約束の日。

 エルは準備のため朝からミラルカ、ルーシーの二人と部屋に引きこもった。

「ねえ、髪型はどんなのがいいかしら。エル様は髪が長いからそのまま流してもお綺麗だと思うわ」

「エル様、どの靴がいいですか? これなんかすらっとして足が綺麗に見えますよ」」

 エルはしばらく座っているだけだったが、あれこれ質問されて答えるのが大変だった。社交界に行くのがこんなにも大変なことだとは思わなかった。

 やっと二人の間で決着がついたが、用意が済んだのはギリギリだ。二人は準備を終えると晴れやかな表情をしていた。満足のいく出来に仕上がったのだろう。

 ドレスの着付けをルーシーが、髪と化粧はミラルカがしてくれた。

 エルは鏡を見て驚いた。こんなにも自分が変わると思っていなかった。

 ドレスは深い緑色のドレスで、ゆるやかなラインがエルの少し低めの身長をカバーしている。髪はいつもと違ってまとめられていて、鏡を見るとなんだか別人のようだ。

「エル様は色が白いからお化粧しやすいわ。肌も綺麗だし、変にあれこれ塗りたくらなくても十分綺麗よ」

「これなら社交界中の男の視線独り占めですね!」

 ミラルカとルーシーが褒めちぎるので恥ずかしかったが、いつもよりは良くなったようだ。少しだけ自信が湧いた。



 二人に見送られて、エルはエントランスへ向かった。

 二階の大階段に着くと、玄関の扉の前で立っているネリウスが見えた。いつもと違う装いに、思わず釘付けになる。

 ネリウスは黒い燕尾服を着ていた。普段屋敷の中ではゆったりとしたシャツを着ているからあまり気が付かなかったが、すらりとした長い脚が目立っている。顔付きもキリッとしていていかにも貴族のようだ。

 ミラルカ達のおかげで綺麗になったつもりでいたが、こんなネリウスの横に立ったら恥をかかないだろうか。

 エルは不安に思いながらもネリウスに近付き、ドレスを広げて教わった通りお辞儀した。

 だが、ネリウスはエルを見つめるだけで何も言わない。何か間違っていたのだろうか。そのせいで余計に不安が増す。

 ────もしかして何か変だったの?

「旦那様、もう行かないと時間に間に合いませんよ?」

「……ああ」

 ミラルカが促すと、ネリウスはようやく視線を逸らした。

「では、エル様。お気を付けて。楽しんでいらしてね」

 ミラルカとルーシーに見送られ、二人は屋敷を出た。

 馬車に乗るのは初めてだった。用意された馬車は黒い車体に蔦模様の美しい装飾が施されている。ネリウスが仕事で使うものと同じだ。

 ネリウスに手を差し出され、エルは漆黒の車体に乗り込んだ。続いてネリウスが目の前に座る。

 初めて乗る馬車に緊張しているのか、それともネリウスと密室にいるから緊張するのか、エルには分からなかった。

 鞭を叩いた音がした。ほどなく馬車が動き出す。

「今日行くのは、ヴィドー伯爵家のパーティだ。まぁ、かしこまった男じゃないからそんなに気を遣わなくていい」

 伯爵、と聞いてエルは身構えた。ヴィドー伯爵の名前は何かの本に載っていた。侯爵のネリウスは気にしなくてもいいかもしれないが、自分はそうはいかない。失礼なことだけはすまい、と固く心に誓った。

 ネリウスが腕を組んだまま黙ったので、エルも静かに目的地に着くのを待つことにした。

 黙ったままだと気まずいが、今日は紙もペンもなしだ。ネリウスはいつも喋らないから気にしなくていいかもしれないが、先ほどからなんだか不機嫌に見える。けれど蒸し返すとパーティ自体を取りやめにされるような気がして言い出せない。

 少ししてから、思い出したようにネリウスが懐を探り始めた。やがてその中から細長い臙脂色の箱を取り出した。

 蓋を開けると、中から見事な宝石のついたネックレスが出て来た。

 ネリウスはエルに尋ねるでもなく、腕を伸ばしてエルの首にネックレスをか着けた。

 エルが驚いていると、付け足すように説明をした。

「……何にもしないわけにもいかないだろう。付けておけ」

 ぶっきらぼうにそう言って、そっぽを向く。

 だが、エルは突然のことでどう反応すればいいか分からず困った。

 随分豪華な豪華な宝石だ。大きな緑色の宝石が首元で光っている。見るからに高価なものだ。

 こんなものは自分に相応しくない。どう考えても分不相応だ────。

 エルが何か言いたげにネリウスを見つめると、ネリウスは不愛想に呟いた。

「いらないなら捨てる。それはお前に買ったんだ。お前がつけないなら意味がない」

 そう言われてしまえば、エルはそのまま付けておかざるを得なかった。

 ネリウスはなぜこんな豪華なものを買ったのだろうか? いつもあれこれとプレゼントをくれるが、どれも決して安いものではない。

 莫大な資産を持つ侯爵のネリウスからすれば、微々たる出費なのかもしれないが、今日の食べ物にも困っていた自分には目もくらむほどのものだ。

 それでも、ネリウスが選んでくれたものにケチをつけることなんて出来ない。宝石の色を見れば分かる。ネリウスは自分のためにそれを選んだのだ。

 拒絶されているわけではなかったらしい。エルはようやくホッとした。