惡ガキノ蕾 二幕

  ~R.1.8.15 風林屋リニュ-アルOPEN~
 ──朝6時。遂に、作業終了。
 …終わった。終わりました。殆ど何もしていないあたしが偉そうに言わして貰えば、みんな良くやった。頑張った。うんうん。出来映えは″お見事″の一言に尽きる。そりゃあ太一とだんごと瑠花、本職が三人揃ったとは言え、たった1日でこれ程の仕上がりはかなりの物だと思う。こんな事言っちゃあれだけど、壊される前より確実にいい感じになったし。内装もバリ島とか何とか、あっちの方の南国リゾ-ト感が出ててお洒落だし。行った事も無いあたしが言うのもあれだけど…。インスタ映えだってバッチリ。感想としては他にも色々あるけど、なにはともあれ、みんな本当にお疲れ様。ゆっくり休んでね。あ、殆ど何もしていないあたしが偉そうに言わして貰えばだけど。
 昇り始めた太陽の下を、ゾンビの如く拙《つたな》い歩みで民宿へと戻る。取る物も取らずシャワ-を浴びると、早々に布団に潜り込んだ。意識が無くなる直前耳元で「一眠りしたら夏美さんとこ行くよ。忙しいと思うから」と話す優の声が聞こえた。…ような気がした。夏美さんも寝ていないから店を手伝う心算《つもり》なのかも知れない。それにしても…眠。忙しい…?なんでだ?…だめだ…眠……い。ね──
「──み、はなみ、起きて」
「…ふぁ…は…い…」
 クロス貼りの後遺症は重く、未だ敬語が抜けない。ぼやけた視界の中に時計を探す。窓からは寝る前と同じ朝の光が一段と眩しく射し込んでいて、全ての物の形とあたしの意識をあやふやにしていた。
「今…何時?」…全然眠った気がしないのは何故だろう。
「9時」
「9時!?」──驚いて完全に起きた。2時間しか経ってないじゃん。そりゃ眠った気なんてする筈ないわ。あたしの布団の脇では、既に水着に着替えた双葉達が三人鏡を並べている。何だ?どうした?化粧するにしたって、何だか大掛かりじゃありませんか?姉さん方。
「はなもご飯食べて早く用意して」
「あ…、うん」
 あたしに話掛けながら立ち上がると、隣の部屋とを仕切っている襖を勢いよく開く瑠花。そのままだんごと力也の間を抜けて太一を跨ぐと、一樹の横に蹲《しゃが》み込む。瞬時に鏡に写る優の瞳がキラリと光った。瑠花といえど、一樹に近付く女は全て優の敵となるのだろう。
「一樹!起きてよ一樹!」
 無理だ。仕事の日ならまだしも休みの日に一樹を起こすなんて、ここがもし我が家であったなら、そんな無駄な事に労力を掛けるお暇な奴はいない。
「ちょっと一樹!起きろ!」
「はなみ」見かねた双葉からあたしに指令が下る。
 その表情から内容を読み取ると″カワッテヤンナ″そんなとこだろう。「ふ-っ」──ひと息ついて起き上がる。しょうがないなあ。禁じ手ではあるけど、双葉の御命令とあれば致し方ない。──では、
「火事だぁぁぁあっ!」
「よしきた!」跳ね起きた一樹が布団で足を滑らせて、勢いそのまま壁に突っ込んだ。「ドタバタドタッ」と、騒がしい足音がして部屋のドアが開かれる。走り込んで来たのは消火器を手にした従業員の皆々様方。
「火元はどこだ!!」
「違うの!大丈夫だから!」従業員達のテンションを、それに負けない大声で瑠花が跳ね返す。
 そりゃあ…、こうなりますよね…。
 従業員の皆さんが状況の把握に努めている間、妙な静けさが部屋を満たしていく。勢い込んで駆け付けた手前、誰も彼も手持ち無沙汰になって居心地が悪そうだ。皆をそれぞれの持ち場に戻して、この民宿に元の平穏な時間を取り戻す為の呪文を誰かが唱えなければならない。
 ──という訳で…。え-コホンッ。
「ごめんなさい。あたしったら、なんだか寝惚けちゃったみたい。テヘッ🖤」
 あたしの謝り方があんまり可愛かったからなのか、従業員の皆様方は、これ以上は無い冷たい目をして各自の日常業務へと帰って行った。この騒動の中、起きる素振りひとつ見せない太一、だんご、力也の三バカトリオ恐るべし。
