お母さんの言葉は最後まで聞こえなかった。電話を切って、彩響は部屋の窓を開けた。入ってくる涼しい空気を感じながら、彩響は深く深呼吸をした。
早く、寛一さんに会いたい。会って全部話したい、自分がどれだけ強い人になれたかを。そして改めて感謝を言おう。きっと、何回言っても足りないけど…。

夜になり、やっと帰ることができた。エレベータを待つ時間も勿体無くて、彩響は階段で玄関までダッシュした。早く今日の出来事を伝えたくてたまらない。急いで玄関の扉を開け、中に入り大きい声で叫んだ。


「寛一さん!!」


家は暗かった。そしてとても静かだった。いつも玄関まで来てくれる彼の姿も見当たらない。彩響がもう一回呼んだ。


「寛一さん、どこにいるの??」


中に入ると、家はいつも通り綺麗だった。そのまま寛一さんの部屋に入る。やはり暗いその部屋の電気をつけ、彩響はその場で固まった。


「うそ…」


荷物がなにもない。カバンも、洋服も、古いミシンも、何もかもない。部屋はまるで誰も使ったことのないように綺麗にまとまっていた。嫌な予感がして、彩響は家中を全部確認した。キッチンも、自分の部屋も、浴室も、ベランダも…やはり寛一さんの痕跡はない。彩響は自分のカバンから携帯を出し、電話をかけた。しかし向こうから聞こえた音は、期待していたものではなかった。


「お掛けになった電話番号は、現在使われていないか…」

「そんな、嘘…嘘でしょう?何で、どうして??」


荷物もない。電話は死んでいる。本人の姿も見当たらない。

何かメモでも残っていないか、必死で周りを探してやはり何もなかった。ここまでくると、まさか…と思った疑問がどんどん確信に変わっていく。彩響はソファーに座り込んでしまった。


(…どうして?なんで?私、なんか酷いことでもしたの?)


やはり分からない。一体何があったのか、どうしてこんな形でさよならしなきゃいけなかったのか、いくら考えても答えが見えない。頭を抱えて苦しむ彩響の目に、テーブルの上に置いてある大きい箱が見えた。さっきは慌てて気付いてなかったけど、朝出るときはそこになかったものだった。恐る恐るふたを開けると、そこには白いレースが付いた服が入っていた。


「…ドレス?」


以前彼が何か大きいレースと布を弄っていたことを思い出す。そう、確かにその時のレースだ。箱から出すと、それがウェディングドレスだとすぐ分かった。しかも、なぜかドレスの形に見覚えがある。じっと見ていると、それが以前元彼と結婚するために用意したドレスと同じデザインだと分かった。

(なんで、寛一さんが私にウェディングドレスを作ってくれたの?しかもどうして以前私が買ったデザインと一緒なの?)

このドレスに、何か意味があるのだろうか。

これを通じて、何か言い残すことでもあったんだろうか。

でもやはり分からない。想像すらできない。本人に聞きたいけど、もう彼はいない。


(どうすればいいの?これから何をすればいいの?)

それ以前に、寛一さんは、一体どこに行ってしまったんだろうか。

暗闇の中、彩響はずっとそのドレスを見下ろしていた。