~R.1.8.17 海水浴最終日~
最終日早朝。
夕方には車上の人となるあたし達。海水浴に来て海に入ったのは初めの二日だけで、その後は諸々あって海水に躰を濡らす事も無く、働いて喧嘩しての四日間だった。そして今日は正真正銘のラスト1日。遊ぶ。遊んでやる。朝ご飯を掻き込むのももどかしく支度を済ませると、ビ-チを目指して突っ走る。シャチの浮き輪に水中メガネ、ビ-チボ-ルにシュノ-ケル、忘れ物は無い。
日焼け、ナンパ、インスタグラム、そんな物には目もくれず、海と只管《ひたすら》戯れる十六歳、それがあたしだ。当然、双葉と優と瑠花にも反論を許さず、無理矢理付き合わせる。ビ-チパラソルの下、サングラス掛けて寝そべってなんて二十歳《はたち》を過ぎてからで十分だ。海底から攻め上《のぼ》ってきた半魚人の如く、浜で休んでいる姉達の手足を引いては、片っ端から海中に引き摺り込む。楽しい。海…楽しい。
だ、け、ど…。時計と睨めっこしながら遊んでいても、あたしの可愛い瞳で睨んだ位じゃ、時の流れはビビってもくれずその歩調を緩めない。ラスト一日だからと嘆《なげ》いて見せた処で、これっぽっちの情も見せちゃくれない。時の経過って奴は、血も涙も無い薄情者だ。勿論、これだけいい女が揃っていると言うのに、お天道様も立ち止まる事は無かった。
──夕方5時。
満開だったパラソルの花がひとつ、又ひとつと花弁を閉じた砂浜を横目に、風林屋に向かって波打ち際を歩く。
少し歩く度、足に纏わり付く砂を波達が洗い清めてくれる。あたしは綺麗になったその足を躊躇する事無く、直ぐまた砂に埋《うず》める。すると、程なくそれを目にした波達が、又もあたしの御み足を洗う為だけに大挙して押し寄せて来る。この砂浜を歩いている限りあたしは女王で、波達は永遠の僕《しもべ》だった。
暫くそうして波打ち際を進むと、目の前に伸びた防波堤が砂浜を断ち切って、女王様遊びの終わりを告げる。首を回すと、海岸の端、あたしの眼前には店仕舞いを始める風林屋があった。どうやらあたしの夏も終わったみたいだ。シャワーを借りて帰り支度を済ませると、皆で夏美さんに別れの挨拶。太一のこの顔を見て何もコメントが無い処をみると、夏海さんも海斗から何らかの話は聞いているのかも知れない。「また遊びに来てね」と言う夏海さんの言葉に、『お世話になりました』と、声を合わせ返辞を返す。昼過ぎから姿が見えないという海斗の事が気掛かりではあったけど、「恥ずかしがってんじゃねえのか」の太一の一言で、あたし達は風林屋を離れる踏ん切りをつけた。
昨日の晩よりも遥かに腫れ上がった瞼の太一は、運転を一樹と交代。お陰様で此方《こっち》の車に太一が乗る事になって、東京までの道中、あたしは雑なお化け屋敷の作り物みたいな太一の顔を隣に置く事となった。
──信号が変わって、ゆっくりと車が動き始める。窓越しに見る海は夕陽を照り返して、言い表せない複雑な表情を浮かべてあたし達を見送っている。波間に浮かぶ幾人かのサ-ファ-がこの完璧な風景を形作るのに一役買って、夏が終わっていく物悲しさを見事に漂わせていた。
トンネルが近づいて来る。あのトンネルを抜けたらもう、あたしの目に海は映らない。
──「ヒブギャ!」
