約束の時間、中庭で遥はベンチに腰掛けていた。曇っていて微妙な暗さを醸し出しているおかげで、嫌な雰囲気だけは完璧だった。
そこに通りかかった生徒が、座っていた遥の方を見て、噂話をするかのように遥のことを話していた。
「あ、しがみついてるやつじゃね?」
「本当だ。とうとう居場所無くしたのかな」
たぶん、悪気はなかった。噂話なんかすぐに広まってすぐに忘れられるものだろうから。ただ、それを聞いて数時間前と同じ態度で接してください、と言われても無理だった。ひょっとしたら何かの事情で、そんな立場にいるのだろうか。こう考えてしまうのは善意だけだと思いたいが、俺もあの生徒たちと同じように、指をさして笑い者になる身分かもしれない。
秋にしては妙に暑く思えた。背中はシャツが全面にくっついていたのではないだろうか。
だが、そんな気持ちを知らない遥が俺に気付き、手を振る。適当に手を上げて合わせる。ベンチの方へ歩き、空いたスペースに腰掛けた。話題はあるようでない。全て俺が考えていない相槌で終わらせているにも関わらず、次々と話題を出してくる遥には脱帽してしまった。
そしていよいよ、核心を突く話題となった。核心とは言っても、俺が不利になる兆しというだけなのだが。
「なんで呼び出したか分かる?」
「さあな」
分からない方が難しかっただろうその問いは、無駄に頭の中で反芻した。



俺たちが高校二年生の時、衝撃的な事件が起きた。飛行機で旅行先に向かう途中、ハイジャックに遭った。犯人は女性だったが、恐怖を植え付けるには関係なかった。
動機等は大々的には明かされていないが、調べればすぐに出てきた。犯人は『自分の子どもが高校生の時に病死したから、同じ年代の女の子がどうしても欲しかった。本当に悪いことをした』と供述したらしい。これにより事件は終わりだとみんな思っていた。だが、俺は微かに違和感を感じていた。
—もう、終わったんでしょ?
—終わった。でも、本当に終わったのか?
この胸に残るわだかまりというか、しこりというか、違和感は何なんだ。もっと別の理由があるような。かろうじて子供の類いになる高校生の時に感じた違和感を、今もなお覚えている。これは、何かあるのではないか。そう思って何度も何度も調べた。今でもそうだ。
—力、貸してくれるか?
これは確認ではない。遥ならば、協力してくれるだろうという確信からだ。
—断る理由も無いからネ。いいよ。



「俺が呼び出された理由、何なんだ?」
ぶっきらぼうに聞いた。単純に遥にいい印象が無かった。どのみち答えは決まっていると思ったから、どうせなら聞いておこうと思った。
だが、その答えは予想とは大きく外れた。
「この前のことがあるからってわけじゃないけど…私ね、本当に紅馬クンのこと好きなんだ。だから、その…えっと、付き合ってくれたら、嬉しいな」
頭が真っ白になった。何を言われているのか分からなかった。ただ連なった言葉の意味を理解するのにいつもより倍以上の時間を要した。同じ言葉を話しているのは思えなかったのかもしれない。
「……」
「紅馬クンのこと、初めて見た日からずっと好きだった。一目惚れってやつなのかもネ!はは…」
会話を続ける気は俺だけ無かったのか、それとも遥も無かったのか。未だに分からないが、そこに流れていた空気は間違いなく異質だった。普段であればそこにいることさえ嫌になるほどだと思うが、元々どこか気が抜けていた俺は、黙って綺麗な人工芝を見ていた。


俺はここで気がつくべきだった。いつもとは違う様子の万由子や遥。いつもより色が鮮やかな芝生。何かが違う日常。
ここで分かっていれば、未然に防げたかもしれない事故だった。そもそもあの日放課後に残らなければ?あの日…あの時…いや、それは関係無いか。大元の原因なんていくらでも探せる。重要なのはそこではない。
片恋とは言え、万由子を見てきた。ずっとずっと考えていた。だからこそだろうか、人格という大前提が見えなかったのは。
テレビや新聞などのメディアでは、人の内面まで報道することはまずない。しかし、当事者たちは内側を嫌になるほど見てきたのちに、外側しか見ていない外部の人間に意見される。

本を読んでいれば、もう少しマシな結果になれたのかもしれない。