エルはミラルカから渡された鍵を持って、あの扉の前に来ていた。

 重厚感のある大きな扉には相変わらず錠がついている。それはネリウスが怒ったように、近付くものを拒絶しているように思えた。

 ミラルカに言われた言葉を思い出した。

『もし、あなたが記憶を思い出したいのなら……私は協力します。でも、忘れないでください。あなたを思う大切な人がいたことを。あなたがどんな記憶を思い出しても、私たちは味方です。絶対にそれを忘れないで……』

 それがなんのことなのかは分からない。でもきっと、自分はとても大事なことを忘れている気がした。

 思い出したい。ここにきっと何かある。ネリウスがあんなに怒った理由を知りたい。

 エルは鍵を使って錠を外した。鍵は難なく開いた。両開きの扉が音を立てて開く。

 扉を開けた瞬間、エルは驚いた。大きなシャンデリア、壁に掛けられた絵画。凝った装飾の数々。ここはダンスホールだ。

 だが、床には埃が溜まっていた。久しく使われていないのだろう。

 エルはじっくりと眺めた。

 不思議な感覚だった。ここに来るのは初めてのはずなのに、なんだか懐かしく思っている。 

 もしかして、自分はここに来たことがあるのだろうか? 自分はここでダンスを踊ったのだろうか? だけど思い出せない。

 ホールの中央へ行って目を瞑った。思い出すように、記憶を探る。

 自分はどうやって踊ったのか。どんなふうに誰と踊ったのか。

 忘れているはずなのに、足が自然と動いた。流れるように身体が動く。

 ────私は、踊ったことがある。ここで……誰かと。

 誰もいないダンスホールで、エルは静かに踊った。

 なぜだろう。心地よくて幸福な気持ちだった。ここで踊ることは幸せ。そんなふうに思えた。

 目を開けて見ても、そこには誰もいない。だけど閉じればまた誰かが自分の手を取って、ゆっくりとリードしてくれている、そんな感覚を覚えた。これはきっと以前の記憶だ。誰かと踊った温かい記憶。

 この指先を握っていたのは誰だったのだろう。

 けれど思い出そうとすると頭が痛い。胸が締め付けられるように苦しい。思い出してはいけないからだろうか。

 でも、ここを覚えている。ここで誰かと踊ったこと。その人がとても大事な人だったこと。

『そこにいけば、エル様の最も愛する記憶を思い出すはずです』

 ミラルカに言われた台詞を思い出す。

 愛する記憶────それはきっと、ここで誰かと踊った記憶だ。そう確信できた。

 知らないはずなのに、自分はその人を覚えている。その人が優しく触れてくれたことも、その人と過ごす時間がとても幸せだったことも。

 思い出したい────はっきりと願った。この手を掴んだ人物が誰なのか。