トンネルに入った途端、暗くなった窓に隣に座っている太一の膨れ上がった顔が映り込んで、思わず握り締めた拳でサイドウインドウを叩き割る処だった。興奮を押さえ付け拳から力を抜いていると、車が徐々にスピ-ドを落とす。前を走る一樹のテ-ルランプが赤く灯って、あたし達の車も止まった。渋滞?こんなとこから渋滞なら、東京に着く迄には日付を跨ぐかも知れない。運転席の力也が窓から顔を出して、前方に向けた目を細める。あたしの席からは精々一樹の前の車が見える位で、この渋滞の原因を探る術《すべ》も無い。「パア-ッ、パアッパッ-」五、六台先から派手なクラクションが響く。幾重にも反響して、出処の曖昧になったクラクションの音は、まるでトンネル自体が音を出す機能を持ち合わせている様な不思議な感覚を一時もたらす。
周りの車は一向に動く気配を見せない。
その時、唐突にクラクションが止んで、一瞬間、車に入り込んだ静寂があたしを包んだ。その静寂の中であたしは確かに感じたんだ。空気が震える気配を…。あたし達の車も周りの車も、見境無く呑み込もうとトンネルに流れ込んで来る洪水みたいな爆音が溢れ出す直前。音よりも速く空気を揺らす振動を、あたしはハッキリと感じたんだ。
──咆哮。
エンジン音と排気音、極めて機械的である筈の音の集合体。それらが発するどうしようもなく暴力的な匂い。『ブォンブォンブォブォブォンブォ-ンブォンブォンブォンバ-バッバッ-パラリラパラリラブォ-ンブォブォブォ-ンブォンブォンバリバリバリバリバリバリブォ-ンブォンブォンブォ-ンブォンブォンブォブォブォンバッバ-バババババッ-』
爆音の濁流は渦となって、トンネルの中に居る全ての車を襲う。一方的に。もし今、このトンネルの中にどれだけ偉い人が居たとしても、この音に依る蹂躙を拒否する権限は持たないだろう。独善的で理不尽な音の侵略。……なのに、なんで…。なんでだろう、沸き立つこの昂揚感は。耳を塞ぎたくなる程の音のうねりの中に、躰の底から暴れ出したくなるビ-トが刻まれていて、ドンッドンッと心臓を容赦無く殴り付けて来る。──ヤバいこれ。
音に遅れて反対車線をバイクの一団がゆっくりと通り過ぎて行く。単車に乗っている顔は、どの顔にも見覚えがあった。…四台…五台…六台目。運転しているのは勝。リアシ-トには顔を腫らした潤。通り過ぎるほんの一瞬、太一と潤が同じタイミングで小さく頷き合う。少し遅れて最後尾を走る単車があたし達の車から見える処まで近付いた。運転しているのは勇司。その後ろには…。
最高の笑顔を手に入れて、海斗が座っていた。あたし達に向けて拳を力強く掲げている。前の車の一樹達も、今この時はあたし達と同じ物を見ている筈だ。海斗達の姿がバックミラ-から消えても、音の余韻は暫くあたしの周りを離れなかった。
──一樹の車が動き出す。後に続くあたし達の乗った車も少しずつスピ-ドを上げ始める。残響が、陽の薫りを含んだ海の色が、髪に絡む潮騒の囁きが、ちょっとずつあたしから去って行く。
楽しかろうが悲しかろうが、感情なんてもんは置き去りにして、前へ前へと時間も車も進む。進んだ明日、その悲しみが癒されなくても又明日。過ぎて行く毎日を流れるのに任せているだけじゃ何も変わらないかも知れないけど、自分が変えようとして動き出したなら、ほんの少しでも何かはきっと変わる。凜も海斗もそうだった。変わったと言ってもそれは、世界から見たら本当にちっぽけで些細な事柄だったけど。…それでもいいじゃん。何時だってあたし達の世界で大切なのは、自分を含めたそのちっぽけで些細な事が大半を占めているんだから。
──トンネルを抜けた。
見上げれば黒には短い薄墨の天幕に、針で刺した程の小さな星達。灼けつく日射し、冷たく濡らす雨、吹き付ける風、全てを受けて花は開く。
