CHAPTER1 揺蕩う追憶


毎年、桜の時期になると妻が眠る場所に向かう。妻とは…万由子とは、たくさんの思い出が詰まっている。

妻が眠る『芦田墓園』に向かうため、車を走らせる。都会ではないが、駅に行けば店がよく立ち並んでいる。隣町の神社はパワースポットらしく、観光客からの人気も高い。俺が学生の時には無かった話だ。
元々建物が少ない地域ではあるが、外れの墓園まで来ると途端に緑が増える。山とも言えない、広くて小高い丘になっているのも理由だろう。そして、この墓園の前で待ち合わせている人物がいる。俺の元恋人、遥だ。高校時代はカースト上位で良くも悪くも人を周りに侍らせていた。そんな彼女も今ではすっかりOLとなったらしい。



高校生になり、新たな制服に少し緊張しながら一人ずつ挨拶していく。この時期は、知らない人が多いから、みんな猫をかぶっている。ああ、本性を知られるのはなかなか恥ずかしいものだ。
無論、俺も例外ではない。
「快斗です。趣味はお笑いを見ること!よろしくお願いしゃすっ」
たまに元気のある子がいると、クラスは一気に暖かくなる。空気はもちろん、みんなの仲が深まりやすくなったりする。
「万由子です。好きなものはいちごと餃子です」
…はじめましての挨拶にしてはなかなか強烈だと思った。いちごなら、可愛らしくてまだ分かる。でも餃子を答える女の子はそうそういないだろう。
俺は、その時にふと彼女の全体像を捉えた。席が隣だったから、少し見上げながら。
「…え?」
彼女の…いや、万由子の目は片方が深い紺色、片方が綺麗な緑色だった。とても綺麗な目をしていた。目が離せなかった。
そんな俺の視線に気づいたらしい万由子は、座って俺の方を見たのちに、微笑んだ。
とても綺麗だった。
「はいじゃあ次の人〜」
「悠介です!好きなのは野球と肉!よろしく!」
「佳奈ですっ。好きなのわぁ…いっぱいあるけど、可愛いものはぜんぶ大好きっ!」
カッコよく見られたい、かわいく見られたい、いろんな思いのなか、俺だけ万由子のことばかり考えていた。
「…次の人」
「……」
「おーい、次の人」
「…えっ?」
「君で最後だよ」
万由子に夢中で言うことを考えてなかった。…どうしたものか。
頭の中は真っ白で、無難なものしか思いつかなかった。本を読む…音楽を聴く……あとなんかあったかな。
「こ、紅馬です。好きなのは…ほ、本を読むこと、です」
俺は活字が苦手で、本なんて毛頭読む気になれなかった。だから、適当に言ってしまってからしまったと思った。でも、もう遅かった。みんながこっちを向いてたし、今さら誤魔化しも訂正もできやしなかった。



その日は午前までで、オリエンテーションのような時間がほとんどだった。帰る頃にもなれば、興味のない人の名前なんて忘れていただろう。互いに気になる人どうしで話していたり、同じ中学の友達と話していたり。でもあいにく俺は引っ越して来たから、友達はもちろん、気になる人と話せそうな雰囲気もなかった。
「じゃあ、これから一年間共にするから、隣の人と挨拶しとけよー」
担任がそう言い、各々で話し始める。だるそうな人もいれば、まったく気にしない人もいた。
俺の隣は万由子。万由子の隣の人は、またその隣の人と話していたようで、あたりを見回していた。
その綺麗な瞳が俺を映すまで、待ってみた。
「えっ…と」
「よ、よろしく」
「…紅馬くん、だよね?よろしく」
目があった瞬間、とても驚いた。名前を覚えていてくれたこともあるが、瞳の色があまりに美しかった。いつまでも見ていられそうな、引きずりこまれそうな深い色をしていた。
名前に関しては、向こうはそんなつもりじゃないかもしれない。単純な興味本位かもしれない。でも、覚えていてくれたことが、とても嬉しかった。
「万由子、さん?よろしく」
「覚えててくれたんだ!嬉しいなっ」
頬を赤らめて、満面の笑みでそう言ってくれて、単純な俺は簡単に落ちた。
「(なんだこの可愛い人は…)」
元々そういう性格の人だってたくさんいる。男女で分け隔てなく接してくれる人も、今は多い。それは分かっていても、いざ自分もそうされると、本当に嬉しいものだ。
「そうだ、本が好きって言ってたよね?どんな本が好きなの?」
「えっ」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「あ…あれは」
まさか、考えてなくて咄嗟に言ったものだなんて、言えなかった。カッコつけた趣味を言うでもなく、少し変わった趣味を言うわけでもなかったなんて。今でも自分の対応力の低さに辟易する。
「もしかして、考えずに言ったな?」
「…そうだったかも、な」
「フフン。伊達に推理小説を読んでるんじゃないからね」
「推理小説?」
「うん。面白いんだよ。読んでみる?」
もう一度言う。俺は活字が苦手だった。
「カンベンしてくれ…」
「活字、苦手?」
「ああ。超がつくほど」
「じゃ、オススメの本、明日持ってきてあげる」
「本を読むのか?」
「だって、本読むの好きなんでしょ?」
「そうだったかもな」
万由子はイタズラっ子みたく笑った。その顔にも魅せられた。出会って幾許か経っただけなのに、ずっと考えていたかったし、ずっとそばにいたかった。それが片恋だと気づくのに時間はいらなかった。



それは、よく楽しいとか苦しいとか聞く。それまではよく分からなかったし、楽しいくせに苦しくなるとか、意味が分からなかった。でも、そこでよく分かった気がする。
一目惚れだけど、好き。
俺がもしこう言われたら、戸惑うだろう。だから、言うのはもう少し先かな。