心地よい倦怠感だった。

 暫く忙殺されていた身体は睡眠と休息を欲していて、昨夜の出来事にそれを促されたのかいつも以上に眠っていた。

 抱きしめた腕の中にエルがいる……ネリウスはそんな幸せな夢を見ていた。

 窓から入り込む朝日が、閉じた瞼を起こそうとする。眩しさに目を細めながらゆっくりと目を覚ました。

 隣にいるはずのエルはいなかった。ネリウスは思わず起き上がってエルを探した。

「エル……?」

 部屋を見回したが、エルの姿は見えない。

 寝起きの頭をなんとか動かして、思考をいつものように働かせる。

 ふと、サイドテーブルの上に置かれていた光るものに目がいった。昨夜自分が贈った指輪だった。

 瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡った。青ざめたネリウスはもう一度部屋を探した。

「エル!? どこにいるんだ!」

 だが、いくら探してもエルはいない。部屋から飛び出して、早朝迷惑なんかお構いなしで叫んだ。

「エル!! 返事してくれ!!」

 呼んでも呼んでも返事はない。広い屋敷にネリウスの声が反響した。

 やがてネリウスの声に驚いたミラルカ達が集まってきて、取り乱したネリウスに駆け寄った。

「旦那様! 朝から一体どうなさったんですか!?」

「エルがいないんだ! お前らは見てないのか!?」

「エル様……?」

 ミラルカは何か気がついたようにエルの部屋の扉を開けたが、目的の人物がいなくてネリウスと同じように青ざめた顔で出てきた。

「だ、誰かエル様を見ていないの」

「いえ、僕達もさっきまで寝てたから……」

「と、とにかく屋敷を探しましょう! みんなで手分けして!」

 それから従者全員で屋敷の中を探した。だが、やはりエルはいなかった。

 ネリウスは門番のジャック達にも尋ねたが、昨夜から誰も通っていないと報告を受けて、狼狽した。

 エルはどこへ行ったのか。どうして指輪を外したのか。

 ひょっこり出てきて、冗談だと笑ってくれることを願った。

 あんなに愛し合ったのに本当は嫌だったのか。自分に抱かれたのが苦しかったのか。頭には嫌な想像ばかりが浮かんだ。

 そんなことないと考えればわかるのに、今はエルがいない辛さが頭を支配して悪い考えしか出てこない。

 朝から何時間もエルを探しているのに、彼女は見つからない。ミラルカ達も屋敷内は調べ尽くしたと言っていた。

 屋敷の外へ出たのだろうか。確かに、わざわざガードマンのいる門扉から出る人間はいない。出ようと思えば他に出る道もあった。

 それを探さなかったのは、今までここから出ようと思うような人間がいなかったからだ。外からの侵入者のことは気にかけても、中から出ていく人間のことなんて気にしなかった。

「旦那様、私どもで探しますから少し休んでください。もうふらふらじゃありませんか……」

「いい……こんなことで倒れるほど貧弱じゃない」

「どこに……一体どこに行ったというのでしょう……」

 エルは一人で屋敷の外へ出たことは一度もない。必ず誰かが一緒だったし、外のことなんて分かるわけがない。

 外に出て、どうやって生きていくつもりなのだろう。何も知らない女が一人で生きていけるほど世の中甘くはない。ましてや喋れないエルどうやって────。

 もしまたおかしな人間に捕まったら。そう思うといてもたってもいられなかった。

 ネリウスは屋敷の外を眺め、呆然と佇んだ。

 ────俺と結婚してくれるんじゃなかったのか……?