(栗原真由side)

「なによ、あいつ」

 私は非常階段であいつと別れたあと、むしゃくしゃ気分でいる。そこら辺にあるものを片っ端から投げたい。

「関わりたくない」

 それがなんだ。

 それならそれでもいい。

 でも、それをはっきり自分の口から、遥香に伝えるべきだ。

 少しは可能性がある、なんて期待を持たせるようなことをするな。遥香は、あんなに頑張っているのに。

 思い出せば出すほどイライラしてくるのを止められない。

 私だって遥香がいなければ、あんなやつとは関わらなかったんだ。

 周りにいた友達は、そんな私の雰囲気を察しているのか、話しかけて来ない。

 それならそれがいい。いま、話しかけられると、友達に当たりそうになるから。

 がらりと教室の扉が開き、あいつが入ってきた。

 目があった。

 私はあからさまにぷいっと視線を外すと、あいつも何事も無かったようにすっと視線を逸らし、自分の席へと座った。

 それから、私は遥香へメールを打った。

「今日、放課後に話しがしたい」

 すぐに遥香から良いよと返信がくる。時間と待ち合わせ場所を指定した。

 そして同じ部活のクラスメイトへ、今日は外せない用事があるから、部活を休むと伝えた。

 放課後になると、私は急いで待ち合わせ場所に指定したバス停へと向かった。

 小雨の降る中、赤い傘をさした遥香が先に着いて待っていた。

「ごめん、お待たせ」

 遥香はふるふると首をふって、

「私も今来たところ。一緒に帰るのって久しぶりだね」

 と、ふわっとした笑顔でそう言った。

「今日、時間ある?」

「うん、大丈夫」

「それなら、市内に行かない?」

 実際、ここもO市の市内なんだけど、私たちは、O市の中心部のことを市内と呼んでいる。

「分かった、良いよ」

 私たちは、取り留めのない会話をしながらバスを待った。

 しばらくすると、先の方から、バスがやってくるのが見えた。バスはゆっくりと私たちの前で止まると、ぷしゅっと音を出し、扉が開く。

 バスに揺られ、いつも降りるバス停を通り過ぎて、市内の中心部へと向かった。

 さすが市内。

 私たちの町とは人の多さが違う。

 私たちは、O市にある私鉄駅前にあるハンバーガーショップに入った。

 私はベーコンチーズバーガーMセットとナゲット、遥香はポテトと苺のシェイクをそれぞれ持って、二階の窓際へと座った。

 窓からは、色とりどりの傘をさした人たちが、足早に歩いているのが見える。

「真由、そんなに食べたら夕ご飯入らなくなるんじゃない?」

「大丈夫、大丈夫。成長期だから」

 と、何が大丈夫か分からないけど、ナゲットを一つ口に入れる。

 そんな私を見て遥香がにこっっと笑った。

「真由は、昔から食いしん坊だったよね」

「そうだったかなぁ」

「そうだよ」

 私たちは二人で顔を見合わせて笑った。

 昔から変わらない可愛い笑顔だ。

 人見知りで、大人しくて、引っ込み思案な遥香。

 そんな彼女がここ数日間、あいつにだけどとても積極的になっている。他人の目を気にせずに。

 あいつは遥香の思っているようなやつじゃないのに。

 私が黙っているのを、遥香が不思議そうに見ている。

「あのさ……遥香。」

「なに?」

「あれから、あいつとどうなったの?」

 遥香はびくんとして、私から顔を背け、下を向いてしまった。

「……うん、挨拶だけしてる。」

「知ってる。何度か見かけたから」

「そっか」

 遥香はストローの入っていたビニールの袋を指先で触ってもじもじしている。

 彼女にとって普段の何気ない挨拶でさえ、とても勇気のいる行動なんだろう。

「あいつさ……遥香のこと、思い出したって言ってたよ」

 私のその言葉に、遥香はぱっと頭を上げ私を見た。

「ほ、本当に?」

「今日の昼休みに聞いた。県大会の会場であったことがあったんだね」

 遥香の顔がみるみるうちに明るく、嬉しそうな表情へと変わっていく。

「私……あの時さ、試合前に一人になりたくて、体育館の外にあるベンチにいたんだ」

「あの時の私たちって、キャプテンだった遥香に色んなこと押し付けてたもんね」

「違うよ、私がね弱かったの。プレッシャー感じて……逃げ出したの」

 遥香はストローで苺シェイクをかき混ぜ、一口飲んだ。

「その時にね、あの人とあったの」

 彼女は、苺シェイクのコップを両手で持ち、伏し目がちにぽつりぽつりと話しだした。

「あの人は、私の心の中の思いを、ただ聞いてくれた。嫌な顔せずに。そして、私の背中を押してくれたの。だから、あの試合は、真由たちと一生懸命、悔いを残さず頑張れた」

 私は話している遥香を見ながら、その当時のことを思い出していた。

 遥香はキャプテンとして、ポイントガードとして、私たちを引っ張ってくれていた。普段はあんなに控え目で大人しい遥香が。

 そんな遥香が一緒のコートの中にいる、その事だけで、私たちは心強かった。

 的確な指示、私たちの持ち味を引き出すゲームメイクスキル…

 他のチームからも一目置かれていた。

 彼女がいなかったら、県大会なんて行けなかった。

 逆に遥香がもっと強いチームにいたなら、一回戦敗退なんてしなかったと思う。

 私たちは遥香に期待し、彼女は知らないうちに抱えきれないほどのプレッシャーを感じて……

 そんな遥香を救ったのが、背中を押したのがあいつだったなんて……

「試合も見ててくれて、終わったあと二階のスタンドから、手を振ってくれた時の笑顔が今でも忘れられないんだ」

 あぁ、思い出した。

 試合が終わって、遥香は二階に向かって手を振っていた。

 そこに手を振り返し、笑顔で頑張ったねと声を掛けていた男子生徒。

 あんな笑顔は今のあいつの姿から想像もつかないけど、間違いなくあいつだった。

「そっか、思い出してくれたんだ」

 頬を赤くし、薄らと涙を浮かべた遥香の瞳。

「よかった」

 消え入りそうな声に、私の胸はきゅっと締めつけられた。

 あの日から、遥香はあいつのことを想い続けていたんだ。

 でもあいつは、もうあの日のあいつじゃない。

 あいつのことをよく知らないけど、他人との関わりを持ちたがらないやつが、頑なに拒むようなやつが、他人の悩みを聞き、受け止め、背中を押すようなことはしないと思う。

 あれから、何があったのかは知らない。

 今はもう別人だと思う。

 多分、遥香もあいつが、あの日のあいつと変わったということに気づいていると思う。

「私の一方通行でも、私のことを好きになってくれなくても良い。変なやつだって思われても良い。ただ、あの日のお礼だけはきちんとしたいと思う。だから、私はあの人に直接伝えるよ。迷惑だって言われても」

 そう言うと、遥香はポテトをもしゃもしゃと食べ始めた。

「そんな勢いで食べてると、喉に詰まるよ」

 遥香はたくさん悩んで、頑張って、前に進んでいる。

 あいつに、何があったんだろう。

 人の苦しく辛い思いを受け入れ、背中を押せた、あの頃のあいつ。

 人と関わりたがらず、頑なに拒み続ける、今のあいつ。

 私は、あいつのことを知りたいと思った。