「可愛らしい子ね」

悠希とホームで別れて電車に乗った僕は、後ろから不意に声を掛けられた。初めは僕に話し掛けて来たとは気が付かなかった。

「恒太」

再度、同じ声から名前を呼ばれた。聞き覚えのある声。その声は明らかに僕を呼んでいる。振り返るとそこにいたのは、大きな瞳の黒くて長い真っ直ぐな髪をした女子高生。S女の制服を着ていた。

「久しぶりやね、恒太」

振り返った僕の目の前にいたのは、夏鈴だった。あの日以来、家が近所にも関わらず、全く会う事の無くなった夏鈴が、僕の目の前に立っていた。

「なんばそげん驚いとっとね?同じ駅から乗って帰りよるとやけんで、偶然同じ電車になる事もあろうもん」

夏鈴はそう言いながらも、何か含みを持たせたような笑みを浮かべている。

確かに僕の町から通うS女の生徒は、僕と同じ駅で電車に乗るだろう。そして、同じ電車で偶然、ばったりと会う事は取り立て不思議ではない。

現に、同じ中学校出身のS女の生徒を何度も見かけた事かあるからだ。

しかし、今まで夏鈴を見かけた事は一度もなかった。もしかすると、僕が気付いていなかっただけなんだろうか?

否、そうじゃない……

僕は夏鈴の笑みを見てそう思った。

理由なんて分からない。ただ、直感的にそう思ったんだ。

何か含みを持たせた笑み。

昔から夏鈴は何かを企んでいる時に、こんな笑みを浮かべていたから。

「久しぶりやね」

僕はすっと夏鈴から視線を逸らしながら挨拶を返すと、夏鈴は僕が逸らした視線の方へと回り込み、じっと僕の目を覗き込んでいる。

「なんで目ば逸らすとね?」

「……しらん」

「ふぅん……昔の彼女やけんって、冷たすぎん?」

「夏鈴といつ付き合ったん?」

意地悪な目付きで僕を見つめる夏鈴から、さらに車窓へと目を向けたが、夏鈴は僕の耳元へぷるんとした唇を近付け囁いた。

「……うちの初めてば奪ったくせに。あん時の事は忘れんよ?今でもはっきりとおぼえとるけんね」

僕はあからさまに眉をしかめながら夏鈴の方へと顔を向けた。そんな僕の表情を見て、何がおかしいのかけらけらと笑い出す夏鈴。

「そんな顔ばせんといて。本当の事やろ?あの雨の日の誰もおらん古い倉庫の中で……」

僕は咄嗟に夏鈴のぷるんとした弾力のある唇を手のひらで押さえてしまった。かりんがさその手のひらをぺろりと舐める。

舐められた手のひらを慌てて退かすと、夏鈴は唇の端を赤い舌でぺろりと舐めた。

「ふふふ……うちね、あれから恒太の事ばずっと忘れられんとよ。君がうちと会わんようになってから……ずっと」

僕の背中にぞくりとした冷たいものが流れ落ちていく。

「恒太……君は知らんやろうけど、うちね……君が高校に入学してから、ずっと同じ電車に乗っとったんよ。そして……あの日の事を思い出して」

「……やめんね……何が言いたいん?」

「ふふふ……うちの初めてばもらったんやけん、責任取ってもらわんといかんやろ?それなのになんね、あの子は?うちの事ば避けて、避け続けて……」

夏鈴の眉間に皺がよっている。僕が悠希と付き合っている事に対して怒っているのだろう。しかし、僕の記憶が定かであるなら、僕は夏鈴から振られたんだ。

確かに僕は、あの雨の日に古い倉庫の中で夏鈴と……

でも、僕は夏鈴に振られた。

その事ははっきりと覚えている。

だから、夏鈴の事は忘れようと、家が近所にも関わらず、会わないようにしてきたんだ。

それをどうして今頃?

しかも、僕が悠希と付き合いだして、やっと夏鈴を忘れられてきた、この頃に……