CHAPTER2 疑惑の魅惑



こんな話を聞いたことがある。
ある小さな姉妹は、実は姉が生まれた際に他の子と取り違えた。数年経ち、本当の家族でないことに絶望した姉は人が変わり、全てを信じられずに若くして生涯を終えた。
また、こんな話も聞いた。
戦場に出向いたとある兵士は、優秀な成績を残したと思っていた。しかしそれは他人の記憶であり、本来の人物と親友だったその兵士は、親友の死を受け入れられずに生きていた。悲しいかな、その兵士も戦死した。
本当のことは何なのか。『証言』とは言うが、本当にその通りの事象が起きたのか。夢ではないのか。
強く精神的にショックを受けた人が、無意識のうちに記憶を改ざんするという例は多い。もしかすると、俺たちも気付かぬうちに行っているかもしれない。たとえば、犯人の供述は正しいのか。全てを自白したと言えど、犯人の言い分はどこまでを信用できるのか。
…裁判所にも行ったことがある。あの時の証言が正しいものか、確かめるために。俺と万由子は何かが違う気がしてならなかったのに、周りは調べるなと言わんばかりにその話題を無視した。



遥に告白をされた日、帰りに万由子に聞いてみようと思った。万由子自身の様子がおかしかったことに加え、その様子から、遥が告白することを知っていたのではないか?こんな言い方は好きではないが、万由子は俺に何か隠しているのではないか?考えすぎだろうが、何も無ければそれでいいと思った。
「なあ、一つ聞きたい」
「な、なに?」
「…なにか知ってるのか?遥のこと」
万由子は黙った。予想はしていた。
「なにも、知らないよ」
嘘なのはすぐに分かった。万由子は冗談を言う時に鼻をかく癖がある。
「嘘だな」
「……やっぱりバレちゃうか。分かった、話すよ」
そう言われて、放課後で人気の少ない渡り廊下に向かった。普段なら嬉しい状況なのに、この時ばかりは嫌なニオイが漂っていた。
「私のおばさんが、亡くなったんだ。飛行機の墜落事故だって」
「…え?」
予想とは大きく違った返答に戸惑った。それに、想定していなかったほど重い話題だったことにも。
「ニュースで最近ずーっとやってるよ。『鳴門航空機墜落事故』って。嫌になるくらい」
鳴門は、俺が前に住んでいた場所だ。たしかに空港があった。俺は一度も使わなかったが。
「しかも一回だけじゃないんだよ。他の飛行機でも、ネーテランドに行く航空便が原因不明で墜落だって」
そこまでいけば事件になるだろうと思ったが、万由子曰く犯人らしき人物の搭乗はどれも確認できていないらしい。
「それで、おばさんがネーテランド行きの飛行機に乗り合わせたと。注意はしなかったのか?」
「こっそり行こうとしてたんだって。だから、分からなくて」
「なるほど…」
空気はとても冷たく、重くなっていた。たまに通り過ぎる生徒も、何かを察してささっと通り抜ける人ばかりだった。
そしてそんな空気を変えたのも万由子だった。
「だから、調べようと思ってね」
「なにを?」
「犯人!私たちの手で捕まえよっ」
あんまり元気よく言うから同意しそうになった。
「正気か?」
「正気も正気。大正気!」
たぶん、未解決事件と踏んでのことだろう。万由子は事件を紐解く探偵で、俺はその助手と言ったところか。まあ、例によって俺は役に立たなさそうだ。
「さて、早速調べに行くよ」
「どこに?」
「空港!まずは聞き込み、これ鉄則ねっ」
「門前払いだと思うぞ?」
「フッフッフ…私はちょーっと顔がきくんだよねえ」
得意げな顔をした万由子は、早速取り掛からなくちゃ、とかどこから潰すべきか、とかよく分からないことをブツブツとつぶやいていた。今まで万由子の行く先々について行ったが、さすがに今回ばかりは事情が違う。
「なあ、やっぱりやめ—」
「あーあ、紅馬くんたら、また名前で呼ぶの忘れたでしょ」
「え?」
「名前で呼んでよ、私だけじゃ寂しいんだもん」
「…万由子…さん?」
それまで女子と話すことなどほとんど無かったから、急にそれはハードルが高すぎた。いや、年齢を重ねるにつれて厳しくなっていった、そう言うべきか。かろうじて保育所に通っていた頃に、よく一緒に遊んでいた子が女の子だった。それくらいか。
「やっぱり、変なの」
「慣れないことはするもんじゃないな」
「慣れてもらうからね?」
あまりに躊躇なく言われたものだから、声が裏返ってしまった。普段ならそこまでの反応はしないだろうが、万由子と一緒にいると調子が狂って仕方なかったが、幸せな悩みでもあった。
万由子は名前で呼んでもらう方が好きだと知ったのは、一昨年の春だった。そこに男女や人の隔たりは無く、とにかく『ねえ』とか『お前』と呼ばれることは嫌だったらしい。それは親密度に関係するものでもなかった。もっとたくさん呼んでやればよかったと後悔すると共に、これでよかったと言い聞かせる自分もいる。