トレーを手にミラルカは再び少女の部屋へと戻って来た。

 医者から栄養があるものを食べさせるようにと言われていたので、コック長にあれこれ注文を付けていたら時間が遅くなってしまった。きっと空腹なはずだ。向かう足が迅る。

「失礼します。コック長を叩き起して作らせました。味に申し分は────あら?」

 ミラルカは扉を開けてベッドを覗き込んだ。

 だが、ベッドの中はもぬけの殻だ。少女の影も形も消え失せていた。

 真っ青になったミラルカは、トレーを放り出して一目散に部屋から飛び出した。

「大変です!」

 叫びながら凝った細工が施された木製のドアを、それこそ叩き割るぐらいの勢いで開け放つ。

 その部屋の主、ネリウス・フォン・ベッカー侯爵はまだベッドの中で、ミラルカの大声さえ聞かなければ余裕でもう三、四時間は眠っていただろう。

 寝起きということもあって、ネリウスの機嫌は悪かった。叩き起こされたので余計にだろう。

「……なんだ」

 ネリウスはうるさいぞと言いながら不機嫌そうに体を起こした。ミラルカはネリウスの目前まで来るとまた叫んだ。

「あの子がいないんです!」

「…………なんだと」

「朝食を用意している隙にいなくなってしまって……っ」

「探せ。総動員でだ」

「は、はいっ!」

 ミラルカはまだ眠っていた他の従者達を起こしに行った。従者達に屋敷の中の捜索を任せ、自身は庭を探すことにした。玄関へ向かうと、着替えたネリウスと合流した。

 まさか少女が逃げ出すなんて考えもしなかった。随分ひどい怪我だったし、もっと落ち着いていると思ったのだ。

 屋敷周辺を走り回ってみたが少女はおろか人っ子一人見当たらない。それもそのはずだ。ここら一帯はベッカー侯爵の私有地となっている。

 敷地の端には塀があるため屋敷の人間以外は立ち入らない。中は途方もなく広く、朝方なので霧も濃い。屋敷の従者でなければ迷うこと必須だ。

 屋敷の中で見つかればいいが、外をうろつかれると探すのに時間がかかる。

「まったく、どこに行ったんだ……」

「まだ本調子ではないのに……悪化してしまったらどうしましょう」

「……静かにしろ」

 不意に、ネリウスがミラルカを手で制した。ミラルカは慌てて足を止めた。

「え?」

「誰かいる」

「え!?」

 霧が深い中、物陰で何かが動いた気がした。

 やがて茂みから出てきたのは背の高い筋肉質な男、門番のジャックだった。二人から落胆のため息が零れる。

「ちくしょう…………ん? ミラルカと旦那じゃないか」

「ジャック、あの子は見つかった?」

「いいや、まだだ。他の奴らも探してるんだが……」

「見つけても乱暴しないでね。優しくしてあげて」

「しねえって。ここらは探したから俺は向こうの池の辺り探してくるぞ」

「分かった。よろしくね」

 ジャックは再び茂みの中に消えた。