~R.1.8.14 風林屋~
海と寝起きを共にして四日目。8月は14日の水曜日。
一昨日の夜中に降りだした雨は、昨日の夜中の内に上がっていた。寝ている間に勝手に来て挨拶も無しに帰って行ったこの礼儀知らずな来客は、それでもきちんと置き土産を残して行った。抜けるような青空と茹だるような暑さがそれ。──高温多湿。看板に偽り無し、日本の夏である。窓を開け放っても肌に触れてくる物が何にも無い。な-んにも。完全無欠の無風状態。扇風機から送り出される風程度では、爪の先程の涼も感じられない中、朝食を済ませたあたし達は、光の速さで民宿を飛び出したのだった。
昨日のあたし達の井戸端会議は進行役の欠如とアルコ-ルに依る判断力の著しい低下によって進行不可能となり、明確な対応策を出せないまま議事録を閉じる事となった。──夜、躰を横にしてからの僅かな時間、あたしなりに考えてみたけど、海斗にとっての″いい形″っていうのがそもゝ何なのか分からなくて、出足から躓《つまず》いた。海斗がしたい事…?海斗がして欲しい事…?海斗の話から、事の起こりと、起きてしまった過去の出来事については大体理解したつもりだった。それに依って海斗が受けた仕打ちも、夏美さんの話と暴走族連中の態度から粗方想像する事も出来た。──でも、この先は…。どうすれば今の現状を変えられる?第一に海斗自身は変えたいと思っているのか?もし変えたいと思っているならどんな風に?あたし達が考える事に意味なんてあるのかな?対する答えは海斗の中にしかないと言うのに…。昨日の晩、覚えているのはそこら辺まで。何一つ解決しないまま。
みんなそれなりに、何かしら思う処はある筈なのに、朝、顔を合わせてから誰もその事について触れようとしない。言葉も選ばず軽はずみに話せる程簡単じゃない事だけは、みんな良く分かっていた。
──国道を渡って浜辺へと続く階段を降りる。十五段ある所々罅《ひび》の入ったコンクリ-トの階段を踏むと、十六段目、ビ-チサンダルは海岸の砂をその下に敷く事になる。一昨日の顛末《てんまつ》が頭に浮かんでいるのか、どの笑顔にも少しだけ複雑な物が混じっている…ように見えるのは、あたしの気の所為だろうか。そんな中、一番先を歩いていた太一が歩くスピ-ドを落とした。並んだあたし達の視界にも風林屋はもう見えている距離。
風林屋の前、海を背に店の方を向いて海斗と夏美さんが立っていた。何時もなら、この時間既に店の前に用意されている筈の貸しパラソルや浮き輪の姿がない。遠目に見える海斗と夏美さんの背中もオブジェみたいに生気が感じられず、なんだか様子が変だ。あたしにも何か普通じゃない事が起きたんだと分かった時にはもう、太一と一樹が砂の上を走り出していた。だんご、力也と続いて、その後ろをあたし達も走る。厭な感じの胸騒ぎが止まらない。良くない事を、先に在る事を考えようとする自分を置き去りにする為、砂を蹴る足に力を込める。
──どう言葉にすればいいのだろう…。
風林屋は無くなっていた。そこにあったのは風林屋だった物達の残骸だった。──壊されていた。汚されていた。踏まれ、叩き付けられ、無雑作に投げ捨てられて、壁もテ-ブルも椅子も…、パラソルも浮き輪も手作りの飾り付けも全てが、変わり果てた姿で転がっていた。純粋な悪意の塊が通り抜けて行った店内を目にして、だんごが「うわっ」と声を揚げたきり、誰も喋らない。夏美さんと海斗は魂が躰を離れてしまったみたいな虚ろな表情で何処を見ているのかも分からない。風林屋が壊された事で二人の中の何かも壊れてしまったみたいに思えて、直視出来ないあたし。
「警察に連絡しますか?」
夏美さんの背中に双葉が後ろから声を掛ける。
ビクッと躰を震わせた夏美さんは、その時まであたし達が来た事に気付いていないみたいだった。双葉の声で声で同じく我に返った海斗が夏美さんを振り返ると、ゆっくりとした動きで首を振った。
