惡ガキノ蕾 二幕

 何回目だろう、又頭からの突進。勇司が避けずに受け止める。肩口を押さえられた海斗が、遮二無二腕を振り回す。その拳を腕や胸の辺りに受ける勇司にダメ-ジは無さそうだ。なのになんで、あんな辛そうな顔をしているんだろう。
「もうやめろ!」
 叫びながら振り上げた勇司の拳が、海斗の腹に沈んだ。「グウッ」と短く呻いて膝から崩れ落ちる海斗。おなかを押さえて、頭を砂に擦り付けるように動かしながら、「ウッゥ…ヴゥ…」と、苦しそうにもがいている。痛くて苦しそうだった。…苦しいに決まっている。もう立てないだろう。暴走族とあたし達、みんなの頭の中が同じ色で塗られていく。勇司は海斗を見据えて動かない。その顔に勝者の余裕も喜びも無い、何かを堪えているような、あたしにはそんな顔に見えた。
 海斗の顔が僅かに持ち上がった。──勇司の顔色が変わる。一度砂を叩いた海斗の右手が、今では辛そうにさえ見える勇司の足首を掴む。それに続いて小刻みに震える左手が、勇司のジ-パン、膝の辺りを掴んだ。勇司の躰にしがみつくようにして、必死の形相で海斗が立ち上がる。立ち上がりながら当てずっぽうに振り回した海斗の右の拳が、勇司の顔面を捉えた。「ドサッ」殴った海斗の方が体勢を崩して、砂の上に倒れ込む。殴られた勇司の顔にこれと言った変化は見られない。辛く悲しそうなその眼差しにも。
 倒れた海斗を静かに見詰める勇司。その口から零れ落ちた言葉。それが果たして、勇司が胸の内に深く沈めていた重石なのかどうか、あたしには分からない。けれどそれは、海斗が殴られ何度も砂の上を転がる事でしか、引っ張り出す事が出来なかった物だと言う事だけは間違い無い。
 決して大きくはない勇司の声が夜に拡がっていった。
「…俺にも分かってたんだ…海斗が悲しんでいる事も、苦しんでいる事も…。お前と浩司は二人共俺の弟だと思ってた位だからな、あの日までは…。でも、浩司が死んで…お前の所為なんかじゃないとは分かっていても、俺はもう、お前の顔を真面《まとも》に見れなかった。お前の笑ってる顔を見ると、浩司の笑顔も思い出すんだ。それと一緒に、なんでお前だけって気持ちもな…。お前が受けてる虐めも嫌がらせも俺は知ってたんだ。だけど…止めさせようって気持ちは湧いて来なかった。…風林屋の件を勝達が話してるのも知ってたよ。でもな、楽しそうに花火してるお前見てたら、なんで…なんで浩司はここに居ないのにお前だけって…俺…俺…」
 勇司の言葉は途中から涙声に変わり、最後は形に成らず、崩れて消えた。海斗も泣いていた。涙でぐしゃゝになった顔を上げて、勇司に向かって吠える。
「そうだよ!僕が浩司を殺したんだ!自分が助かる為に見捨てたんだ!だから…、だから僕を殺せばいいんだ!誰でもいいから殺してくれよ!」
 跳ねるように立ち上がると、出鱈目に腕を振り回して勇司に殴り掛かる。頭、肩、胸、パンチの当たる場所も言ってる事も滅茶苦茶だった。暫く殴らせた後で、海斗の両腕を勇司が抱き抱えるようにして止めた。
「海斗…。ごめんな」
 海斗の腕から…躰から力が抜けていく。動きを止めた海斗の躰を離して、勇司が砂の上に仰向けに倒れた。
「あ-痛てえ。俺の負けだ。…負けたよ。あ-あ…」
 海斗の足からも力が抜けて、その膝が砂に落ちる。寝転がった勇司の足元、正座みたいな格好で座り込む海斗。
「ハハハッ…」
 勇司の笑い声に海斗の渇いた笑い声が重なる。
『ハハハハハハハッ…』
 二人共泣きながら笑っていた。心に溜まっていた鬱積《うっせき》を涙で洗い流そうとするような、そんな笑い方だった。
 ──それで終わり。一頻《ひとしき》り笑い合った二人の間に、それ以上交わさなきゃならない言葉なんて、もう何も無い筈だから…。
 座り込んでいた海斗の躰を、力也が支えて立ち上がらせる。まだ砂の上に寝転んだまま笑い続けている勇司と、途方に暮れたように立ち尽くす暴走族達をその場に残して、あたし達は海岸を離れた。
 この一連の喧嘩の前と後で、何が変わったのか口で説明する事はあたしには出来ない。それ処か、この喧嘩が本当に必要だったのかも分からない。…でもいいんだ。必要か必要じゃないかで行動を決めるなんて、真っ平ごめんだから。あたし達があたし達で居る為にも。
 夏美さんの家の前、「じゃあ」と手を振る海斗の顔に、涙の跡はもう無い。笑顔を残して玄関に向かって走って行く。後ろ姿を見送って、顔を腫らした太一が同じく腫れた唇で煙草を咥えた。
「いてて…」
 その顔の前に力也が黙ってライタ-を差し出す。笑った積りなのか、僅かに表情を動かして、太一がライタ-に向けて咥えた煙草を突き出した。
「ブゥワッ」
 夜目にも鮮やかな火柱が揚がって、太一の顔から右の眉が消えた。
「フゥワッチャ-ッ!!アッツ!!ツッツ…」