 誰かがエアコンの設定温度を下げたのか、冷え込んだ気がする部屋の中、瑠花の見詰める先で一樹が突っ込んだ壁には、サッカ-ボ-ル程の穴が空いていた。テヘッ🖤
 兎にも角にも瑠花に急かされながら、あたしと一樹は支度を済ませ、これに双葉と優、瑠花を合わせた五人は風林屋に向かったのだった。道すがら、双葉が「一樹だけで良かったの?」と、優に確認を取るように聞くと、「部屋の目覚ましは11時にセットしてあるから大丈夫」と、相変わらずあたしには意味の分からないやり取りがあって、瑠花の「あの三人じゃね」という言葉で三人が笑う。一樹も何も聞かされていないのか、後ろを付いてくるその顔には、あたしと同様に腑に落ちないと言った表情を貼り付けていた。
 つい二、三時間前、八人でやっとこさ歩いた砂の上を、今度は逆に風林屋に向かって進む万全とは言い難い五人。左手に広がる海を見てふと思った。海水浴に来たというのに、もう丸二日海に入っていない。さて今日はどうだろう。忙しい時間さえ過ぎれば少しは遊べるかな。いや待てよ、果たしてその時、三時間も寝ていないあたしの躰に、海で遊ぶ程の体力が残っているのだろうか…。なんて事を考えている内に、もう風林屋が視界に入って来る。
「!?」「!?」最初があたし。次は一樹の「!?」
 9時55分。開店まで5分を残して、風林屋の前では黒山の人集《だか》りが二つ三つ合体したよな人の群れが、砂浜を埋め尽くしていた。右を向いても左をても、人、人、人。集まっているのは何《いず》れも十代二十代の男女ばかり。突然現れた人垣を前に、あたしの頭はなかゝ冷静な思考を始めようとしない。それにしても…何なんだ?一樹は別としても、三人のこの落ち着きようは。只管《ひたすら》戸惑うあたしの背中を誰かが押した。「いくよ」双葉の声。一塊《かたまり》となって、あたし達はその大波に飛び込んだ。
「ウオォォォ-ッ!!」
 集まっている若者達の間から、地鳴りの様な歓声が揚がる。
「双葉ちゃ-ん!」「一樹く-ん!」「優-!」「瑠花ちゃ-ん!」「海斗-!」
 あたし達の名前がランダムに彼方此方《あちこち》から飛んで来る。何!?本当に何なのこの状況!?風林屋の入口まで凡《およ》そ二十メ-トル。揉みくちゃになりながら、それでも我武者羅に足を前へ前へと進める。″何が何でも風林屋に辿り着くんだ″不思議な事にあたしの頭の中には、ハッキリとした目的意識が生まれていた。取り敢えず一歩、そして又一歩。そんな状態がどの位続いたろう。突然、躰に掛かっていた色んな力がふっと消え去る。と同時に後ろで戸の閉まる音がして、あたし達の躰は風林屋の店内に在った。出迎えてくれたのは夏美さんと海斗。引き戸の向こうでは、変わらずあたし達の名前を呼ぶ──いや、…待て…あれっ?ちょっと待って。落ち着けあたし。もう一度外の声に耳をそばだててみる。──やっぱりだ。あたしの名前が無い。双葉、一樹、優、瑠花、時々海斗。…でもなんで?あたしの気持ちを代弁するよに一樹が口を開いた。
「おいおい!何だってんだ、こいつは?」
 これに答えたのは優。
「ごめんなさい一樹先輩。昨日1日店を開けられなかったんだから、何とかしなくちゃと思って、SNSで風林屋リニュ-アルオ-プンの記事を流したの。それで、その投稿にあたし達の写真と一樹先輩と海斗の写真も載せたんだ。勝手な事してごめんなさい。時間が無くて他にいい方法が思い付かなくて…。先に一樹先輩に相談すれば良かったんだけど、昨日は忙しそうだったから…。本当にごめんなさい!」
 ……出た。あざと-い。即座に今にも泣き出しそうな雰囲気を醸し出す優。その口調、その声、あたしと話す時とは最早別人。どちら様ですか-?言ってやりたいとこだけど、双葉も瑠花も、そして勿論あたしも呆れ果てて言葉が出てこない。