「警察には連絡しなくていいから」と言った夏美さんの声は、小さいけどはっきりしていたと思う。
「なんで!こんなの…、あいつらがやったに決まってんじゃん!幼馴染みのお兄ちゃんだかなんだか知らないけど、こんな卑怯な真似許せないよ!」
瑠花が感情をそのまんま出すよな話し方をする。双葉と優には顔を見せようとせずに──
「あいつら…」
太一の呟きが汚れた床に落ちた。走り出そうとする太一の背中に一樹が声を打《ぶ》つける。
「太一!どこ行こうってんだ?」
「決まってんだろ!…許せねえ」
倒れた椅子を直して、腰を下ろす一樹。太一は振り返らない。踏み出そうとする太一の足下を狙って、一樹が言葉を置いた。
「どこに行こうがお前の勝手だし、止めやしねえけどよ…。でもお前、壊れた建物このまんまにしてってえのは、大工としてどうなのかねえ…」
「あ?」
収まらない顔をしていても、一樹の言葉は確実に太一の足首を掴んでいるみたいだった。
「そ-っすよ太一君!」
これも珍しくジャストタイミングでだんごが跳び込む。
「大工が二人も揃って海の家ひとつ直せないんじゃ笑われちゃいますよ。やっちゃいましょう!」
「あ、何言ってんだお前。それとこれとは──」言い掛けた太一の口を今度は力也が塞ぐ。
「そうだぞ太一。困ってる人を助けるのと喧嘩じゃ、人助けが先に決まってるだろ。なあ一樹」
「違いねえな」
一樹と力也とだんご。三人の視線が太一を見詰めていた。あたしと双葉と優は瑠花の方を受け持つ事にする。太一と瑠花、二人がその顔に有るか無きかの笑みを浮かべるのに、それ程時間は必要じゃなかった。
「…ったく、しょうがねえなあ…。瑠花!じいちゃんとこ行って道具借りてこい。一樹と力也は材料買って来て貰うかんな。逃げんなよ!」
「はいよ」と、苦笑しながら力也が答える。
そうと決まれば…。
「やっちまおうや」
一樹が音頭を取って椅子から立ち上がった。
やってやろうじゃないの。唖然としている海斗と夏美さんを残して、あたし達は動き出した。
海と寝起きを共にして四日目。8月は14日の水曜日。
一昨日の夜中に降りだした雨は、昨日の夜中の内に上がっていた。寝ている間に勝手に来て挨拶も無しに帰って行ったこの礼儀知らずな来客は、それでもきちんと置き土産を残して行った。抜けるような青空と茹だるような暑さがそれ。──高温多湿。看板に偽り無し、日本の夏である。窓を開け放っても肌に触れてくる物が何にも無い。な-んにも。完全無欠の無風状態。扇風機から送り出される風程度では、爪の先程の涼も感じられない中、朝食を済ませたあたし達は、光の速さで民宿を飛び出したのだった。
昨日のあたし達の井戸端会議は進行役の欠如とアルコ-ルに依る判断力の著しい低下によって進行不可能となり、明確な対応策を出せないまま議事録を閉じる事となった。──夜、躰を横にしてからの僅かな時間、あたしなりに考えてみたけど、海斗にとっての″いい形″っていうのがそもゝ何なのか分からなくて、出足から躓《つまず》いた。海斗がしたい事…?海斗がして欲しい事…?海斗の話から、事の起こりと、起きてしまった過去の出来事については大体理解したつもりだった。それに依って海斗が受けた仕打ちも、夏美さんの話と暴走族連中の態度から粗方想像する事も出来た。──でも、この先は…。どうすれば今の現状を変えられる?第一に海斗自身は変えたいと思っているのか?もし変えたいと思っているならどんな風に?あたし達が考える事に意味なんてあるのかな?対する答えは海斗の中にしかないと言うのに…。昨日の晩、覚えているのはそこら辺まで。何一つ解決しないまま。
みんなそれなりに、何かしら思う処はある筈なのに、朝、顔を合わせてから誰もその事について触れようとしない。言葉も選ばず軽はずみに話せる程簡単じゃない事だけは、みんな良く分かっていた。
