「雨がひどいな……」

 若き侯爵家当主──ネリウスは晩餐会帰りの馬車に揺られ、雨音の酷い外のことを考えながら愛書を読んでいた。

 今日はヴィドー伯爵家の晩餐会に呼ばれていたのだが、退屈になって途中で退席した。

 退屈な世間話に、退屈な人間達。社交界は華やかだが、その裏にはどす黒い欲望が渦巻いている。

 ネリウスはあまり人付き合いがいい方ではなかった。最低限パーティなどの催しには参加するが、普段は無口で愛想が悪いため人と話すのが得意ではない。

 愛想を振り撒くのに疲れて帰ってしまったが、もう少しだけ残っていれば雨も少しはマシになったのだろうか。

 雨は酷くなる一方で、一寸先は闇。横殴りにまるで叩くような雨が馬車を打ち付けていた。こんな様子では御者のヒュークも難儀しているのではないだろうか。

 そう思ったその時だった。突然ガタンと車体が大きく揺れた。それと同時に外から馬の嘶きが聞こえた。

 ネリウスは不審に思い、外で馬の手綱を引くヒュークに声を掛けた。

「おい、どうかしたのか」

「申し訳ありません旦那様!  人が倒れていて……」

「人だと?」

 ネリウスは慌てて馬車から下り、前方を確認した。確かに人が倒れている。雨のせいで視界が悪くなっていたから見えなかったのだろう。

 しかし轢いたわけではないようだ。まだ接触すらしていなかった。

 ネリウスは近付いて確認した。

 うつ伏せに倒れていたのは小柄な娘だった。歳は十五、六くらいに見える。二十代のネリウスから見てもかなり若い娘だ。なぜこんな場所で倒れているのだろうか。

 長い髪はぼさぼさ、衣類はずぶ濡れの上かなり乱れていたし、身体は泥だらけ。その辺りに住む村娘にしてはやつれた装いだ。

 少女は薄目を開けていた。鮮やかなグリーンの瞳はぼんやりと宙を見つめているが、意識が朦朧としているのかネリウスに気が付いていないようだった。

「ここら辺りの子供でしょうか」

 横からヒュークが覗き込む。

「どうなさいますか」

「放っておく訳にもいかないだろう。連れて帰って介抱してやれ」

「承知いたしました」

 ヒュークは少女を抱き抱え馬車に乗せた。そのまま自宅へ再び馬車を走らせた。

 ネリウスは親切ではない。他人に親切にしてやるほど心優しくもない。

 しかし少女の緑色の瞳を見た時、不思議と惹きつけられた。その瞳は宝石のように鮮やかだった。
 
 だから自分は少女を助けたのだろうか。ネリウスは自問自答しながら再び窓の外を眺めた。外はまだ雨が降り続けていた。