手には傷。

まるで猫に爪をたてられたかのようだ。

「入るぞ」

「先輩の家族は?」

「今いない。両親共働きなんだよ」

俺も遅れて家へあがる。

涙でぐずついた敦子に俺のハンカチを押しつけると、奥へと進む。

「ぃや…!」

急に高い声がして、敦子から奥へ視線を投げる。

ダイニングに森先輩はいた。

カーテンの後ろに隠れるようにして、震えている。

堀口俊彦に怯えたのだろうか?

「先輩、大丈夫ですよ、この人、潤の友達です」

敦子が丁寧に言葉を選んでいる。

だが森先輩は首を横に何度も振るだけだ。

「先輩どうしちゃったんだ」

「あのね、昼過ぎから、歌が聞こえるって言い出して……私は聞こえないって言ったんだけど、耳から離れないってそのうち、他の音が聞こえなくなったみたいに、ただ首だけ振るの」

「歌……?」

「それにね、ケータイ離そうとしないの。家電にかけるのじゃ効果ないんでしょ?だから……はやくどうにかしたいのに!」

敦子はまた涙目になった。

俺のハンカチで目元を擦って涙を抑える。

「森さん、大丈夫です、歌なんて聞こえないですよ」

堀口俊彦がかがみ込み、森先輩に話しかける。

だが森先輩は震えながら小刻みに首を左右に振る。

「嫌よ、あっち行って、あっち行って!!」

急に叫び出すと、森先輩はダイニングにあった花瓶を投げつける。

全員避けたが、廊下の向こうに落ち、派手に割れた。

「お前、ずっとこんな乱闘してたのか」

敦子はうなずき、俺の腕をぎゅっと握りしめた。

「先輩、俺です、黒沢です。分りますよね?」

俺もかがみ込み、森先輩と視線の高さを合わせる。

森先輩は首を激しく横に振った。