「……で!こな……!……い……」

声が上から聞こえた。長谷川沙織だろうか。

来ないで、と聞こえた。

母親と何か揉めているのだろうか、部屋からは何かぶつかるような音が何度か聞こえた。

しばらくすると、大きな音は聞こえなくなった。

「機嫌悪くしちゃったかな、具合悪いのに押しかけて」

敦子も部屋を見上げた。

玄関が開いて長谷川沙織の母親が顔をを出す。

困惑しながら、山岡と2、3会話をしていた。

「電話してるみたいなのよ、誰かと言い争ってるみたいな……」

それであんな、外に聞こえるくらい怒鳴るのか?

本当に具合が悪いのか?

「さっき、なんか怒鳴ってましたけど」

俺が言うと、長谷川沙織の母親は、少し首をかしげた。

「そうなのよ、だから電話でもしてるんじゃないかしらって……あんな大声で独り言な訳もないでしょうし。でも、静かになったから、電話終わったのかしら……」

少し待っていて、と長谷川沙織の母親はまた家の中へ消えていった。

暫く玄関先で待っていると急に短い悲鳴が上がって、驚いて全員顔を上げた。

山岡が「何?」声を上げると同時に、敦子が玄関から家の中へ飛び込んだ。

悲鳴が尋常でないことが敦子にも分ったんだろう。

階段を上がっていく敦子の後を追うと、長谷川沙織の母親は2階の廊下でへたりこんでいた。

「あの、大丈夫ですか」

敦子が声をかけると、びく、として長谷川沙織の母親はこちらを見た。

「血、が、ドアの磨り硝子に……」

視線をドアへ向けると、ドアの一部がくり抜かれ磨り硝子になった細工の部分に血のような赤い線がついていた。