惡ガキノ蕾 二幕

       ~海斗の告白~
 ──夏美さんの胸の内を慮《おもんぱか》ってあたし達四人が四人とも自分の内面に没入していたその時、「ガラララッ」と、戸を開く音が顔色を変えて駆け戻って来た海斗の心情を表すように、かなりの大きさで店の中に響いた。
「太一兄ちゃん達が僕のせいで…」
「えっ…何?」
 あたし達が聞き返しても、海斗はもう一度「僕のせいで…」と同じ言葉を繰り返して、なかゝ結果を口にしない。それほど気の長くないあたし達は、早々に海斗の口から結果を手に入れる事は諦めて、店を飛び出したのだった。
 渇ききった軟らかい砂に足を取られながら、夜の海岸を走る。追い付いて来た海斗が先頭に立つと「こっち──」と、あたし達を一番端の海の家″大野屋″の裏手へと導いた。
 ──結果。
 全員暴走族だろうか?十人程の男達を前にして、太一、一樹、力也、だんごの四人が立っていた。
「なんだ、なんだ!ビビって女に助っ人頼んだのかよ!」
「うっわ-。確かにお前達よりは強そうだな。おっかね-ぎゃはははははっ!!」
 暴走族の間から次々に吸殻と一緒に罵声が飛んで来る。からかうように笑う男達の中には、ガソリンスタンドで見掛けた顔が何人も居た。坊主頭とオ-ルバックの二人に挟まれているのが、リ-ダ-の勇司とかいう奴だろうか。未だ口を開こうとしないその男は、もしかしたら力也よりもでかいかも知れない。一樹達の中で躰が一番大きいのは力也で、百八十三センチ。だんごが百七十~七、八。一樹と太一は百七十~四、五かな?勇司は力也以外の三人とは頭一つ違って見える。
「どうしたの?」
 太一の後ろ、少し下がってたっている一樹達に近付いていく。説明役を買って出たのはだんごだった。「俺達が花火をやってるとこに、あいつらが近寄って来たんだ。俺達は相手にしなかったんだけど、あいつらの中の誰かが『人殺しが花火なんてやってんじゃねえ』とかなんとか言って来て…、訳分かんないだろ。そしたら今度は太一君がキレて…。そんで──」
 だんごにしては上手く喋れた方だと思う。あたしにも大体の流れが分かった位だから。言わずもがな、双葉と優と瑠花にもね。
「謝れ!」
 太一の背中から、普段の太一からは聞く事の無い怒声が発せられる。
「あん?」反応を見せたのはオ-ルバックの針金眉毛。どうやら太一の視線もそいつに向いてるみたいだった。
「人殺しって言ったのはお前だろ。海斗に謝れ」
「太一兄ちゃん。もういいよ…」潮騒の合間にやっと聞き取れる消え入りそうな海斗の声。
「よくねえだろ!」
 太一が放り投げたささくれだった言葉が、暴走族達の薄ら笑いを止めた。初めて目にする太一の変貌振りに、だんごも血の気が引いたみたいに青白い顔をしている。
「本人がいいって言ってんだから、いいじゃねえか!」
 針金眉毛が投げ返した言葉に太一が黙って一歩、二歩と歩みを進めた。それを見た坊主頭と針金眉毛も前に出る。一人と二人。一つ、又一つと砂浜に足跡が増えて、三人を隔てる距離が縮まっていく。
「太一兄ちゃん…」海斗の声はもう太一に届いていないみたいだった。一樹は何も喋らない。勇司も黙ったままだ。他の暴走族達も。
 三人が手を伸ばせば触れられる位に近付いて、ある種の予感から暴走族もあたし達も、眼球以外の肉体の部位は動く事を忘れていた。
 十分に引き絞った弓弦《ゆみづる》が放たれようとしたその間際──
「何してるの!」と、弦楽器の高音にも似た皸割れた声が、その場の空気を一変させ、止めた。
 それから夏美さんは勝と潤と呼ばれていた二人と太一の間に割って入ると、勇司を睨み付けるように見据えたのだった。咥え煙草を吐き出し背を向ける勇司。
「母親まで引っ張り出しやがって、情けねえ」坊主頭の勝はそう言い捨てると、踵を返してその場から立ち去ろうとする。歩き出す序《つい》でに「潤、行こうぜ」と針金眉毛に声を掛けて、この一幕は唐突に閉幕を迎えた。
「ブォンブォンボ-…」
 似たよな、それでいて一つとして同じ物が無い異なった音の集まりが、一頻《ひとしき》り小さな世界の全てを揺らして離れて消えていったのだった。