「いや別に…。そういう事なら、まあ…しょうがねえだろ」
 思った通りの反応を見せて、思った通りの言葉を一樹が返す。そんな一樹の態度に罪が無い事は承知していても、何故だかイラッとするあたし。どうして男という生き物は、斯《か》くも単純に出来ているのだろう。理解に苦しむのは、血の繋がりが有るが故《ゆえ》、余計か。
「ありがとう。一樹先輩!」
 一樹の胸に抱きつく優。はいはい。もういいかな?少し位なら殴ってみても。
「優ちゃん。言われた通り食材も多目に用意したけど、でもこの様子じゃとても…」夏美さんがらしくない位心配そうな顔を店の外に向ける。
「大丈夫です。手は打って有るんで。ねっ瑠花」
 自信満々の優の言葉に、瑠花が笑顔で頷く。と、その顔が急にあたしに向けられた。
「へっ?」
「だから、はな。お願いね。飲み物とかお客さんの相手は私達でなんとかなっても、料理はさ…。だから、ねっ、頼んだよ」
 あ-ね。言われて思い出した。そう言えば、忙しくなるとか何だとか優が言ってた気がする。成る程ゝ。……。──でもね、それは一先《ひとま》ず置いといて、優、ちょっといいかな。SNSに載せたその写真に、なんであたしは入ってないの?ねえ、なんで?あたしがあと十年歳とってたら、まあ笑って許せるかも知れないけど、十六の生娘に対してこういうのは、結構な仕打ちじゃない?納得のいく説明してくんないかな。ねえ、ねえってば、ねえ。ちょっと…。
 ぶつぶつとまだ何か言っているあたしを心配して、夏美さんが声を掛けてくれる。
「はなみちゃん大丈夫?あんまり寝てないんでしょ。料理って言ってもそんなに難しい物は無いんだけど、もし無理だったらわたしだけでも──」
「大丈夫です。手伝わせて下さい。邪魔だけはしないようにしますから」考えるより前に口が動いていた。当たり前だ。義を見てせざるは何とかって言うし。此処でやらなきゃ女が廃《すた》るってもんでしょ。
 10時を4分過ぎた。店の外から聞こえて来る地鳴りのような声のうねりは、期待と興奮で臨界点は直ぐ其処に来ているみたいだ。そのポイントを超えれば行き場を失くしたエネルギ-は、容赦無くあたし達を攻撃する側に廻るかも知れない。入《はい》り口の引き戸、その前で優と瑠花が振り返った。言葉は無い。あたしと夏美さんは調理場に走り込んだ。
「いこう」
 背中で双葉の声がした。
 ──取り敢えず昼までに出来るだけ仕込みをしておいて…。などというあたしと夏美さんの目論見は営業開始5分後には砕け散って、散った欠片も何処かに飛ばされ、きれいさっぱり姿を消していた。15分後、調理場に掛けられた伝票の数は22枚。その全てに食事の注文《オ-ダ-》が必ず一つか二つ。
 え-と、まずは……。──はい、諦めました、考えるの。
「夏美さん!何やればいいか言って!あたしの頭じゃ無理!」
「わかった!じゃあキャベツ!キャベツ切って!」
「何に使うの!」
「焼きそば!」
「はいよ!」
 試合開始の笛は鳴った。もうあたしの頭の中に余計な事を考える余裕なんて1KB《キロバイト》も無かった。言われた事をどれだけ正確に出来るか、それだけに集中する。あたしは機械《マシ-ン》になる。機械に──と強く念じる。周りの音も景色も段々と消えて行き、眼に映るのは俎《まないた》の上だけ…なんて事は無い。其処までは無理。見れば風林荘から手伝いに来た二人の従業員も懸命に動き回っていた。焼きそば、カレ-、冷し中華にかき氷。フランクフルトにいか焼き。鉄板の前で汗だくになってヘラを振るう夏美さん。調理場の壁に掛けられた温度計、示す目盛りは摂氏48度。見たら駄目だ、見たら駄目だ、見たら駄目。時すでに遅く、逸《いち》早く反応した躰から汗が噴き出す。額から流れる汗は頬を伝い落ち、打ちっぱなしのコンクリ-トの床に次々と染みを作る。