今は一途に蕾で。
最終日早朝。
夕方には車上の人となるあたし達。海水浴に来て海に入ったのは初めの二日だけで、その後は諸々あって海水に躰を濡らす事も無く、働いて喧嘩しての四日間だった。そして今日は正真正銘のラスト1日。遊ぶ。遊んでやる。朝ご飯を掻き込むのももどかしく支度を済ませると、ビ-チを目指して突っ走る。シャチの浮き輪に水中メガネ、ビ-チボ-ルにシュノ-ケル、忘れ物は無い。
日焼け、ナンパ、インスタグラム、そんな物には目もくれず、海と只管《ひたすら》戯れる十六歳、それがあたしだ。当然、双葉と優と瑠花にも反論を許さず、無理矢理付き合わせる。ビ-チパラソルの下、サングラス掛けて寝そべってなんて二十歳《はたち》を過ぎてからで十分だ。海底から攻め上《のぼ》ってきた半魚人の如く、浜で休んでいる姉達の手足を引いては、片っ端から海中に引き摺り込む。楽しい。海…楽しい。
だ、け、ど…。時計と睨めっこしながら遊んでいても、あたしの可愛い瞳で睨んだ位じゃ、時の流れはビビってもくれずその歩調を緩めない。ラスト一日だからと嘆《なげ》いて見せた処で、これっぽっちの情も見せちゃくれない。時の経過って奴は、血も涙も無い薄情者だ。勿論、これだけいい女が揃っていると言うのに、お天道様も立ち止まる事は無かった。
──夕方5時。
満開だったパラソルの花がひとつ、又ひとつと花弁を閉じた砂浜を横目に、風林屋に向かって波打ち際を歩く。
少し歩く度、足に纏わり付く砂を波達が洗い清めてくれる。あたしは綺麗になったその足を躊躇する事無く、直ぐまた砂に埋《うず》める。すると、程なくそれを目にした波達が、又もあたしの御み足を洗う為だけに大挙して押し寄せて来る。この砂浜を歩いている限りあたしは女王で、波達は永遠の僕《しもべ》だった。
暫くそうして波打ち際を進むと、目の前に伸びた防波堤が砂浜を断ち切って、女王様遊びの終わりを告げる。首を回すと、海岸の端、あたしの眼前には店仕舞いを始める風林屋があった。どうやらあたしの夏も終わったみたいだ。シャワーを借りて帰り支度を済ませると、皆で夏美さんに別れの挨拶。太一のこの顔を見て何もコメントが無い処をみると、夏海さんも海斗から何らかの話は聞いているのかも知れない。「また遊びに来てね」と言う夏海さんの言葉に、『お世話になりました』と、声を合わせ返辞を返す。昼過ぎから姿が見えないという海斗の事が気掛かりではあったけど、「恥ずかしがってんじゃねえのか」の太一の一言で、あたし達は風林屋を離れる踏ん切りをつけた。
昨日の晩よりも遥かに腫れ上がった瞼の太一は、運転を一樹と交代。お陰様で此方《こっち》の車に太一が乗る事になって、東京までの道中、あたしは雑なお化け屋敷の作り物みたいな太一の顔を隣に置く事となった。
──信号が変わって、ゆっくりと車が動き始める。窓越しに見る海は夕陽を照り返して、言い表せない複雑な表情を浮かべてあたし達を見送っている。波間に浮かぶ幾人かのサ-ファ-がこの完璧な風景を形作るのに一役買って、夏が終わっていく物悲しさを見事に漂わせていた。
トンネルが近づいて来る。あのトンネルを抜けたらもう、あたしの目に海は映らない。
──「ヒブギャ!」
