誰もいない暗い線路沿いを二人で歩く。もう結構遅い時間で、周りには電車もなにも通ってない。涼しい空気に当たると、少しは激しい感情が落ち着いてくるのを感じた。彩響の手を引く寛一さんはただ黙って前に進む。あえて何も聞いてこないその気遣いがとてもありがたい。それと同時に、彩響は自分の中で複雑な感情が混じるのを感じた。怒り、恐怖、安堵、そして悲しみまで。


(やっぱりあいつを一発殴るべきだったのに…!)


それを思うと、自分を止めたこの人が恨めしい。最後の最後まで自分は何一つ自分の望む通りに行動できなかった。我慢できず、彩響が足を止めた。


「…なんで止めたんですか?やっぱり一発殴るべきだったのに」


彩響の言葉に寛一さんが振り向いた。

「それは、そこであなたがやつを殴ったら、問題が大きくなるからです。ここからは法の裁きに任せた方がいいでしょう」


冷静な答えに、今まで必死で抑えていた怒りという感情が爆発してしまう。彩響がぱっと手を振り解いた。


「私はダメで、あなたはいいの?!なに冷静に判断してるの?やられたのは私なのよ!なのに偉そうに言わないで、男のあなたに私の気持ちが分かるって言うの?!」


泣きたくないのに、涙がぽろぽろ流れる。今まで我慢していた分、零れ落ちる水玉は次々へと地面へと落ちていった。その姿を寛一さんはしばらく黙って見守っていた。

「…あなたの言うとおりです」

寛一さんが長いため息を付いた。
「…ごめんなさい、今のはただの戯言です。あいつを殴ったのは俺の勝手です。あれこれ言い訳つけてますが…ただ俺があいつをぶっ殺したかっただけです」

「誰もそんなこと頼んでないよ」

「そうです。そしてもう一つ、…これ以上、どういう形でも、あいつにあなたが触れるのが嫌でした。それだけです。勝手なことをして申し訳ございません」


寛一さんが丁寧に頭を下げた。それを見ていると、さらに感情が激しくなり、彩響はその場で座り込んでしまった。服が汚れるとか、そういうのももうどうでもいい。今はただぼろぼろになったこの気持ちを受け止めるほどの力が残ってなかった。


知っている、責めるべき人はこの人ではない。しかし今の自分は死ぬほど苦しくて、感情を吐き出さないと耐えられない。彩響の悲鳴に近い叫びが夜道を揺らした。


「なんで、なんでいつもいつも私だけが苦しいの?いくら頑張っても、死ぬほど我慢しても結局誰もが私を責める。今日の件もきっと私があいつに隙を与えたから、一人でのこのこ遅い時間に会社に行ったから、もっと強く抵抗しなかったと言って私を責めるよ。何でばかばかしく今まで我慢したの、と聞いて私を責めるよ。なんで?なんで女だから、いつもこんな扱いされなきゃいけないの?何で、どうして?!」


「違います、彩響さん。俺は、決してそんなこと思いません」


「あなたも結局はそうなるよ。表ではみんなニコニコして、裏ではあの女が隙を与えたって指を差すよ」


「あなたは悪くないです!」