金魚鉢

もう、この人は私の知っている優ちゃんじゃない。


 説得しようとか、分かってもらおうとか、そんな甘い考えは捨てるべきだ。


 私は何をしてでも、ここから逃げなくちゃいけない。

 それも、今すぐに。


 そう頭では理解していても、恐怖に固まった私の身体はちっとも動いてはくれなくて。


 私の手首はベッドのポールに縛り付けられた。


 手首を動かそうと必死になっている私に、優ちゃんが恐ろしいほどゆっくりとした動作で近づいてくる。


 私の頬を優しく撫ぜて、彼は静かな口調で話した。


「僕が、優しくないって? あんなにも大切に、大事に、甘やかしてきたのに?」


 流れ落ちる涙を拭うこともできずに、私は掠れた声で喉を震わせた。


「怖いよ、優ちゃん」


「うんそう、それがいい。どうしてもっと早くこうしなかったんだろう。だってこうすれば、琴はもう僕しか見ないだろう? 僕のことしか見えなくなるだろう?」


 恐怖で頭がおかしくなりそうだった。


「お兄……」


 そう呟いたのがいけなかったのかな。


 私の言葉を聞いた優ちゃんは、舌打ちを一つすると、私の上にある壁を殴りつけた。

 それはもう物凄い力で。


 ぱらぱらと壁の塗装が私の頭に落ちてくる。

 ぽたぽたと優ちゃんの血も滴り落ちてくる。


 怖いよ。

 ねぇ、私の目の前にいるこの人は一体誰?


「ねぇ、琴。どうして今、雪さんのことを呼んだの? 僕が目の前にいるのに。こんなにも近くにいるのに。……それとも、まだ足りない? もっともっともっともっと、近くにいかなきゃいけないのかな?」