「あれ? 河田君は?」

「あぁ、真剣に勉強するって帰った」

「え? 帰…? まだ授業あるよ?」

「あいつ、人が多いとこで勉強するのダメな奴なんだよ」

「そうなんだ。でも、分るなぁ、私もよく図書館とかで勉強するし」

「それで、どこが分んないの?」

「えっとね、微分方程式のとこで」

微妙に物理と被る部分だ。

たしかにはずせない。

山岡の広げた教科書と指を追う。

一度集中すると、その対象以外は見えなくなるのが俺の悪いトコだが、こういうときはとても重宝する。

山岡がひっかかりそうな次の式の手をいくつか頭の中で展開する。

「そこ、両辺に1-α=1-3=で-2かけてるか?」

「うん」

また、香りがした。

「……」

香りで数式世界から、こちらへ帰ってきたのが山岡にも分ったのか、山岡が首をかしげた。

「どうしたの?」

「なんか、柑橘系の香り、しないか?」

「え? あ、あぁ、それなら、私かな」

山岡は言って少し照れて見せた。

「山岡?」

「うん、香水……ちょっとだけ、よく分ったね」

山岡は言って、前にたれた髪を耳のうしろに掛けた。

「そっか、香水か……一瞬ジュースこぼしたっけ? って思った」

俺の言葉に山岡が小さく笑った。

「あ、悪い、それで?続きは?」

「うん、それでここがu = (∫(-2x)e∫-1xdx+C)になって……」

うつむく山岡に合わせて、耳の後ろにかけた髪がまた流れる。

また柑橘系の香りがした。