 ──波音が耳に戻り始める。国道を行き交う車と周囲の喧騒も。そうして世界が日常を取り戻しても尚、あたし達は取り残されていた。何処か、此処ではない別の場所へ心を動かそうとはしても、誰もその方法が見つけられないみたいだった。暴走族が置いていった気まずい空気に皆が息苦しさを感じていたその時──「花火!」と声を揚げたのは夏美さんだった。「花火…花火やろうよ。まだ残ってるんでしょ!」
 その場にいる誰も──恐らく夏美さん自身もこの場にそぐわないと分かって発しているその言葉は、先と違って辺りを包む空気を一掃する程の力は無かった。暴走族相手に叫んだ一言は母親として、そして今度のそれは大人として。立つ場所を変えただけで子供達にとって言葉の持つ比重は是程《これほど》に変わる。なのに異を唱える者は誰も居なかった。全員が黙って段ボールの中から、本来、人を楽しませる事を目的として作られたそれらを手に取っていく。みんな分かって分かってたんだ…。子供達の中に残るであろう思い出の中から異物を取り除こうとする大人としての責任感とか、原因が自分の息子にある親としてのいたたまれなさとか、そういうのも…。ほんの少しではあるけれど。
 花火がもたらす赤、青、緑、橙、黄色の色彩と光と影の仮面。似たよな仮面の下で、似たよな事に頭を悩ませている九人の子供と一人の母親。花火が揚げる煙達もやはり気まずいのだろう、出てきた傍から直ぐに風に乗って去って行く。──みんな待っていた。この夜があたし達にとって避けられない物だったとしたなら、未だ現れていないこの夜を終わらせてくれる何かを。
 花火も残り僅かとなって、段ボールに伸ばす皆の手が躊躇《ためら》いがちな動きを見せ始めた頃、なけなしの勇気を振り絞って口を開いたのは、此処にいる人間の中で一番歳の少ない海斗だった。初めは手持ちの花火の音にも消されてしまいそうな頼り無い声ではあったけれど──でも、それはちゃんと…なんて言うか…男の人の声だった。
「あの日──五年前の8月17日…。僕と浩司はみんなに内緒で大野屋の納屋からボ-トを運び出したんだ…」
 前以《もっ》て夏美さんから話を聞いていたあたし達は、海斗の言葉がこの夜を終わらせる為の大切な通過儀礼であるという事を感じ取れたけど、事情を知らない一樹は頭に浮かんだ疑問符の答えを求めて、周囲に落ち着きの無い視線を泳がせている。目の合ったあたしは、「取り敢えず今は黙って聞いとけ」のメッセ-ジ付きアイコンタクトを、一樹から順に力也、だんごへと送り付ける。従兄弟でもある太一は、これから海斗の口を経て語られようとしている事柄を既に知っているのだろう。話す海斗を、ただ辛そうに見詰めるだけだった。
「二人だけでボ-トで沖に出るのは前からの約束で、浩司が納屋の鍵を見付けたのがたまゝその前の日だったんだ。二人共台風が来ている事も知っていたけど、お互いに意地を張っていたんだと思う。止めようとは言い出さなかったから、僕も浩司も…。浜辺から20メ-トルも離れない内に、二人共失敗だった事に気が付いたよ。オ-ルは波に跳ね返されて思うように動かないし、ボ-トはちっとも言うことを聞かない。浜はどんゝ遠くなって、僕達はボ-トから体を投げ出されない様にするだけで精一杯だったんだ。何時の間にか降りだした雨と水飛沫で目を開けているのも大変で…。でも…あの時聞こえたんだ。浩司の『ごめんな』って言う声が…。何に対しての『ごめんな』だったのかは、今でも分からない。沖に出ようって誘った事なのか、ボ-トから離れてしまう事に対してなのか…。残される僕に対しての──。…それでおしまい。それからの僕は目を瞑ってボ-トにしがみつく事しか出来なかったから。勿論、浩司の声に答える事も…たった一言でよかったのに…それも…それも出来なかった。海保の船に助け上げられた時も僕は、…僕は自分が助かった事だけで頭が一杯で、僕は…僕は──」
 泣いていた。自分が泣いている事に気付いていないみたいに。頬を伝う涙を拭いもせず、とっくに消えてしまった線香花火を持ったまま海斗は泣いていた。…夏美さんも。
 立ち上がった太一が、黙って海斗の頭をクシャクシャと混ぜる。
 一樹の投げた花火の燃えさしが、バケツの中で「じゅっ」と短い音を立てた。やっとこの夜が終わる気がしたんだ。