パラサイト -Bring-

「あぢぃ…万由子、アイス〜」
「あるわけないでしょ…」
そんな会話を聞きながら、俺自身もアイスを買おうかと思った。
七月のはじめ、プールの授業が終わることに少し寂しさすら覚えていた。
「授業はじめるぞ〜」
教室にエアコンはあったが、生徒が勝手につけられないようになっていた。事務室が管理しているとか。さすがにこんなに暑くなれば、毎日つけてくれたが、六月は恨みたくなるほどだった。梅雨の時期も相まって、一番嫌になる蒸し暑さに襲われていた。
「よって、このふたつは互いに真であることが分かる。つまり必要十分条件であると…」
正直、何を言ってるのか全く分からないし、先生すら面倒そうな声で教科書の問題を解いていた。
それでも、形だけでも授業は続いた。先生も先生で、何かしらのノルマがあったんだろう。無論、そんなことまで知る由はないし興味もない。
「…ね、紅馬くん」
万由子が小声で話しかけてきた。
「どうした?」
「今日さ、寄り道しない?アイス買おうよ」
願ってもない提案だった。ここ最近は話す頻度も減りつつあったから、ようやくゆっくりと話せる時間が来るのではないかと期待した。
俺がここで行くと言えば、万由子は喜んでくれるだろう。でも、その理由は単に暑いからというわけではないことに、少し罪悪感を抱いてしまう。それでも行きたい自分を抑えられなかったのは、嫌になるほど青い空のせいかもしれない。
「…行くか」



最後の授業が終わり、思い思いの場所に向かいはじめた。部活には入っていなかったから、放課後の時間はたっぷりとあった。
俺は、万由子と一緒にいる口実ができたことを喜んでいた。…それまで、何かと放課後まで一緒にいることはほとんどなかった。それゆえ、この日は特別な日だった。これからずっと記憶に残る、思い出の一日だ。
「終わったね!」
「ああ」
「ちょっと待ってて、準備するから」
そう言って、万由子は肩の下あたりまである髪を、もう一度結び直した。別に着替えをしているわけではないし、まわりの女の子だってよくこうしていたが、万由子のそれは群を抜いて艶やかに見えた。思わずうなじの方を見てしまった。
「(何してんだ、俺…)」
正直、こういうことは無関係だったし、関心を持ったこともなかった。だから、戸惑いもあった。
「お待たせ、それじゃあ行こっ」
そう言って駆け出す万由子の後ろ姿を見て、今日は俺だけを見てくれるんだと思ってしまった。こんな言い方は勘違いのそれと同じように聞こえるが、そう思ってしまった。
「…俺、独占欲強いんだな」
「なんか言った?」
「なんでもない、行こう」



学校は駅に近く、周りには売店やら何やらが飽きそうなほどあった。そして、そのあたりは学生をターゲットにした店も多く、この夕方以降の時間帯は、商売が捗るらしい。
俺や万由子、快斗なんかは駅とは真逆だから、寄ることはほとんどなかった。だから、全てが物珍しく思えた。
「すごい!こんなにお店あるんだ!」
「キラキラしてるな…」
「よーし、行くよっ」
「ま、まさか一軒ずつ…?」
「うん!よろしくね!」
「(おいおい…)」
てっきりアイスを買いに来たりするだけだと思っていた。でも、そうだ。女の子が買い物をすると言うなら、いろいろなものを見て回っていくのが当然だろう。
面倒だとは思った。でも、万由子が小さな子どもみたいに楽しんでいたから、こういうのもいいかと思った。万由子が本当に可愛く見えたんだ。
「ねえ、この服似合うかな?」
見せられたのは、淡いピンクのワンピース。服には疎かったが、それだと思った。
「似合うんじゃないか?」
「本当にそう思ってる?」
「俺は服のことは知らねえんだ」
「ええ、カッコいいのにもったいない」
「え?」
聞き間違いだったかもしれない。
「今、なんて」
「こ、これ買おうかな!かわいいもん!」
かなり動揺していたのは分かった。でも、それより驚いたのは、万由子がはじめて俺のことを褒めてくれたことだ。こんな言い方はするものじゃないと思うが、万由子に認めてもらえたと、胸を張って言える瞬間だったと思う。



会計が終わり、満足げに店から出る万由子を見て、さっきのは幻覚だったのかと思ってしまった。何度も何度も頭の中で反芻して、夢ではないことを確かめた。一秒にも満たない出来事ではあったが、俺の心をかき回してくれるのにはじゅうぶんな内容だった。
「時間かかっちゃった」
「ゆっくり選んでいいんじゃないか?せっかくの機会だしさ」
「やっぱりそうだよねっ!」
店から出ると、あたりは学生たちが様々な店を賑わせていた。




墓園前での待ち合わせは十二時半。今は十分前だ。実は、万由子に会えるというその思いだけで、かなり早くに着いてしまった。浮かれているように思えるかもしれない。だが、待たせるよりは幾分いいと思った。
それくらいの時間だった。淡い水色の軽自動車が駐車した。確信はなかったが、さっきから誰一人出入りしてないこの墓園に来るのは、遥くらいしかいないのではないかと考えた。
—遥?
そう聞くと、運転席に座っていた女性…もとい、遥は俺を見た途端に笑顔の花を咲かせた。
—久しぶり!随分と男前になったネ。
—もう七年になるか。少しは変わるさ。
そう。七年。あれから七年。いや、まだ七年。月日が流れるのは、早いようで遅い。