたいことの文章の構成ができない。思考回路が思い通りにならなくて泣きそうになってきた。
「自分が怖い」
 春希は堪えきれずに、ふふっと笑って「ありがとう」と言った。いっそのこと怒って平手打ちでもしてくれた方が気が楽だった。
 すると、タイミングを見計らったように春希の母親が部屋の奥から出てきた。おそらく隠れて聞いていたのだろう。ひとしきり大笑いして涙目になった跡がある。
「いらっしゃい」
 母親が訪ねてきた男子三人に家の中に入るよう促すと、春希は三人分のスリッパを玄関に並べた。上品にしないといけないような気がして、男子三人は順番に自分の脱いだ靴を綺麗に揃えて上がった。
 居間の椅子に座ると、ショートケーキとジュースが出てきた。ケーキなんて、誕生日やクリスマス等のイベントでしか食べられないものだと思っていたので動揺した。
「今日明日にでも来てくれると思っていたから、ちょっと気合い入れちゃった。竜君、言ったことはすぐ実行する子だったから」
 何日の何時に行くとは言っていなかったのに、生洋菓子を準備していた春希の母親。しかも郁留と海里の分まであるので、一つではなくて何個も。竜がすぐ来なかったらどうしていたのだろうか。
「なんか悪いなぁ。何しに来たか分かんないや」
 何のためについて来たのだろうと苦笑いする海里。
「どうも、春希ちゃん。海里って呼んでね」
 初対面にもかかわらず、海里は軽い自己紹介で済ませてケーキを食べ始めた。すぐに順応した海里の横で、郁留は緊張してしかめっ面になっている。
「郁留君、久しぶり」
「春希ちゃん、僕のこと覚えているの?」
「もちろん」
 郁留は覚えていてくれたことが嬉しかったのか、まだ緊張しながらも少しだけ微笑んだ。
「あ、三宅さんが心配していたよ」
 竜は三宅愛子の寂しそうな顔を思い出し、また愛子と春希が仲良く出来ればいいなと思い、愛子の話をした。
「愛子ちゃん?何回か来てくれていたみたいなんだけど、起きられなくて」
「今は?」
「一週間くらい調子良くて、普通に生活できているから、もう少し様子見て大丈夫そうだったら学校に行ってみる」
「そうなんだ。よかった」
 眠ってしまって普通に生活できない状態を知らないが、今の春希を見る限りでは顔色も良く元気そうだ。ただ、眠っている時間が長かったのか、動作がゆっくりで歩き方もふらふらしている。
「春希ちゃん、どこの学校?」
 早くもケーキを平らげた海里が春希に尋ねる。
「みんなと一緒。通信科だったから学校にはあまり通ってなかったけどね」
 高校は近くに自分達が通っている学校しかないので意外ではなかったが、竜は春希が同じ学校の生徒だったということが分かって嬉しくなった。
 それから、昔の話、学校の出来事や家のこと等、他愛もない話をしていると、窓から夕陽が射してきた。時計を見ると六時を回っていた。
「そうだ、今日は稜輔が仕事で遅くなるんだった」
 今日も千秋は具合が悪いのだろうか。特に早く帰ってきてほしいとは言われていないが、体調の悪い人を一人にしておくのは気が引ける。
「千秋さん、心配だね」
「うん、ん?」
 稜輔と千秋と住んでいるという話はしたが、千秋が妊娠していて、最近つわりで辛そうだという話はした覚えがない。何故、春希は千秋の心配をしているのだろう。いや、言ったのかもしれないな。まだ妄想と現実が混ざっているのだろうか。
「また、会いに来てもいい?」
「また来てくれるの?嬉しいな」
 春希に玄関まで見送られ、三人は斉藤家をあとにした。途中、竜がチラッと振り返ると、春希はニコッと笑って小さく手を振った。姿が見えなくなるまで、ずっと見送るつもりなのか、一歩も動こうとはしなかったが、母親に諭され名残り惜しそうに家の中に入っていった。








「ついてきてくれて、ありがとう」
「いいから、家の人が心配なら早く帰りなよ」
 竜は別れ道で二人にお礼を言い、「また明日」と手を振って足早に帰っていった。残された郁留と海里は、同じタイミングで安堵のため息をつくと、顔を見合わせて笑った。
「実在したんだね、春希ちゃん」
 竜が見えなくなったところで、海里はボソッと呟いた。
「なんだ、信じてなかったのか」
 海里の呟きに応える郁留。竜に春希を探すように言ったのは海里なのに、意外なことを言う。
「そんなことないよ。思ったより元気そうでよかった」
 つかみどころのない会話をする海里に、郁留は「そうだね」とだけ返事をした。
「ねぇ、郁留」
「なに?」
「竜がずっと春希ちゃんの話をしていた時、郁留はどう思ってた?」
 海里や渚は、竜と高校で知り合ったが、郁留はずっと見てきた。見えない春希の話を竜がしはじめて六年、ひたすら竜に話を合わせてきた。
「自分が見えているものが全部じゃないんだなぁって思った。自分が見えているものは、人が見えているとは限らないんだなって」
「なにそれ?哲学?」
 抽象的な回答をする郁留に、海里は少し驚いて、だんだん面白くなって笑い出した。
「僕も竜の叔父さんも、皆、竜の言うことは信じていたよ。そうじゃなかったら、今頃、竜は精神科にでも行っているよ。六年も幻覚が見えていたとしたら、放っておくわけないでしょ」
 海里は「たしかに」とうんうん頷いた。
「実際、そっちの方が辻褄が合うんだ。竜が気づきそうにもないことを知っていたり、絶対にやりそうにないことをやったり。春希ちゃんならやりそうなことをしたりね」
 墓の花が彩りやバランスを考えて生けてあったり、鮮度や賞味期限を気にして買い物をしたり、普段全く使わない客間の掃除を念入りにしたり、いずれも竜一人では気付きもしない事が出来ている時がある。そんな時は必ず春希が手伝ってくれたと言っていた。他の人間には見えないのだからどうとでも言えるが、竜が嘘を言っているようにも、精神的におかしくなっているようにも見えなかった。
「だから、不思議だったなぁって思う、それだけかな」
 郁留の回答を聞いた海里は何も言わなかったが、安心したような穏やかな顔をした。郁留は、海里が何を気にしていたのか聞こうとしたが、思いとどまった。海里もまた彼だけの世界が見えているのかもしれない。