トンネルに入った途端、暗くなった窓に隣に座っている太一の膨れ上がった顔が映り込んで、思わず握り締めた拳でサイドウインドウを叩き割る処だった。興奮を押さえ付け拳から力を抜いていると、車が徐々にスピ-ドを落とす。前を走る一樹のテ-ルランプが赤く灯って、あたし達の車も止まった。渋滞?こんなとこから渋滞なら、東京に着く迄には日付を跨ぐかも知れない。運転席の力也が窓から顔を出して、前方に向けた目を細める。あたしの席からは精々一樹の前の車が見える位で、この渋滞の原因を探る術《すべ》も無い。「パア-ッ、パアッパッ-」五、六台先から派手なクラクションが響く。幾重にも反響して、出処の曖昧になったクラクションの音は、まるでトンネル自体が音を出す機能を持ち合わせている様な不思議な感覚を一時もたらす。
周りの車は一向に動く気配を見せない。
その時、唐突にクラクションが止んで、一瞬間、車に入り込んだ静寂があたしを包んだ。その静寂の中であたしは確かに感じたんだ。空気が震える気配を…。あたし達の車も周りの車も、見境無く呑み込もうとトンネルに流れ込んで来る洪水みたいな爆音が溢れ出す直前。音よりも速く空気を揺らす振動を、あたしはハッキリと感じたんだ。
──咆哮。
エンジン音と排気音、極めて機械的である筈の音の集合体。それらが発するどうしようもなく暴力的な匂い。『ブォンブォンブォブォブォンブォ-ンブォンブォンブォンバ-バッバッ-パラリラパラリラブォ-ンブォブォブォ-ンブォンブォンバリバリバリバリバリバリブォ-ンブォンブォンブォ-ンブォンブォンブォブォブォンバッバ-バババババッ-』
爆音の濁流は渦となって、トンネルの中に居る全ての車を襲う。一方的に。もし今、このトンネルの中にどれだけ偉い人が居たとしても、この音に依る蹂躙を拒否する権限は持たないだろう。独善的で理不尽な音の侵略。……なのに、なんで…。なんでだろう、沸き立つこの昂揚感は。耳を塞ぎたくなる程の音のうねりの中に、躰の底から暴れ出したくなるビ-トが刻まれていて、ドンッドンッと心臓を容赦無く殴り付けて来る。──ヤバいこれ。
音に遅れて反対車線をバイクの一団がゆっくりと通り過ぎて行く。単車に乗っている顔は、どの顔にも見覚えがあった。…四台…五台…六台目。運転しているのは勝。リアシ-トには顔を腫らした潤。通り過ぎるほんの一瞬、太一と潤が同じタイミングで小さく頷き合う。少し遅れて最後尾を走る単車があたし達の車から見える処まで近付いた。運転しているのは勇司。その後ろには…。
最高の笑顔を手に入れて、海斗が座っていた。あたし達に向けて拳を力強く掲げている。前の車の一樹達も、今この時はあたし達と同じ物を見ている筈だ。海斗達の姿がバックミラ-から消えても、音の余韻は暫くあたしの周りを離れなかった。
──一樹の車が動き出す。後に続くあたし達の乗った車も少しずつスピ-ドを上げ始める。残響が、陽の薫りを含んだ海の色が、髪に絡む潮騒の囁きが、ちょっとずつあたしから去って行く。
楽しかろうが悲しかろうが、感情なんてもんは置き去りにして、前へ前へと時間も車も進む。進んだ明日、その悲しみが癒されなくても又明日。過ぎて行く毎日を流れるのに任せているだけじゃ何も変わらないかも知れないけど、自分が変えようとして動き出したなら、ほんの少しでも何かはきっと変わる。凜も海斗もそうだった。変わったと言ってもそれは、世界から見たら本当にちっぽけで些細な事柄だったけど。…それでもいいじゃん。何時だってあたし達の世界で大切なのは、自分を含めたそのちっぽけで些細な事が大半を占めているんだから。
──トンネルを抜けた。
見上げれば黒には短い薄墨の天幕に、針で刺した程の小さな星達。灼けつく日射し、冷たく濡らす雨、吹き付ける風、全てを受けて花は開く。
今は一途に蕾で。