──国道を渡って浜辺へと続く階段を降りる。十五段ある所々罅《ひび》の入ったコンクリ-トの階段を踏むと、十六段目、ビ-チサンダルは海岸の砂をその下に敷く事になる。一昨日の顛末《てんまつ》が頭に浮かんでいるのか、どの笑顔にも少しだけ複雑な物が混じっている…ように見えるのは、あたしの気の所為だろうか。そんな中、一番先を歩いていた太一が歩くスピ-ドを落とした。並んだあたし達の視界にも風林屋はもう見えている距離。
風林屋の前、海を背に店の方を向いて海斗と夏美さんが立っていた。何時もなら、この時間既に店の前に用意されている筈の貸しパラソルや浮き輪の姿がない。遠目に見える海斗と夏美さんの背中もオブジェみたいに生気が感じられず、なんだか様子が変だ。あたしにも何か普通じゃない事が起きたんだと分かった時にはもう、太一と一樹が砂の上を走り出していた。だんご、力也と続いて、その後ろをあたし達も走る。厭な感じの胸騒ぎが止まらない。良くない事を、先に在る事を考えようとする自分を置き去りにする為、砂を蹴る足に力を込める。
──どう言葉にすればいいのだろう…。
風林屋は無くなっていた。そこにあったのは風林屋だった物達の残骸だった。──壊されていた。汚されていた。踏まれ、叩き付けられ、無雑作に投げ捨てられて、壁もテ-ブルも椅子も…、パラソルも浮き輪も手作りの飾り付けも全てが、変わり果てた姿で転がっていた。純粋な悪意の塊が通り抜けて行った店内を目にして、だんごが「うわっ」と声を揚げたきり、誰も喋らない。夏美さんと海斗は魂が躰を離れてしまったみたいな虚ろな表情で何処を見ているのかも分からない。風林屋が壊された事で二人の中の何かも壊れてしまったみたいに思えて、直視出来ないあたし。
「警察に連絡しますか?」
夏美さんの背中に双葉が後ろから声を掛ける。
ビクッと躰を震わせた夏美さんは、その時まであたし達が来た事に気付いていないみたいだった。双葉の声で声で同じく我に返った海斗が夏美さんを振り返ると、ゆっくりとした動きで首を振った。
「警察には連絡しなくていいから」と言った夏美さんの声は、小さいけどはっきりしていたと思う。
「なんで!こんなの…、あいつらがやったに決まってんじゃん!幼馴染みのお兄ちゃんだかなんだか知らないけど、こんな卑怯な真似許せないよ!」
瑠花が感情をそのまんま出すよな話し方をする。双葉と優には顔を見せようとせずに──
「あいつら…」
太一の呟きが汚れた床に落ちた。走り出そうとする太一の背中に一樹が声を打《ぶ》つける。
「太一!どこ行こうってんだ?」
「決まってんだろ!…許せねえ」
倒れた椅子を直して、腰を下ろす一樹。太一は振り返らない。踏み出そうとする太一の足下を狙って、一樹が言葉を置いた。
「どこに行こうがお前の勝手だし、止めやしねえけどよ…。でもお前、壊れた建物このまんまにしてってえのは、大工としてどうなのかねえ…」
「あ?」
収まらない顔をしていても、一樹の言葉は確実に太一の足首を掴んでいるみたいだった。
「そ-っすよ太一君!」
これも珍しくジャストタイミングでだんごが跳び込む。
「大工が二人も揃って海の家ひとつ直せないんじゃ笑われちゃいますよ。やっちゃいましょう!」
「あ、何言ってんだお前。それとこれとは──」言い掛けた太一の口を今度は力也が塞ぐ。
「そうだぞ太一。困ってる人を助けるのと喧嘩じゃ、人助けが先に決まってるだろ。なあ一樹」
「違いねえな」
一樹と力也とだんご。三人の視線が太一を見詰めていた。あたしと双葉と優は瑠花の方を受け持つ事にする。太一と瑠花、二人がその顔に有るか無きかの笑みを浮かべるのに、それ程時間は必要じゃなかった。
「…ったく、しょうがねえなあ…。瑠花!じいちゃんとこ行って道具借りてこい。一樹と力也は材料買って来て貰うかんな。逃げんなよ!」
「はいよ」と、苦笑しながら力也が答える。
そうと決まれば…。
「やっちまおうや」
一樹が音頭を取って椅子から立ち上がった。
やってやろうじゃないの。唖然としている海斗と夏美さんを残して、あたし達は動き出した。

