パラサイト -Bring-

山は紅く染まり、街を歩けばさまざまな色が目につくようになった。たまにブティックの前を通り過ぎる時に、万由子と売り出された服を重ねてみると、本当によく似合いそうな服ばかりだった。俺は服のことはよく分からないから、万由子は何を着たって似合う気がしてならない。
学校の中でも、オシャレな鞄や靴、筆記用具などを持ってくる人が多くなっていた。万由子も例外ではなかった。
「紅馬くん、ここ教えてっ」
最近買ったらしいハロウィン仕様のシャーペンを持って、話しかけてきてくれた。
「俺は勉強できない」
「ウソつき!紅馬くんが毎回上位なの知ってるからね?」
たしかに今までで一番低い順位は25とか。俺自身、テストなんかにそこまで興味がなかったし、やることやればだいたい大丈夫だったから、頑張って来た覚えはない。強いて言うなら、高校受験で少し頑張った…と思う。
こんなことを言うと自慢のように聞こえそうだが、俺はしっかり勉強している人の方が堅実で羨ましい。俺にはその堅実さや根気が著しく欠けているから。
「そうだったかもな」
「面倒って思ってる?」
「…教えるよ、どこだ?」
「ふふっ」
「なんだよ」
「素直だな〜って」
「なにが?」
「頼み込まれると断れないところ。素直で可愛いよね。でも、大人になったらできないことはちゃんと断るんだよ?」
俺も、誰彼構わず仕事を受けたり渋々承諾したりすることはない。ただ、万由子だから了承した。それだけのこと。理由を聞くのは愚問だ。
「…で、どこだっけ?」
「この平方完成ってなに?」
「一からかよ?」
「うん!」
「…xがついたやつをカッコでくくるんだ。それから、こいつを半分にして、余った半分を二乗にして外に出す。この時、一番最初にマイナスがあれば、後ろに-1をかける。あとは、残った数をそのままつける。簡単だろ?」
「…………」
ぽかんと口を開けたまま、放心したような様子だった。虫が入るぞ、とか言ってやろうかと思ったが、その姿があんまり可愛いから、それをしばらく見ていたかった。だが、それはそれで話が進まない。
「どうした?」
「ニホンゴ、シャベッテクダサイ」
「日本語だよ」
「嘘だっ、神々の遊びなんだっ…」
いつの間にか神の位置付けになったらしい。
「黄昏、じゃなくて?」
「それはまた意味が違ってくるもん」
あれから、俺も少し本を読むようになった。小説なんか、国語の問題で少し読む程度だったのに、自分でも驚くほど好きになった。万由子が好きだから、というのもあると思う。でも、それ以上に面白さをずっと追い求められるという、そのスタイルが、飽き性な俺を引き止めてくれたんだ。
まだ分厚い本には抵抗があったが、文庫程度なら読めるようになっていた。お気に入りの本もあった。『豆の上で眠る』という本がお気に入りで、よく読んでいた。何度も何度も読み返して、ページの端々はボロボロにもなった。
それくらい、人は変われると思った。
「…紅馬くん?」
「ん?ああ、悪い」
「なんかすごい楽しそうだったけど」
「そうか?」
「うん。おもちゃを見つけた子どもみたい」
その理由は、もう分かっていた。
「お前のおかげかな」
「……」
「どうした?」
「『お前』じゃありませーん」
「は?」
唐突な話題の転換で、頭が真っ白になった。
「名前で呼んでよ。ほら、私ばっかりだし」
「ええと…」
「早くっ」
「ま、万由子……さん?」
慣れないことはするもんじゃない。恥ずかしさでどうにかなりそうだった。
「ぷぷ……あははっ!万由子さんだって!可愛い〜っ!」
「なっ、あんまり大声で言うなって…」
幸い、今は放課後。人は少ないとは言え、いることに変わりない。案の定カースト上位ぽい女子たちがこっちを見ていた。
かなり声が響いていたから、そりゃあ誰でも声の主の方を見たくなるよな、と思いながら恐る恐るその女子の方を向いた。
「へえ…紅馬クンでも女の子と話すんだ」
ゆっくり近付きながら、俺に向かってそう言い放った。
…怖いな。
「ま、まあ」
「ふーん…?あれ、よく見れば結構イケメンじゃん」
「どうも」
…そういえば、この人の名前なんだっけ。
「決めた。私の彼氏にしてあげる」
「は?」
俺より先に万由子が声を上げた。たしかに、驚きはしたが。
「いいよね?」
「い、いや…」
「ありがと。これからよろしくね、紅馬クンっ」
いきなり俺の腕を抱いて、わざとらしく胸を押しつけてきた。これが万由子だったら…いやいや、そういうことじゃなくて。
「そ、その手離してよっ」
「なんで?あんた彼のナニ?」
「それはっ……」
「恋人はワ・タ・シ❤︎ 彼は私のモノ。いい?」
さすがに腹が立ったというか、意味が分からなかった。なぜ恋人になってるのか。それ以前に勝手に誰かの私物にされるのは誰だろうとごめんだ。
「俺は誰のものでもない」
「恥ずかしいだけでしょ?大丈夫だよっ」
更に力が強くなった。正直吐き気がしたし、倒れそうなくらいだった。腕に当たるそれは、気持ち悪さの代名詞。本当にこんなやつがいるとは。
「とにかく離してくれ」
「離したらその女のとこ行くでしょ?」
いわゆる『ぶりっ子』と呼ばれるであろうその態度は、俺の苛立ちを後押しした。
「…何が悪い?」
「私以外の女のとこに行くと、怒っちゃうから」
だったらなんだ。
そんなことを言っても意味がないことくらいは、分かりきっていた。そして、何を言っても聞かないつもりなのも分かった。そういうのが重なったから、俺はまた苛立ちを隠せそうになくなってきた。
たぶん、今ならうまく立ち回れる。当たり前のことだが、その時は万由子もバカにされたのではないかと思ってしまった。
「俺はあんたの彼氏でもなんでもない」
「じゃあさ、お試しで付き合お?」
吐き気がした。
「なんでお前と付き合うんだ?」
「お試しで付き合ってみて、満足できなかったらそれで終わり。ね?いいでしょ?」
もう苛立ちを超えて呆れすらあった。この世にこれほどまでに謎なことを言うやつがいるとは思わなかった。俺は他人に対して寛容な方だと思っていたが、いくらなんでも受け入れられない。
「断る」
「なんで?」
「お前と話すと疲れる」
「ひどいなあ。そこの外国人気取りの女よりよっぽどいいと思うけど?」
俺はそれを聞いた瞬間、そいつの胸ぐらをつかんだ。
頭ではこんなことをしても何も変わらないことは分かっていた。でも、万由子を貶したのだけは許せなかった。
それこそ俺は万由子の何でもないのだが、どうしても黙ってはいられなかった。未熟な部分だった。若気の至りと言えば聞こえはいいだろうか。