タオルを鉢巻き替わりに結んだあたしは、気合いを入れ直す為に、ひとつ大きく息を吸い込んだ。「よっしゃ-!」やってやろうじゃないの。キャベツ、人参、玉葱、キュウリにトマト、ハム、玉子。切って、切って、切り倒すと、今度はかき氷。氷を削って削って削って…って、今時手動って正気ですか!?快適とは言えない職場環境に不満は残るものの、少しずつではあるけれどあたしの手際も良くなって、作業のスピ-ドは着実に増して行った──筈なのに、並んだ伝票は減る気配を一向に見せない。茲《ここ》に於《お》いて、やっと一つ気が付いた事がある。と言うのも、海の家という物は、街中の呑み屋と違って、店自体の広さはそれ程必要ないという事だ。だってお客さんは注文した物を受け取ったら、後は砂浜の何処に座ろうが自由なのだから。言ってみれば、砂浜全体、全てが座席とも言えなくもない。…そっか-。だから伝票が減らないんだあ…な-んだ。はは……。時間は恐ろしい速度で過ぎていき、12時を回る昼時のピ-クを前にして、夏美さんが多目に用意したと言っていた食材は、既に残り僅かとなっていた。今有る物だけでは、時計の長針が半周するのにも耐えられそうもない。
「お待たせ!」
 声に振り向くと、調理場の戸口、優を先頭に何処かで見たよな顔が三つばかし並んでいた。アン、ポン、タン。太一、力也、だんごの三人が、それぞれの両手に食材の詰まった袋と発泡スチロ-ルの箱を抱えて立っている。肉、野菜、烏賊《イカ》、調味料まで、秒で冷蔵庫に入り切らない程の食材が調理台の上に並ぶ。「どういう事?」当たり前に口を吐《つ》くあたしの質問に、「太一のおじいちゃんに仕入れて貰った食材を、太一達が起きたら渡して貰う様に頼んであったの」と、これも当たり前のように優が答える。
 昨夜、あたしが瑠花の手伝いと呼ぶにはあまりにも御粗末な作業を仕出かしている間になんて手回しのいい…と、感心して許《ばかり》もいられない。食材が揃ったという事は、まだゝ当分この時間が続くという事だ。太一と力也が優に追いたてられて、店の手伝いに回る。調理場の助っ人はだんごが受け持つみたいだった。
「だんご。あんた料理なんて出来んの?」
「カ…カップ麺位なら…」
 残念ながら、この店にお湯を注ぐだけで出来上がるメニュ-は無い。──よし。
「キャベツ取って!」
「え?」
「え?じゃないでしよ。″キャベツ″取ってって言ってんの!」
「あ…、わかった」
「次、焼きそばに紅しょうが載っけて、青のり振って出す。出来たら人参洗って!返事は!?」
「は…はい」
 調理場に立ち籠める熱気と店内の様相に当てられてか、斯くしてマシ-ン二号が容易《たやす》く出来上がったのだった。
「はなみちゃん。烏賊の仕込みって出来る?」
 油断していると、透かさず夏美さんからマシ-ン一号に指令が下る。烏賊の仕込み…、それならきむ爺に教えて貰ってインプット済みだ。
「出来る!皮は剥かなくていいんでしょ!」
「20杯!お願いね!」
「2…はいよ!」
 そして又、記憶に残らない無我夢中のドリ-ムタイムがやって来た。目紛るしく伝票が入れ替わっていく。ランナ-ズハイとか言うやつだろうか、疲れは全く感じない。そんな風にして、どれだけの時間が経っただろう。
「だんご!あんた何やってんの!」
 だんごが手にしていたのは、一本の串に刺されたフランクフルトと烏賊のげそ。バ-ベキュ-にしても、ちょっと手を出すのに躊躇する異色の組み合わせ。
「えっ…あっ!いけね!」
 慣れない作業に寝不足と、今では五十度を超す室内温度が重なって、マシ-ン二号は壊れ始めていた。又ぞろフランクフルトに串を刺す作業に戻ったものの、その顔には得体の知れない笑みが浮かんでいる。そう言えば、皿を運んで行く太一と力也も同じよな表情をしていたっけ。大丈夫なのか?アン、ポン、タンの三バカトリオ!
