いつもはざわついてうるさい教室が、今は誰もおらず、とても静かで、外から聞こえる音だけが聞こえてくる。
 
 このシチュエーションは、よく漫画とかで見るあれなのだろうか。良い方のあれなのか、悪い方のあれなのかは分からないが。
 
 指定の時間まであと数分ある。
 
 それから三十分くらい待ったが、結局、誰も来なかった。悪い方のあれだったみたいだ。大方、僕のわからない所から様子を伺って笑い者にしていたんだろう。
 
 『高木君へ。放課後に大切なお話しがあります。午後四時三十分、三の一の教室に来てください』
 
 僕はポケットから手紙を取り出すとくしゃりと丸め、ゴミ箱へと捨てて教室を後にした。
 
 身長は一五四センチ。中三女子の平均身長よりも低いチビで童顔。声変わりさえしていない。
 
 ふと時計を見ると午後五時を過ぎていた。部活に行く気力もない。重い足取りで靴箱へと向かう僕。あの教室を出てから、ずっと俯いたままだ。
 
「おっ、高木やん。なんばしよっと?」
 
 顔を上げると、そこには同じクラスの女子が体操服姿で立っていた。
 
 相原(あいはら) (みどり)
 
 女バスの副部長。部活中なのだろう。汗をたくさんかいていた。
 
「高木、今日、部活じゃなかとね?」
 
 汗を拭きながら僕へと近付いてくる。相原さんは一六五センチ。僕よりも背が高い。早足になり相原さんの隣を通り過ぎ様とした。
 
「待ってよ、高木」
 
 すれ違う瞬間、相原さんから腕を掴まれた。全身の力が抜けていた僕は、思わずふらついてしまった。
 
「あんた、ちかっぱ顔色悪かやん……大丈夫とね?」
 
 ふらつき倒れそうになった僕を相原さんがだき抱える様に支えてくれた。しっとりとしたシャツ、そして柔らかな感触。汗の匂いに混じって、ほのかに甘い良い香りがする。
 
「だ、大丈夫やけんっ!!」
 
 僕は頭に血が上っていた事もあり、力いっぱい、相原さんを突き飛ばしてしまった。
 
「高木……」
 
 僕は居た堪れなくなり、その場から走り去った。
 
 そして次の日、僕は学校を休んだ。あの手紙の件と、相原さんと顔を合わせたくない気持ち……と言う事もあるが、本当に体調不良の為だ。
 
 体調不良とはいっても、三十七度五分。休むには微妙な熱。母親が念の為に休ませたのだ。
 
 二階の自室で寝る程でもない事から、僕はリビングのソファーに横になってテレビを観ている。特に面白い番組はない。午後五時前。この時間は情報番組ばかりだったのでテレビを消すとぼんやりと天井を眺めた。
 
 テレビの消えたリビングはとても静かに思えた。この時間はいつも部活をしている。両親は共働きで帰ってくるのはいつも午後六時過ぎ。

 明日、相原さんに謝らなきゃな……
 
 僕は恥ずかしかったんだ。
 
 男子なのに、女子からだき抱えられた事、そして、相原さんの……
 
 だけど、あそこで相原さんがああしてくれなかったら、僕は思いっきり倒れていただろう。もしかしたら、怪我をしていたかもしれない。それなのに、僕は何も言わずに走り去った。最低だ。
 
 そんな事を考えていると、静かなリビングに来客を知らせるチャイムの音が鳴った。
 
 ソファーから体を起こし、インターホンのモニターを確認すると、そこには俯いて立っている相原さんの姿が映っている。
 
 なんで相原さんが……
 
 もしかしたら、昨日の事を怒って……
 
「はい」
 
「高木……いえ、(りつ)君は……」
 
 小さな声。少し震えている。いつものはきはきとした相原さんの声じゃない。

「僕だけど……」
 
「た、高木……今日、あんたが休んだけん……」
 
 プリントか何かを持ってきてくれたのだろうか?いや、確か相原さんの家は逆方向だし、今は部活をしていなければならない時間である。僕は玄関へと向かい、ドアを開けた。
 
 急に玄関のドアが開いた事で驚いたのか、相原さんの体がびくりと動いた。
 
「あ……相原さん……どげんした?」
 
 なぜか俯いてもじもじとしている相原さん。そして、ぱっと顔を上げると、僕の目の前にコンビニ袋を差し出した。
 
「やっぱあんたさ、昨日から体の調子が悪かったとやろ?これプリン。これなら体調悪くてもたべやすかろうけんで……」
 
 突然の事で固まってしまっている僕。さらに相原さんが袋を無言で僕へと突き出してくる。それを受け取った僕へ安心したのか、緊張した表情が、ふわっとした笑顔になった。
 
「ありがとう……相原さん。それに、昨日はごめん。支えてくれたのに、突き飛ばして……本当にありがとう」
 
 僕は素直に相原さんへ謝罪とお礼を言う事が出来た。相原さんは僕のその言葉を聞くと、ふるふると首を振った。
 
「良かよ……でも、少し元気そうで良かった……安心した。昨日はあげん顔色わるかったけんで……ちかっぱ心配しとったんよ」
 
「なんで僕の?」
 
「なんでって……ほら……あげん顔色悪かったし……」
 
 急にあたふたと挙動がおかしくなった相原さん。どうしたのだろう?
 
「ご、ご、ごめんね、体調悪かのに……玄関先に出てきてもらって……私、もう帰るけん……」
 
 また、小さな声になった。心なしか頬が少し赤くなっている。
 
「うん、今日は本当にありがとう。また明日」
 
「また明日、学校でね」
 
 相原さんはにこりと笑い、軽く手を振ると帰っていった。
 
 僕は、相原さんがわざわざ部活を休み遠回りしてまでお見舞いに来てくれた事がとても嬉しかった。
 
 そして、家の中に戻ると早速、プリンを食べた。それは今まで食べたどのプリンよりも甘く、とても美味しく感じた。