 午後4時。壁に掛かる伝票は三枚。
「だんご君、はなみちゃんも。ちょっと休憩してきて」
『は-い』
 夏美さんの言葉に押されて、七時間ぶりに調理場を出た。燃え尽きたんだろう、店の隅には太一と力也が真っ白になって座り込んでいる。それでも、未だ店内には二十人近くの若い男女が居残っていて、双葉達と写メを撮ったり、アドレスを交換したりしていた。よく見ると、店内の壁には″ツ-ショット500円″の貼り紙が。…さすがだ。それにしても、この長時間これだけのお客さんの相手をしながら、貸し浮き輪とパラソルの管理、飲み物作って物販してって…。──スゲ-な。…いや、でも、あたしも頑張った。…筈だ。煙草一本吸っても罰が当たらない程度には。
 裏口の開き戸を抜けると、日差しを避けてだんごと二人、砂の上、直に足を投げ出して座る。マッチを擦って深く吸い込んだ煙を吐き出すと、宙に浮いた白い固まりが、あたしの労を犒《ねぎら》う様に束の間留まってから去って行った。入れ替わりに心地いい潮風が、汗の浮いた肌を冷やしに来てくれる。
「お疲れ」
「お疲れ」
 だんごがくれた労《いたわ》りを、あたしも重ねて返す。自分が少しは人の役に立てたと認めて貰ったみたいで、幸せな気分で胸の内が満たされた。
 隣でだんごが煙草を咥える。顔を向けると、だんごも似たよな心持ちなのか、表情を柔らかく崩していた。ポケットからライタ-を出して火を点ける。
「ブゥオッ!」と揚がった火柱で、だんごの顔が一瞬見えなくなった。
「ホゥアチャ-ッ!アッチ!何だよ!何だよこれ!」──何処か遠くの方からあの笑い声が聞こえた気がした。
 交代で夏美さんにも休んで貰う。この時間から食事をしようという変わり者は少ないようで、それから業務は滞り無く順調に進んで行った。浜辺に咲いたパラソルも、陽射しの盛衰に合わせるように枯れ落ちて、手の空いた双葉達が交代で休憩を取る為に裏口のドアを開けた。瑠花、優、最後に双葉。どの顔もさすがに不眠不休で働いていた事実を隠しきれないでいる。
「大丈夫?」先に休んで少し持ち直したあたしは、久方ぶりに姉を気遣う言葉を掛ける事が出来た。「大丈夫」と、発音が違うだけの同じ言葉を返す双葉。それは、その一語が本来持っている意味を表す為には、少し力強さを欠いていた。
「はなみも大変だったでしょ。もう1日、明日もお願いね」
 ドアを閉める直前、振り返った双葉の一言で、あたしとだんごの生命活動が一旦停止してしまう。扉は、何気無く言った双葉の台詞があたし達に与えた影響を楽しむように、ゆっくりと閉まっていった。ドアの向こうに消えていく双葉の後ろ姿。
「バタンッ!」
 扉の質量を遥かに上回る音の響きが電気ショックとなって、あたし達は蘇生した。モウイチニチアシタモオネガイネモウイチニチアシタモオネガイネモウイチニチ……。鼓膜の内側で何度もリフレ-ンされる同じフレ-ズ。
「ははは…」串うちの仕込みを続けるだんごが無表情で笑った。
「ははは…」?なんだ、今の声は?…えっ、まさかあたしか?
 ──午後7時半。躰が重い。
 あたし達は残り少ないエネルギ-を使い切り、やっとの事で宿に帰り着いた。洗浄、燃料補給、エンジン停止。──風呂、食事、睡眠。幾つかの工程を経て、漸《ようや》く人間に戻る。次に訪れるのは、夢もみない仮死の幸せ。
 海水浴に来て五日目。海は遠い。